彼女の家族は神戸に元々は住んでいた。


戦災で神戸を逃れ、さらには父親は戦死し、私の祖母が住んでいた街の市営住宅に引っ越してきた。その後は彼女の母親は小針仕事をしながら彼女とその弟を女手一つで育てた。


私の祖母と彼女の母親がなぜ親しくなったのかは知らないが、お互い気が合ったのだろうと思う。私の母もずっと洋服はこの母娘に頼んで作ってもらっていた。その関係で、祖母の家に行った時は何度かこの人の家にもお邪魔したことがある。ちょっと見、日本人離れした顔立ちで背が高く話し方や物腰は品があり、当時5才くらいの私でも何が違うのか説明できなかったけど、”ちょっと違う”雰囲気を感じていた。


洋裁の腕が良かったらしく家にはかなりの生地が置いてあり、子供心に珍しいアイロン台(丸い形)を見て、これは何に使うのか聞いた記憶がある。


娘の彼女はずっと洋裁を自宅で彼女の母親とし続けて、浮いた話しもあったのかもしれないが、独身のまま今に至る。


一度、母が自分の弟を彼女に紹介したことがあったとその人から、母の死後に聞いた。だけど縁がなくそのまま。彼女が当時、私の叔父に当たる人をどう感じたのかわからないが一度だけ映画を観に行ったらしい。


私も子供の頃、何着か洋服をし立ててもらった記憶がある。母から私の希望なんて聞いてもらったことはなく、一方的に母親の意思で決められた洋服で中には子供心にも”ダサっ!”と思うものもあった。


暫くして、彼女の母親が透析を受けているときいた。

“えっ?あのおばちゃんが?”と私は幼くても驚いた。そして残念ながら、数年後には鬼籍に入られた。


その娘になる彼女も亡き母とは長い付き合いの友達になり、今では80才を超える。”昔はデパートなんて地元にはなかったから、洋服は仕立ててもらうしかなかったのよ。私も最初は洋服を縫うことはさせてもらえなかったのよ。サイズを測るだけ。だけど今じゃ体裁のいいものがすぐに手に入るから、仕立てた服は身にあって着心地はいいけどデザインはやっぱりねぇ…”と笑いながら話してくれたことがある。


暫く彼女とは会っていない。次回は必ず会おうと思う。