1960年代小田急百貨店オープン間もない頃今のハルク(確か当初はこちらだけで何年か後に現在の本館が出来たと記憶しています)の地下の1番奥に「はなや」(「花屋」だったかもしれません)というレストランがありました

と思います‥たぶん

というのもかなり長い期間存在していたと思いますし現在のファミレス規模の比較的広いお店だったにもかかわらず私以外誰一人覚えている人がいないのです

色々調べてみてもその存在を示すものは何一つ見つかりません

でも確かにあったのです!

何でそんなにこの「はなや」に拘るのかと言いますと私の記憶の中で外食が日常になった一番古いお店だからです


仕事人間の父
某大企業で高度成長期それこそ家庭を省みる暇もない程働きづくめのモーレツサラリーマン

母は都内の有名ミッションスクール出身の一人っ子のお嬢様育ち

そして姉と私の四人家族はその頃まだ武蔵野の面影を残す杉並に住んでいました

絵に描いたような普通のサラリーマン家庭の日々は

上を見ればキリがないけれど何一つ不自由なく近所の悪ガキなどには「おまえんち金持ちだなぁ」と言われるぐらいのものでした

母は享楽的と言いますか派手な遊びはしませんがお出掛けとか外食とかが大好きな人でした

今でこそ思いっきり普通ですが1960年代初めはそういったお出掛け、外食でさえも一般の家庭では日常ではなかったのです

それで「はなや」なんですが

小田急百貨店がオープンするや今まで買い物は伊勢丹や渋谷の東急本店などを利用していたのが郊外型のショッピングセンターに惹かれる心情と似ているのか何となくライトな普段着感覚が気に入ってか母はしよっちゅう小田急百貨店に行き始めました

不思議なもので小田急百貨店を贔屓にしていたのはその頃だけで何年かしたら又伊勢丹や高島屋に戻ってしまいここ数十年に至ってはまったく行ってはいないのですがオープンしたばかりできっと新しいもの好きだったのでしょうね

小学生だった私はよく学校から帰ってから母と小田急百貨店に行ったものです
姉はもう都心の中学に通っていたので姉が帰宅する前までには帰っていたのだと思いますが

そして二階か三階の子供服売場で刺繍とレースを施した白いブラウスを買って貰うのです
母は白いブラウスにチェックのスカート紺のカーディガンといった格好を私たちにさせるのが好きでした
白いブラウスは今思い出しても美しく特に夏はちょうちん袖の白い半袖ブラウスに紺と白のギンガムチェックのコットンのスカートという組み合わせが大好きでした

そんなブラウスやこれも又フリルと小さな刺繍がしてある白のソックスやハンカチなどちょっとした身につけるものを買って貰った後は「はなや」でお食事です

それにしても特に必要に迫られた買い物をした記憶がないということはやはり母は単に娘と午後デパートをぶらぶらするのが好きだったのでしょうね

昔のレストランの殆どがそうであるように「はなや」の入り口には左右に広がる大きなショーウインドがあって例の蝋細工のメニューが並んでいました

そこでいつも迷うのですよね
スパゲティミートソース、マカロニグラタン、カニコロッケあたりで‥

ここはデパートの食堂と違ってデパート内だけどレストランなので当然ながら洋食のみ
お蕎麦やお寿司、鰻などがある訳ではありません
そんなところを母は気に入っていたのかもしれません

日比谷の「松本楼」銀座の「資生堂パーラー」「アラスカ」などはハレの日にしか行きませんでしたので日常利用する事が出来る洋食屋さんは今思うと洋食好きの母のお気に入りになったのもわかる気がします
それにしても何とミートソースやマカロニグラタンの美味しかったこと!
まだピザやマックの上陸前ですので本当にその美味しさたるや格別でした

その後急速に洋食文化は発展しあれよあれよと言う間に高校時代の私はピザやサラダを食べまくっていたのですからこのあたりの数年の日本の変化って凄いですね

母は相変わらず外食好きで86歳になった今でもフレンチ、イタリアン何でもござれです

幸せなことです





























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