どうも2011年。






今年もやってきました。元旦が。








なんだか神聖な気分になってしまう1月1日。

今日だけは、みんなキレイな心でいようって思っているような日。









空気が澄んでいるような感じがする日。







お母さんに言うと、そりゃー皆休みだから車もあんまり動いていないし、工場なんかも泊まってるから空気もきれいなんだよと。







そりゃーそうでしょうけどね。







でも、みんなの心が地球の空気をキレイにしたかもしれないよ?


















年末、あと何時間かで2010年も終わりって言うときに、あの人に言ってしまった。







今までの不安の種を。








終わってしまうなら2010年のうちがいいって思ったんだ。

新しい年は、こんな不安な気持ちで過ごしたくないって思ったんだ。






ただの私のワガママなメールでした。









あの人からは、そんなことばっかり言ってると悪循環だとごもっともな意見が帰ってきて。






くどくどと長たらしいメールで訴えた結果、なんとかあの人は私を安心させることに成功しました。










おかげさまで、愛に満ちた気分で新年を迎えることが出来たわけで。









だけど、きっとまた襲ってくる不安の予感はあるんだけど、そこんとこの処理も2011年はうまくやっていかないと。












ずっといるよ。












そんな言葉だけで、充分わたしを幸せな気分にできるあの人のパワーはすごいんだと思った。








ずいぶんとあの人はいつの間にか強くなったみたいだけど、私はずっと足踏みしていたみたい。













新しい年だし、今年は細木数子によるとすごーーーくいい年になるみたいだし?

自分を信じて勇気を持って、歩き始めてもいいのかもしれない。












あの人と離れることになるんだろうと、っずーっと思っていたんだけど、不思議なの。


なんだか、血がつながっているみたいに側にいるのが当たり前で、離れられない。













変なの。









だけど、そういう運命ならその運命を消化していくしかないから、きっと意味があることなんだから、お互い必要なんだから大切にしていこうと思った。






遠いから、この澄んだ空気を一緒に吸うことはできないけど、そばにいるよ。そばにいてね。
















飛行機が夕方の便だったので、特に期待していなかった夕焼けが飛行機から見えた。




窓側の席で、雲のじゅうたんが広がっているのが見えて、地上と隔離されてる空間にいるんだなぁって思った。






娘が、雲に乗りたいと散々いうので、ここで一つ飛び降りてみたら、すごくバウンドしたりして。とか即効地上にまっさかさまなのに。



そして、雲は甘いんだって行って譲らないので、でっかい袋に詰め込んでお土産にしてあげたいと思った。

甘くてわた飴みたいだといいね。









だんだん地平線がオレンジになってきて気がついた。



あぁ、太陽が沈むんだって。




よくテレビとかでみるあの感じのオレンジ。写真にでも撮ってやろうかと思ったけど、しなかった。










オレンジに光ってる地平線は実ははじめてみたかもしれなくて。とにかく、山とかに邪魔されることがないひろーーい地球の形がくっきり。








そして窓にかけた私の手までオレンジ色に染めて、ちょっとその夕日を分けてもらったみたいだった。









だけど、私以外に窓から夕日を見ている人なんていなくて、少なくとも私から見える範囲の人にはいなくって、皆寝てたり、食べてたり、本読んでたり。








窓の外にキレイなものがあるよ?って言いたい気持ちすらなえてしまった。







人間に諦めみたいなものを感じたんだ。








どんどん濃くなっていくオレンジが最高潮を迎えて、今度はどんどん暗くなっていって消えていってしまった。








その代わりに星たちがきらめいてるはずなんだけど、もうその頃には私も周りの人たちと同じように本を読み始めた。





地上が近づくと夜景がキレイだったけど、あのオレンジには敵わなくて、東京タワーの光なんてたいした事がないと思ったよ。

ちっぽけな自分の存在にも気がつかせてくれた夕日だったよ。





世界中には笑っている人も、泣いてる人も、ぼーっとしている人も、悩んでいる人も、幸せだと思ってる人もいるけど、私から見ると皆一生懸命に生きているように見えて、だから私だって生きているだけでも美しいんだとおもった。

このブログを書かなくなって大分たつかな。



このブログがあの人との恋をメインにかいていたから、きっと恋心が薄れていくにつれてこのブログも消えていこうとしていたんだ。




そんななか、見てくれている人はいるようで、一体なにを見てるんだろう。何も得することはないのにね。







あの人とクリスマスに会えた。



結論から言うと、会わなければよかった。




クリスマスの何日か前に私から別れを告げたのだけど、あの人はそれを拒み、わたしももう一度信じてみようと思ったのだけど、会ってみても信じられるどころか、あの人の匂いとか、声とかそういうのがまた心に覆いかぶさって、忘れるにも忘れられないじゃないかという結末。



事細かに書くと、思い出すのもいやだから書かないけど。













愛されていないと思う。



あの人は愛しているという。






信じたいと思う。



信じて欲しいという。









でも、信じるなんて、ある程度の要素や事実がないと無謀にも信じるなんて、大人の私にはできっこないんだよ。





だから、愛されていないと思う。












今一番願うのは、私が誰かを愛するなんていう力を消して欲しいとおもう。











でも、わかってるんだ。



時が経てば、こんな悲しみも苦しみも全部薄らいで、あの人の匂いや声や思い出なんかも全部薄くなっていって、かすかに思い出すくらいになって、心底笑えるときだって来ること。






だから、生きているよ。








愛されていなくても、愛された記憶は永遠に残って、いつかろうそくの光みたいにほんわか心を照らしてくれるんだとおもってる。







私のことは全部忘れて欲しいとおもう。








あの人の背中は寂しそうだったから、誰か「人を愛する」ということを教えてあげて欲しいと思った。

愛されることよりも、愛することがあの人の背中を温かくするんじゃないかと思った。



もちろん相手は私じゃないんだけれど。





悔しくもないし、それが最善だと思う。










私がいなくなって、あの人がほんのちょっとだけ悲しんでくれたらそれでいいんだ。