この間フットサルやった後に、デパートで「獺祭 純米大吟醸 発泡にごり酒」を飲んだけど、めちゃくちゃうまかった。
本当にシャンパンみたいで、あっという間に飲んでしまった。
今度機会があれば、他の銘柄も飲んでみたいっす。
この間フットサルやった後に、デパートで「獺祭 純米大吟醸 発泡にごり酒」を飲んだけど、めちゃくちゃうまかった。
本当にシャンパンみたいで、あっという間に飲んでしまった。
今度機会があれば、他の銘柄も飲んでみたいっす。
たぶん日経記者のポイントは外れているんじゃないかな。だってWiiの下落基調はすでにわかっていた話だから。
今までの流れだと、ハードウェアの流行のサイクルがあり(大体数年でピークを迎えるのだが)、それが下に向かうと大体そのまま衰退し死んでいく運命にあるのだが(PSPは途中でモンハンで粘ったりしたんだが)、それを知っていればこんな見方にはならないのかと。
むしろ新しいハードがどこまで盛り上げられるかが最重要のポイントで、そこがイマイチだったからなんじゃないかと思ったりして。
度合いによるがある程度のPLでの赤字は余り関係がなく(全く重要ではないといえないのだが)、むしろそのゲームのサイクルの山の高さ、上り方の角度に対する確信の度合いを示すことができるのかが投資家の最大の関心事だとなんとなく思ったりするんだヨーグルト。
だから、ずれている感が満載な気がする(本当にそういうことが多くて、多分人種の違いなのかと思ったりする)。
焦点を「赤字転落」に絞ったからかもしれないね。むしろ将来に向けて今の3DSの状況をどう評価するのかのほうが重要で、それを指摘するのはジャーナリストの仕事ではないのかもしれないね。
終わった現象に対しての後講釈が仕事なのかもしれない(もしそうだとしても、赤字の元凶の最も重要な、つまり将来に向けて見逃していけないポイントは、Wiiではない気がするんだが)。
かなりひっかかったんで、思わず書いてしもうた、すんません。
、、、、日経 記者の目
任天堂、「3DS」だけでない赤字の元凶 (1/2ページ) 2012/1/30
任天堂の2012年3月期は連結業績が一段と悪化し、営業損益段階から赤字になる見通しになった。株価も大きく反応し、業績予想を下方修正した翌日27日の株価は一時840円安と急落し、7年10カ月ぶりに1万円を割り込む場面があった。市場の関心は円高に加え、昨年2月に発売した携帯型ゲーム機「ニンテンドー3DS」の販売不振に集まる。一方で、発売から5年を超えて投資回収期に入っている据え置き型ゲーム「Wii」の落ち込みが想定を上回った点も、見逃せない業績悪化の要因だ。
決算発表する任天堂の岩田社長(26日午後、大証)
「欧米では市場の盛り上がり時期が遅く、販売面で勢いがつくのに時間がかかってしまった」。任天堂の岩田聡社長は26日、11年の年末商戦をこう振り返った。11年10~12月期に409億円の営業黒字を計上したが、前年同期からは61%の減少。クリスマスなど年末商戦で4~9月期に計上した573億円の営業赤字の挽回を目指したが、補いきれなかった。
すでに株価は業績予想の修正を先取りする形で低迷し、1月19日にその時点での昨年来安値を更新。「営業赤字への転落が警戒されていた」(SMBC日興証券の前田栄二シニアアナリスト)。こう突き放す市場関係者が原因の1つに挙げるのが、3DSの不振だ。有力ソフトの投入が遅れ、欧米市場で販売が伸び悩んだ。国内販売は昨年末までに累計販売台数が400万台に達したが、1万円の値下げ販売の結果、「作れば赤字」の状態。「収益を犠牲にしてでも普及の軌道に乗せる」(岩田社長)苦肉の策だったが、利益への貢献は来期からとなる。
問題は3DSに限った話ではない。Wiiの落ち込みが大きいのだ。今期の販売台数を期初予想の1300万台から昨年7月には1200万台へ下方修正し、さらに今月26日には1000万台へと引き下げた。実はWii事業は売上高営業利益率で10%台後半を誇るとされる隠れた稼ぎ頭。すでに必要な投資を終え、利益回収期に入っているためだが、それが失速した。
