私達の年齢になると親族が亡くなると色々と法律上の手続きが持ち上がることがある。


法律上の手続きと言うと、ため息のイメージなんだけど、まさにそれ。亡くなったのは相方の叔父にあたる人だった。子供もなくひっそりと夫婦二人で住んでいた。時折、近所に住む姪が様子見がてらに訪れていた。何がきっかけだったのか憶えていないが、近所の人の連絡で叔父夫婦の異変を知り、慌てて家を訪れた途端、鼻をつく異臭。


叔父が台所で倒れたようで、そのまま亡くなったらしい。ただ、叔母は健在だったとはいえ、アルツハイマーで何も出来ず、姪が会った時はまさに骨と皮だけだった。叔父が台所で亡くなったのさえもわからないまま、それでも何かが変だとは思ったのだろう、叔母が、亡くなった叔父の顔に新聞紙をかけていたと姪が話していた。幸い、叔母はある女性が病院に連れて行ってくれたようで、それはよかったと言えば、よかったのだが。関係各所に姪が連絡をしたものの、亡くなった叔父の遺体の処理やその後の処理は相当大変なものだったらしい。


姪が連絡を受けて叔母が入院している病院を訪れた時、ナースから、”親族の女性の方が先ほど一緒に来られ、姪子さんだと言われたのですが、あなたは?”と、驚きの衝撃の発言。色々と調べたら、姪だと名乗った人は、全くの他人だった。彼女は、叔父の家の鍵を速攻で変えたと言う。


なんとも恐ろしい話。😱


そうこうしているうちに叔母が、後を追うようにして数日後に亡くなった関係、法律上の権利や手続きは全て相方側の親族がすることになった。姪が主になって事務処理を弁護士とやりとりしていたのだか、相続が持ち上がった途端、暗礁に乗り上げた。1人、見つからないままの相続権のある親族がいる!この人を期限付きで探し出さない限り、コトは前に進まない。姪は、日本でいう興信所を雇って1年かかって探し出した。


いやー、この最後の1人を見つけ出す間の1年は、日頃会ったことも話したこともない親族が”一致団結”して頻繁にメールのやり取りをしていたのを、部外者の私は興味深く見ていた。$が絡むと、利害が一致すると、、フーン、、なるほど。これが現実なのよね。


事務処理が終わると、まるで蜂の子を散らしたように誰もが自分の日常へ戻って行った。


姪には2度ほど会ったことがある。地元の高校の元教師でフランス語を教えていて、当時、私の精一杯の英語にアドバイスをくれたり、色々優しくしてもらった。相方とも年齢が近いこともあって仲が良かった。その彼女が、事務処理が完了した後で、相方に、”叔父さんが持っていたクラシックカー、憶えてる?私が最後に訪ねた時は、ガレージにあったのよ。それが今回訪ねたら、全く違う車になっているの。僅か数週間の間に、よ。”と相方に電話をかけてきた。車好きの相方なので、その車はよく憶えていたらしい。


相方は、彼女に車両局に行って調べてもらったらどうかとアドバイスした。車両局だと次の持ち主が車両登録していると探しだせるかも?らしい。


彼女も車両局で調べてみたが、やっぱりわからなかったようだ。


ブラウンで1950年代のクラシックカー。叔父が存命中に相方は見せてもらったことがあって、ほとんど叔父はその車に乗ることはなく、彼の宝物として大事にしていたと言う。


*写真はお借りしました。



街中で今でも稀にクラシックカーを見かけることがあるが、クラシックカーを見る度に会った事もない、相方の叔父のことを思う。