どうしても姉妹ですと姉の影響で妹のほうがおマセになりがちですが私もその傾向があったのか小学校の下級生の頃からアメリカのドラマに夢中でした

まずは「名犬ラッシー」「走れチェス」などの動物もの
ラッシーは余りにも有名ですがそれより後の「走れチェス」が私は好きでした
主人公の女の子と馬との心の交流を描いていたのですがこの女の子がとっても可愛いかったのです!
ロリ・マーティンという女優さんだったそうですがブロンドのいかにもアメリカの少女というよりは長い黒髪で憂いがあっておとなしげで‥
後に「サウンド・オブ・ミュージック」の映画を観た時
「あっ!チェスの女の子だ!」と嬉しくて小躍りした記憶があるのですが残念ながらこれは私のまったくの勘違いで‥
アンジェラ・カートライト(結構有名ですよね!)と間違えたのですが
まぁ今観てみても似てなくはないですね長い黒髪で‥
このアンジェラ・カートライトは「宇宙家族ロビンソン」などにも出演していたのですが私はすっかりチェスの女の子だと思って観ていたみたいです

まだ小学校低学年の身では調べることなどましてや今のようにネットがある訳ではないしで仕方がないですね


そんな中私が最も夢中になったドラマは何と言っても「パティ・デューク・ショー」!
「奇跡の人」のヘレン・ケラー役で当時天才子役と騒がれていたパティ・デュークがパティとキャシーという双子のようにソックリな従姉妹同士を二役で演じる青春ホームドラマのこのドラマはある程度物心ついてきた私にとってはカルチャーショックも甚だしいものでした

音譜パティ明るくて可愛い女の子キャシーは‥‥イカしてる音譜
歌詞は忘れてしまいましたがオープニングの音楽もしっかり覚えています
活発なパティは外巻き大人しいキャシーは内巻きのヘアースタイルで区別するんですよね
オープニングでパティがゴーゴーダンス(笑)みたいなのを楽し気にノリノリに踊っているシーンにはア然‥

イイな~アメリカ!
私のアメリカへの憧れはこのドラマから始まったと言っても過言ではないでしょう‥
毎回2人がそっくりなことで起こるドタバタを描いているのですが内容そのものより豊かなアメリカの生活を見るのが楽しくて自由なハイスクールライフなどにも憧れました
一生懸命髪を外巻きにしたり内巻きにしたり悪戦苦闘した思い出もあります
小学校なのに‥(笑)

その後同じ系統の青春ドラマとしては「カレン」があってこのカレンを演じたデビー・ワトソンはパティ・デュークよりもぐっと正統派美人

内容はあまり覚えていないのですがこの「カレン」でインパクトがあったのは主題歌です
ビーチボーイズの歌うこの曲はあまり洋楽に触れた事のなかった私には斬新でこれ又カレンが曲に合わせて踊り狂っていたような‥

アメリカ人って踊るの好きなんだなぁ‥と幼い私の素朴な思いでした














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やなぎやサカイヤ壺屋羽衣屋‥‥などと書くと何のお店か?って感じですけれど
この四店とも1950年代後半から1960年半ばぐらいまでの私の思い出のケーキ屋さんなんです!

やなぎやは荻窪にありました
その頃杉並区堀ノ内(今の梅里)に住む祖母の家によく遊びに行っていたのですがその時いつもお持たせのお菓子を買うのがこのやなぎやだったのです

荻窪駅のすぐ近く青梅街道に面して野村証券の辺りだったように記憶しています

そこでいつも私が選ぶのはモンブラン!
自由が丘モンブランではもっと以前からモンブランケーキを作っていましたが私にとっての初モンブランはこのやなぎやのモンブランです

銀紙に包まれたモンブランはやや大振りで(小さな私に大きく感じたのかもしれませんが)栗と生クリームとの相性抜群でそれはそれは美味しく私の大好物でした

と言ってもケーキの種類はショートケーキ、シュークリーム、サバランとあと少しぐらいだったような気がします

現在のように宝石箱をひっくり返したような煌びやかなケーキの数々が並ぶという訳ではないですがそれでもケーキ屋さんというのはいつの時代でも何故か楽しい場所です

それにしてもあの当時ケーキの定番だったサバラン最近あまり見かけませんね‥
私は洋酒に浸った感じがあまり好きではなくというよりも「このケーキはお酒を使っているからciciちゃんは食べてはいけないのよ」と言われていたのでウィスキーボンボンと共に大人のお菓子という認識でしたね