大和証券キャピタル・マーケッツの白石幸毅アナリストは「経営資源を3DSに振り向けるのはわかるが、あまりにWiiの落ち込みが激しすぎるのではないか」と指摘する。米国では11、12月に米マイクロソフトの競合機「Xbox 360」に販売数で2倍近い差をつけられた。これまで強さをみせてきた家族需要の一部が奪われる兆しが出てきた。
岩田社長は26日の会見で、後継機「Wii U」を日米欧豪の各市場で年末商戦期に投入することを明らかにした。ただ3DSでは、携帯型ゲーム機ながら据え置き型ゲーム機と同水準の2万5000円に価格設定し、わずか半年後に値下げへ追い込まれた経緯がある。消費者の間では当時の記憶が鮮明なだけに、Wii Uでも強気な価格設定に出れば、値下げ期待から買い控えを招きかねない。新型ゲーム機の普及を優先して手ごろな価格に設定するのか、それとも利幅を重視した価格で勝負に出るのか。世代交代に入るWiiの後継機でもまた、価格戦略の巧拙を問われることになる。
(渡辺淳)
あけましておめでとうございます。
電子書籍が静かにしかし確実に進んだのが昨年でした。
日経の下記の記事は、電子書籍の社会的なインパクトとして、「来るべき本来の電子書籍が持つであろう、複数の、そして最終的には、全ての本との連係の可能性である」という点が面白かった。
ネットを介して本という固有のメディアから脱して、本同士の連携だけではなくコンシューマーが作ったコンテンツ(CGM)とも連携する形。
また今のCGMの流れでもあるように、コンテンツ力のあるインディーズ的な作家と読者との距離も短くなっていくんだろう(それは今のブログなんかでも実現されつつあるのだが)。
既存の出版社の立ち位置がどうなるかとか、あと今中古で本を売っている事業者もあるがそれがどうなるかとか、色々連想されて面白い。
、、、、日経
電子書籍は「紙の本の電子読み」を超える 情報の「連係」でメディアは激変する
村上憲郎のグローバル羅針盤(3) (1/3ページ) 2011/9/13 7:00 小サイズに変更javascript:void(0)中サイズに変更javascript:void(0)大サイズに変更javascript:void(0)保存#印刷
村上憲郎(むらかみ・のりお)
元グーグル日本法人社長兼米本社副社長
1947年大分県佐伯市生まれ。70年京都大工学部卒。日立電子、日本ディジタル・イクイップメント(DEC)をへて、米インフォミックス、ノーザンテレコムの日本法人社長などを歴任。2003年から08年までグーグル日本社長を務める。
「電子書籍」というものがある。日本でも昨年は、「その元年だ」ともいわれたような記憶がある。しかし、率直に言って、私は、いま現在「電子書籍」と呼ばれているものは、単なる「紙の本の電子読み」にしかすぎないと思っている。
ということは、お察しの通り、私の想う電子書籍は、いま言われているものとは、全く異なる。どのようなものかという話の前に、現状の「電子書籍」を、私なりに概観してみよう。
これまで世界で紙に印刷されて出版された書籍のうち、ざっくり20%が書店で買えるらしい。分かりやすく言えば、それだけの本がAmazonで新品の紙の本として購入できるわけだ。
その内の何%が、Kindle(Amazonの端末)向けの「電子書籍」として買えるのか、寡聞にして知らないが、約100万冊が、買えると言われている。少なくとも米紙ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストのほとんどは買えるようだ。
さて、米国での書籍の出版は、通常、ハードカバー版がまず売り出され、同時か少し間をおいて、Kindle版、そして、最後にペーパーバック版という順番になる。
各版の価格も、最終的にこの順番になるが、定価(リストプライス)は、ハードカバー版とKindle版は同額、半年~1年程の時間をおいて出版されるペーパーバック版は、ペーパーバック版の出版予告時点でのKindle版の実勢価格より、やや高めに設定される。ただし、ペーパーバック版の出版時の実勢価格は、最初からその定価を下回っているのが通常だ。
