時々亡くなった両親のことを思うことがある。


で、ちょっと思いだしたら”悲しみ度”を確認する。


母、父を見送った後のそれぞれの1ヶ月は辛かった。

外国に住んでいるとある年齢を超えたら留守電(もう今は固定電話は使ってないけど)のランプが点灯していると”ヒャ”っとしたもので、ドキドキしながら聞いたらムカつくセールス電話だったり。


両親それぞれのお通夜に間に合うよう飛行機に飛びのり、まるで”就寝!”と機内のライトが消えると”泣いてもいいよ”と言われたようで、静かに泣いたことがある。


私の悲しみ度は、時間が過ぎる毎に寂しさにかわりさらに懐かしさが加わるようになった。


困った時に”どうしたらいい?”と尋ねていたり、”これ、好きだったメロン、今年は美味しいのよ”と呟く私がいる。


取り乱した悲しみが、何度も何度も繰り返し牛のように反芻する中で整理されて行くのかもしれない。


日本はもうすぐお盆だなぁ….