命日
今日は亡き母の
9度目の命日でした。

もちろん、時間の経過とともに
人ってそういうものは
自然と消化できると思うんですけど、
母の死の場合は、
それが本当に突然だったとはいえ、
その直後でもショックとは裏腹に
「死とはこういうものだ」
と受け入れている自分がいました。
自分の母は、比較的早い方でしたが、
これが遅くても、
やはり愛しい人を亡くすことは辛いものです。
残す方も残された方も
無念という場合もあります。
私も今でも、
母が見ることのできなかった孫達のことを思うと
たら、れば、の思いに寂しくなることもありますが、
出産と死は
本当に
言葉では言い尽くせない
「この時」
というタイミングなのだと
経験として思います。
子どもが生まれ成長して、
背負うものも大きくなりました。
自分の親の世代が
着実と死に向かっているのも
目の当たりにします。
決してネガティブな意味でなく、
30代後半から、
「生きる力」
が試されてきているなぁと感じます。
苦手と思って逃げてきたこと、
目をそらしてきたものは
どんどん雪だるまのように大きくなって
自分に迫ってくるし、
反対に、
自分がオープンで素直でいれば、
人の温かさに気づくことができると、
そしてそれがどんどん循環していくのを
感じています。
「生きるって悪くない」
「生きてて良かった」
そう感じられるのも
そんなとき(^^)
30代半ばで見えなかった景色が、
今は見られることが嬉しい。
歳をとることが怖かったあの頃に比べれば、
今は
こんな景色も見られるなら
悪くないと思う。
でもそれを教えてもらったのは
やはり両親、
それも母なのだと思います☆
私が自分の子どもに教えたいこと、
教えるだなんておこがましいけれど・・・
一番望んでいるのは
そういうことなのかなと
つらつらと考えました。
少し寂しかったけれど、
心のどこかに母の愛を感じて
言葉に表せぬ温かさに包まれたような、
そんな一日でした・・・☆
9度目の命日でした。

もちろん、時間の経過とともに
人ってそういうものは
自然と消化できると思うんですけど、
母の死の場合は、
それが本当に突然だったとはいえ、
その直後でもショックとは裏腹に
「死とはこういうものだ」
と受け入れている自分がいました。
自分の母は、比較的早い方でしたが、
これが遅くても、
やはり愛しい人を亡くすことは辛いものです。
残す方も残された方も
無念という場合もあります。
私も今でも、
母が見ることのできなかった孫達のことを思うと
たら、れば、の思いに寂しくなることもありますが、
出産と死は
本当に
言葉では言い尽くせない
「この時」
というタイミングなのだと
経験として思います。
子どもが生まれ成長して、
背負うものも大きくなりました。
自分の親の世代が
着実と死に向かっているのも
目の当たりにします。
決してネガティブな意味でなく、
30代後半から、
「生きる力」
が試されてきているなぁと感じます。
苦手と思って逃げてきたこと、
目をそらしてきたものは
どんどん雪だるまのように大きくなって
自分に迫ってくるし、
反対に、
自分がオープンで素直でいれば、
人の温かさに気づくことができると、
そしてそれがどんどん循環していくのを
感じています。
「生きるって悪くない」
「生きてて良かった」
そう感じられるのも
そんなとき(^^)
30代半ばで見えなかった景色が、
今は見られることが嬉しい。
歳をとることが怖かったあの頃に比べれば、
今は
こんな景色も見られるなら
悪くないと思う。
でもそれを教えてもらったのは
やはり両親、
それも母なのだと思います☆
私が自分の子どもに教えたいこと、
教えるだなんておこがましいけれど・・・
一番望んでいるのは
そういうことなのかなと
つらつらと考えました。
少し寂しかったけれど、
心のどこかに母の愛を感じて
言葉に表せぬ温かさに包まれたような、
そんな一日でした・・・☆