この事実は、古書を除き、書籍が定価でしか販売されない日本と違い、米国の書籍販売の価格政策の精妙さを感じさせるが、今日はそれが主題ではないので、この点には深く立ち入らない。
注目すべきは、Kindle版は「紙の本の電子読み」用だということが、この価格政策に端的に表れているということだ。
しかし、「Kindle版は、単なる『紙の本の電子読み』用とはいえない」という反論も聞こえてくる。
曰(いわ)く、「通信さえつながっていれば、書籍を瞬時に購入・ダウンロードして読める」「購入した書籍を最大数千冊も、持ち歩ける」「辞書機能を使えば、一発で単語が引ける」「所有しているKindle版の横断的検索ができる」等々だ。
「なるほど」と私も思うが、辞書機能と検索機能を除き、やはり「紙の本の電子読み」用だという見解を変える気にはならない。ただし、辞書機能と検索機能からは、私の言う所の本来の電子書籍の片鱗(りん)が垣間見えることは否定できない。
ということで、いよいよ、来るべき電子書籍への、私の羅針盤の見立てである。
辞書機能と検索機能に垣間見えているのは、書籍の「連係」の姿である。Kindleの辞書機能は、「今読んでいる本」と「辞書」という、2つの本の連係にすぎないが、検索機能が示唆しているのは、来るべき本来の電子書籍が持つであろう、複数の、そして最終的には、全ての本との連係の可能性である。
その連係が拡大するにつれて、ノンフィクション本における引用・脚注・巻末の参考文献リストの形態が、激変するはずだ。著者は、そのような新しい機能・形態を前提として、電子書籍を書き始めるであろう。その時、紙の本の終わりが始まるのだ。なぜなら、そのような機能と形態を手に入れた著者たちは、徐々に紙の本を書かなくなるからである。
そして、その連係は、図・写真、さらには動画に及び、ついには、著者自ら、あるいは、専門のレクチャラー(解説者)が動画に登場して、図・写真・動画を使いながら、解説を始めるに至るであろう。紙の本を含む他の書籍への導線を引くことも可能だ。
ついに、電子書籍は、読むだけのものでなく、観るもの、聞くものとなるであろう。「読者(と引き続き呼んでおこう)」は、今「読んでいる」電子書籍の薦める導線を辿(たど)るだけでなく、自らも積極的に関連電子書籍や図・写真・動画を検索し、渡り歩くであろう。
「それはもはや書籍ではない」という反論が聞こえる。“So what?(それが何か?)”とだけ答えておこう。
以上のことは、フィクション本では、さらに過激に起こるはずだ。小説と絵本とマンガと映画の見分けがつかなくなる。章・巻・Part等は、購入の単位としては残るだろうが、「読む・観る」単位としての意味を徐々に失うであろう。
「私は、文学者だ」という叫びが聞こえる。“Please be yourself.(どうぞ)”とだけ答えておこう。
購入については、フィクション、ノンフィクションにかかわらず、連係・引用・参照・導線に基づく、いわゆるフェアユース(公正利用)ルールと、コンテンツ購入の決済手段が、整備されるであろう。
そして、このようなクロスメディアとしての本来の来るべき電子書籍の主たる舞台装置は、第2回で紹介した、スマートフォン(高機能携帯電話)とタブレット端末とデジタルTV(テレビ)が合流するスマートTVである。
ここに至る過程で、ノンフィクション「本(と引き続き呼んでおこう)」においても、フィクション「本」においても、「出版社(と引き続き呼んでおこう)」や「編集者(と引き続き呼んでおこう)」の役割は、増大することはあっても、減少することはない。もちろん、自らの役割の多機能化に対応できれば、ではあるが。
クールジャパンと呼ばれる独特のメディア感性に満ちた日本のクリエーターを支えてきた、日本の出版社・編集者が、単なる「紙の本の電子読み」さえ実現できずにいる現状を一刻も早く抜け出し、来るべき壮大なる電子書籍への第一歩を、世界に先駆けて踏み出されんことを、心から祈りつつ、第3回を終わりたい。
(「村上憲郎のグローバル羅針盤」は原則、毎週火曜日に掲載します)