今日は、私自身の闇について。


役にも立たない、どーでもいいことばっかりブログに書いてますが、実は、小学校6年から中学3年まで、毎日の生活が辛くて(イジメとかではなく)、自殺をずーっと考えてました。


あの頃は、今から思うと何故、あれほどにしんどい、、と思っていたのかわからないのですが、自分の中にいる自分と外から見ている自分のバランスが取れなくて自分を責めてばかりいました。何で自分はこんなにバカなのだろか?とか、こうありたいのにそれができてない、、とか。もがきながら息がなんとかできてる状態で、あの頃は精神衛生の概念すらない時代で、どこに、誰に相談していいのか分からず、1人ぼっちで寂しい時でした。


“私が死んだら、両親は泣くだろか?”とか、どうやって死ぬのが楽だろうか?”とか。


もう完全に”死”に取り憑かれていた時期でした。


結局、その時期をなんとかやり過ごし、社会に出て上司からの壮絶なモラハラ、パワハラを受けてかなりしんどい思いもしたのですが、何故かその時は”死”は一度もでてこず、わかりにその上司がひたすら”地獄に堕ちる日”を夢みて毎日、呪いの言葉を吐き😅、時間がかかったけど、見事に這い上がれないほどの、再起不可なほどの奈落の底まで堕ちてくれました👍。こんなことを書くと地獄から来た使いの者に聞こえますが、そうだったかも😅(げっ!)。いやーこれは、私に強力な呪いの力があるのではなく、また私がその奈落の底まで落ちるように工作したわけでもなく、因果応報で自ら飛び込んで行ってくれました!つまりは、自分の行った行為に対して、その人が行った倍以上のお礼返しできただけのことです。勿論、どんなにいやな奴でも順風満帆で来ている人もいますが、自分にバチがあたらなくても身近な人に返ってくることもあり、それが結果、その人が苦しむことになる可能性もあります。


今、この年齢になって思うのは、急がなくてもみんなに死は訪れると言うことです。死に取り憑かれた時期から今度は死の心配をしています。どうすれば、迷惑かからないようにキチンと後始末が準備周到にでき、+~トントンで人生の帳尻をあわして、スッキリ旅立てるのか?って。


ふと未だに、ひとしきり悩み辛かった日々を思いだすことがありますが、あの時期、真正面から強風をうけることしかできなかった不器用な自分にちょっとだけ”頑張ったね”と声をかけている今の自分がいます。