先日相方が病院から書類を貰ってきた。


何かと言うと病院に運ばれて万一の時、どうして欲しいかと言う意思を表明するもの。



今までも何度か病院で手術をする前に簡単に聞かれたことはあるが、確かに手術になると何が起こるかわからないのでもしもの時は、どうして欲しいか医者も記録に残しておかないといけないよう。


だけど高齢者世代に突入する今、これがもっと本格的になったようで、相方と二人でそれぞれフォームの質問事項に従って記載する。


“心肺停止の状態の場合、とりあえず人工呼吸器を試してみるか?”とか、”心肺停止だと言われたら延命措置は取らない”とか、なかなかシビアなことがダイレクトに書かれてある。


勿論何度でも書き直して提出でき、この記録は自分の主治医に行くらしい。だけど人の気持ちや考えは、自分が人生のどのステージにいるのかによって変わってくる。


例えば、今はどんな事をしても延命して欲しいと思っていても、時間が経つともう何もして欲しくないと思ってしまうかもしれない。


死は避けられない。誰にも平等に訪れる。

死は禁忌なものとして扱われてきた。大っぴらには言えないこと、縁起でもないこと。命の誕生と比べるとひっそりと取り扱われる。だけど、生と死は背中合わせ。


私も誰に言われた訳でもないが、死は忌み嫌うものだと言う感覚があった。だけど今になって思うとどちらも大事じゃないかと考えるようになった。


自分の人生、終わりは自分で決める。