私は父方の祖母が大好きだった。

その祖父母が同居していたこともあり、お年寄りと一緒に暮らすことは私にとっては普通だった。あと、世間一般で言う、嫁姑の諍いも少なくとも私は感じていなかった。


子供と言うのは物事が判断できなくても、うまく説明出来なくても家庭内の空気を読み取ることは聡い。それを感じることなく、例えちょっとした思いは母も祖母もあったとは思うが、実の親子のような関係を築けていたのはお互いの努力だろうと思う。


昔、祖父母は商いをしていて戦時中、焼け出された親戚が逗留していた。子供の叔母はある日祖母になぜ、あの人達は自分の家に住んでいて、食事の世話を自分達がしなければならないのか?と、子供心に素朴な質問として尋ねたことがあったらしい。


穏やかで一度も声を荒げたことがない祖母が、”今後一切、そんな事は口にしないように”と、はっきりと厳しく叔母に言ったようで、その剣幕に叔母も言葉がでなかったと後には私に漏らしたことがあった。


その祖母が晩年、少し痩せたと思っていたら胃がんの末期で手の施しようがなくなっていた。おそらくそれまでに何らかの信号は感じていたはずだろうが、明治生まれの祖母は我慢強く、そのままやり過ごしてしまったのかもしれない。


あれほど孫には分け隔てなくどの孫も遠方だろうが近くだろうが惜しみなく愛情を注いでもらった祖母の最期が痛みとの戦いで消耗していくのを為す術もなく見ているだけの私は、”なぜあれほど優しい祖母が、こんな目に最期の最期に会うのか!”と怒りを感じ、祖母の亡き後、随分時間が経つと言うのにそれでも、その思いは今も燻っている。


人の業…その星の下に生まれたとか運命と言えばそうなのかもしれないが、シニアの入り口に立ち、ふと考えさせられる。