やはり中学生の時の社会科の教師。


いやー、この教師も変わっていた。若い教師だったけど髪はボサボサ、服装もネクタイがあるだけマシ?と言う程度だった。だけど子供心に思ったのは、ちとヤバくないかい?だった。


某有名国立大卒業。

授業が1960年代の社会に進むと俄然、当時のことを自分の経験を交え実況中継さながら、なかり熱がはいる。


あからさまに”◯◯は国家権力の◯だ!”とか、”俺は屈従しない!”とか彼が大学時代に経験した”気をつけろーっ!後ろ、鉄パイプ椅子!”と叫ばれて、思わず頭をひっこめ難を逃れた話し😱とか、学生運動の話しやら、過激な話を精神的にもフニャフニャした柔軟な時期の生徒に、しかも授業中に言うことなのだろうか?と思った。


“この高学歴でこのまま黙って(普通の授業を行って行けば)行けば、アンタにも出世が約束されているのに..”と言われたけど自分にはそんなもの、どうでもいい、余計な世話だっ!とムカつく気持ちも授業で吐いた。😅


確かに私は年端もいかなかったが、”この先生、ちと思想的にヤバい…?”と思ったことは覚えている。この教師がいつか病欠した時に、同じ教科のベテラン教師が代理で授業をし、私達の前で本来の社会科担当教師の名前を聞かれたので言うと”アイツは授業をしとらんだろが?”と吐くように言ったことは今でも覚えている。これもいまから思えばどうよ?発言だけど、教師と言えば生徒にとっては、教えるだけの面しか見えないので、よくわからなかたったが”先生の世界も色々あるみたいだけど、やっぱりあの先生、異端児なんだわ”と思った。多分頭もよく、弁がたつ分、教員間では煙たい存在だったのかもしれない。


“就職が決まって髪を切って来た時、もう若くないさと君に言い訳したね…”


この教師を思い出すたび、昔流行った歌詞が思い出される。今になってみれば、彼は”公務員”になってしまった自分に腹立たしいものを持っていたのかもしれない。誰も生活していくには収入が必要になる。燻る闘志や思想だけでは生活はできない。


あの頃、彼は自分の現実と理想のギャップに喘いでいたのかもしれない。