小学校2年生の時だった。
給食当番で配っている時に担任の机の上に何かをぶち撒けてしまい、焦った。クラスメイトがすぐに雑巾を持ってきてくれ、私は証拠隠滅に励んだ😅。
ほとんど実害はなかったものの、あるカードが水浸しになり慌てて拭いてホッとしたのも束の間、そのカードはなんと担任の私に対する感想がかいてあった。
“おませな子”
と書かれてあったのを今でも覚えている。
おませ?どんな意味だろうか?と小学2年生の私には何度も考えてみたけど正解な意味合いはわからず、ただなんとなくあまりいい意味合いではないようだと感覚的にぼんやりとわかった。
時は移り、ある朝私は母のセーターを借りた。色の組み合わせが偶然良く合い、それを着て学校に行こうと思ったら母親からいきなり頭ごなしに”そんなませた格好をしなくていいの!着替えなさい!”と言われた。
セーターにブラウスの組み合わせの何処が悪いのか、紫系の同色で我ながら綺麗な色合いと思ったがどこが”悪かった”のか今でもわからない。それ以来、そのセーターとブラウスを見るたび苦い思いが湧き上がったのを覚えている。
そのとき、”おませ”と言うのは生意気と見られていたんだと思った。ただ、何が生意気だったのか自分でもわからない。特に子供は無防備で社会性も育つ途上にあるので、ある意味全てを曝け出す。それを大人がみると嫌がられたり、なんとまぁ..と思われる行動や発言もする。
おませ=良くないこと
と思い、素敵だなと思ってもそれをそのまま適用しないで、なんだかひとつボタンを掛け違えたようなことをして大人受けすることを覚えた。
出るほどの杭を持ち合わせていない私だけれど、隠さなければいけないのだと学んだ。
そして今はアメリカ…来て間もない頃に履修した英語の夏期講習で”貴方の個性を出しなさい。人と違うんだと言う点を出しなさい。私は図書館で調べてきたものには興味はない!”と言った教師の言葉が甦る。
次第におませと言う呪縛から解き放たれて行く自分がいる。