サバランは消えてもモンブランはますます発展の一途を辿りあのやなぎやのモンブランよりは小ぶりで上品ですが現在でもどこのケーキ屋さんにもあります

和栗だの紫芋だのと種類も豊富でとってもオシャレ
相変わらずモンブラン好きの私にとっては嬉しい限りです


一方サカイヤは私の住んでいた杉並中野辺りにたくさんあったお菓子屋さんです
ケーキ屋というよりは和菓子屋さんに近いイメージでバームクーヘンやローズサブレなどいわゆる日持ちのするお菓子を売っていた庶民的なお店でした

母はそのようなお菓子は銀座「ウエスト」や「クローバー」「コロンバン」などで購入していたので頂き物がサカイヤのお菓子だったりすると「な~んだサカイヤさんですか‥」といった感じで‥本当に失礼な母でした

このサカイヤは喫茶店を併設している店舗が多く私の住んでいた私鉄の駅前にもあって何かの折に何度か入ったことがあるのですが母と一緒だったにも拘らず地元で喫茶店に入るという事にちょっと気まづさを感じながらプリンアラモードやらフルーツパフェを食べていた思い出があります

このサカイヤもいつの間に姿を消してしまいました

この二店は地元のお店で決して高級店ではないのですが不思議と懐かしく思い出します

私たち家族は1960年代半ばに父の転勤に伴って兵庫県西宮市に引っ越しました
阪急夙川に何年か住むことになるのですがこの夙川での日々は素晴らしいものでした
色々素晴らしい思い出はあるのですがここではケーキの思い出を

当時夙川駅前には壺屋と羽衣屋という二店のケーキ屋さんがありました
羽衣屋ももともとは和菓子屋さんだったらしいのですが私にとってはケーキ屋さんそのもの
一方壺屋のほうはかなり和菓子屋テイストだったような気がします

相変わらず買い物好きな母は毎日と言っていい程どちらかのケーキを買ってくるのです
私が学校から帰るとほぼ毎日ケーキがあるという状態しかも母は昔から頭数の二倍のケーキを買うのが当たり前と思っていた人なので私たち姉妹は毎日二個以上のケーキを食べていたことになります
今思うと恐ろしいですが現在のように飽食を経て原点に帰るなどという感覚はなかったので仕方ないですね


それらのケーキの中から早速私にお気に入りが出来ます
名前は覚えていないのですが羽衣屋の
ケーキで大きく言えばエクレアなんです
ただシュー皮が直径3.4センチ長さ10cmぐらいの筒状になっていて中にバナナと生クリームとカスタードクリームが入っています
シュー皮の外側は半分ぐらいまでチョコレートがかかっていてその上に刻んだナッツが乗っていたと思います

バナナと生クリームとカスタードクリームとチョコレートとナッツこのコラボレーションは最強です

その後アメリカンタイプのケーキやパイなどが登場しそれらの組み合わせは当たり前のようになりましたが当時は本当に衝撃的な美味しさでした

本当に毎日食べてましたね

壺屋のケーキはどちらかというとバタークリームっぽくて
バタークリームも今となっては一周回って又新鮮な感じがしてそれはそれで美味しいのですが当時の私たち家族にとっては羽衣屋に比べるとちょっと新しさに欠けていたといったイメージでした
でも母は羽衣屋のケーキを3日ぐらい買うと間に壺屋を挟んでいたように思います


最近何十年ぶりかで夙川を訪れてみたのですが駅前もすっかり変わってしまっていて当時の面影はなかったですね
もちろん二つのケーキ屋さんもありません
私が壺屋のあった場所ではないかと思うところは千鳥屋という和菓子屋さんになっていました
記憶違いでなければ‥

羽衣屋さんはヘキセンハウス羽衣屋として門戸厄神などに店舗を構えているそうです
あの私が夢中になったケーキはもうないかもしれませんが一度訪ねてみたいです










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1960年代小田急百貨店オープン間もない頃今のハルク(確か当初はこちらだけで何年か後に現在の本館が出来たと記憶しています)の地下の1番奥に「はなや」(「花屋」だったかもしれません)というレストランがありました

と思います‥たぶん

というのもかなり長い期間存在していたと思いますし現在のファミレス規模の比較的広いお店だったにもかかわらず私以外誰一人覚えている人がいないのです

色々調べてみてもその存在を示すものは何一つ見つかりません

でも確かにあったのです!

