再来週に、知人に会うことになり、夕食に招待された。
“人様にご招待をうけた時は手ぶらで絶対に行くな”と亡き実母にいわれた相方、何を持っていく?という話になり、近所にあるベーカリーのパイ(美味しいの💕)を持っていくつもりでいた。
昨日いきなり相方が、それもいいけどホームメイドクッキーが絶対にいいと思う、と言ってきた。確かに何度も作っているココナッツクッキーはあるけど、なんだかホームメイドって…ねぇ?と思っていた私とはこの辺り、感覚が違う。相方曰く、買ったものは誰でも手に入るけど、ホームメイドのあのクッキーは買えないから、絶対にそれがいい!と言いはる。
しゃーない、作るとしてクッキーを入れる箱はどうするよ?となり、相方が、私の”空き缶コレクション”からひとつ”犠牲”にすればいいと言う。
えっ?あのコレクションから?い、いやなんだけど🥲。
確かにただのお菓子の空き缶や箱なんだけど綺麗なので取って置いた殆どが日本からのもの。相方が選んだのはこの空き缶の左のもの。
これはいとこからもらった高級おかきが入っていた缶で東京国立博物館シリーズの3缶のうちのひとつ。しっかりしたアルミ缶。ほかの候補も挙げたけど、多すぎるとか小さすぎるとかで却下。
これが日本人の人へ、だったら躊躇はないんだけど、ウーン、それ以外だと速攻でリサイクル行きになるかも。😭
そんなん、イヤー!絶対にイヤー!
って、他人から見れば何をそんなん大袈裟な、たかが缶じゃない?って言われればそれまでなんだけど。
この躊躇は、多分、どんなに綺麗にラッピングしたところでバリバリ破かれてしまう光景を何度もアメリカに来て経験したからだと思う。
いただきものは、ただ単に物だけじゃ無くて贈ってもらった人の気持ちもいただくと言うことは文化にないのかもしれない。