続いて、泉涌寺七福神第三番札所 泉涌寺塔頭
「今熊野観音寺」(いまくまのかんのんじ)へ

こちらは西国三十三カ所霊場 第十五番札所をはじめ
洛陽観音霊場・近畿十楽観音霊場の札所にもなっています。
11月5日(木)・12月7日(月)に参拝させていただきました


← 子護大師像
弘法大師さまが子供達に慕われている姿です
見てるとほっこりします
そばの看板には「南無大師遍照金剛」と唱えながら
四国八十八箇所のお砂を踏んでお大師様を廻って下さい
と書いてあります
由緒書によると、平安時代、弘法大師は唐から帰国後、東寺で修行されていました。
その時、東山に光明が差し不思議に思われた大師は光の方へ向かいました

すると、白髪の老翁が現れ、大師に一分八寸の十一面観音像と宝印を渡され、
立ち去ろうとしました。大師が老翁に「なにびとか?」と尋ねると、
「私は熊野の権現でこの地の守り神となるだろう」と告げ、姿を消したそうです

大師はその後、熊野権現のお告げのままにお堂を建て、自ら一尺八分の
十一面観音像を彫り、その体内に熊野権現から授かった十一面観音像を納めた
ことが今熊野観音の始まりとされています。

← 本堂
弘法大師御作と伝えられるご本尊の
十一面観世音菩薩が祀られています

← 五智水
弘法大師が観世音を祀るのにふさわしい
霊地を選ぶために錫杖をもって、岩根を
打たれると霊泉がわき出でました。
大師はこの清水を観音御利生の水と
崇められ、「五智水」と名付けられました

← 大師堂・ぼけ封じ観音像
弘法大師が祀られているお堂です
大師堂の前に立たれている観音様が
「ぼけ封じ観音」です
後白河法王の頭痛封じのおはなし

平安時代のすぐれた為政者であった後白河法王は熊野権現の信仰が篤く、
京都・今熊野以外の他にも熊野権現を勧請され、今熊野のご本尊を本地仏として
深く信仰され、「新那智山」の山号を与えられました。
後白河法王は持病の頭痛がひどく、ご本尊の十一面観音に頭痛が治るように
祈ったところ、ある日の夜、枕元に観音様が立たれ、後白河法皇の頭に光明を
差されました。するとたちまち頭痛が治ったそうです。

それ以来、後白河法皇は今熊野観音を頭痛封じの観音様として天下に
知らしめになり、ますます篤く信仰されたそうです

↓ ご朱印


← 泉涌寺七福神めぐり 第三番のご朱印
奉拝
平成二十七年十二月七日
恵比須神
観音寺

← 西国三十三カ所観音霊場 第十五番のご朱印
奉拝
大悲殿
観音寺
平成二十七年十一月五日

← 西国三十三カ所観音霊場 第十五番 ご詠歌
平成二十七年十二月七日
「むかしより たつともしらぬ いまくまの
ほとけのちかい あらたなりけり」

← 洛陽三十三カ所観音霊場 第十九番のご朱印
奉拝
平成二十七年十一月五日
大悲殿
観音寺
【今熊野観音寺】
山号 新那智山
宗派 真言宗泉涌寺派
ご本尊 十一面観音
所在地 〒 605-0977
京都府京都市東山区泉涌寺山内町32






















































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は毘沙門天と奥様の吉祥天・お子様の善膩師童子を





