何でそんなにこの「はなや」に拘るのかと言いますと私の記憶の中で外食が日常になった一番古いお店だからです


仕事人間の父
某大企業で高度成長期それこそ家庭を省みる暇もない程働きづくめのモーレツサラリーマン

母は都内の有名ミッションスクール出身の一人っ子のお嬢様育ち

そして姉と私の四人家族はその頃まだ武蔵野の面影を残す杉並に住んでいました

絵に描いたような普通のサラリーマン家庭の日々は

上を見ればキリがないけれど何一つ不自由なく近所の悪ガキなどには「おまえんち金持ちだなぁ」と言われるぐらいのものでした

母は享楽的と言いますか派手な遊びはしませんがお出掛けとか外食とかが大好きな人でした

今でこそ思いっきり普通ですが1960年代初めはそういったお出掛け、外食でさえも一般の家庭では日常ではなかったのです

それで「はなや」なんですが

小田急百貨店がオープンするや今まで買い物は伊勢丹や渋谷の東急本店などを利用していたのが郊外型のショッピングセンターに惹かれる心情と似ているのか何となくライトな普段着感覚が気に入ってか母はしよっちゅう小田急百貨店に行き始めました

不思議なもので小田急百貨店を贔屓にしていたのはその頃だけで何年かしたら又伊勢丹や高島屋に戻ってしまいここ数十年に至ってはまったく行ってはいないのですがオープンしたばかりできっと新しいもの好きだったのでしょうね

小学生だった私はよく学校から帰ってから母と小田急百貨店に行ったものです
姉はもう都心の中学に通っていたので姉が帰宅する前までには帰っていたのだと思いますが

そして二階か三階の子供服売場で刺繍とレースを施した白いブラウスを買って貰うのです
母は白いブラウスにチェックのスカート紺のカーディガンといった格好を私たちにさせるのが好きでした
白いブラウスは今思い出しても美しく特に夏はちょうちん袖の白い半袖ブラウスに紺と白のギンガムチェックのコットンのスカートという組み合わせが大好きでした

そんなブラウスやこれも又フリルと小さな刺繍がしてある白のソックスやハンカチなどちょっとした身につけるものを買って貰った後は「はなや」でお食事です

それにしても特に必要に迫られた買い物をした記憶がないということはやはり母は単に娘と午後デパートをぶらぶらするのが好きだったのでしょうね

昔のレストランの殆どがそうであるように「はなや」の入り口には左右に広がる大きなショーウインドがあって例の蝋細工のメニューが並んでいました

そこでいつも迷うのですよね
スパゲティミートソース、マカロニグラタン、カニコロッケあたりで‥

ここはデパートの食堂と違ってデパート内だけどレストランなので当然ながら洋食のみ
お蕎麦やお寿司、鰻などがある訳ではありません
そんなところを母は気に入っていたのかもしれません

日比谷の「松本楼」銀座の「資生堂パーラー」「アラスカ」などはハレの日にしか行きませんでしたので日常利用する事が出来る洋食屋さんは今思うと洋食好きの母のお気に入りになったのもわかる気がします
それにしても何とミートソースやマカロニグラタンの美味しかったこと!
まだピザやマックの上陸前ですので本当にその美味しさたるや格別でした

その後急速に洋食文化は発展しあれよあれよと言う間に高校時代の私はピザやサラダを食べまくっていたのですからこのあたりの数年の日本の変化って凄いですね

母は相変わらず外食好きで86歳になった今でもフレンチ、イタリアン何でもござれです

幸せなことです





























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