振り返り作業開始です | Sweet&Spicy

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令和元年9月21日を以て
しばらくお休みさせて頂くことに致しました。

いつ戻れるかはわかりませんが
ブログはこのまま残しておきますので
よろしければ過去の投稿をご覧くださいませ。

こんにちは音譜

 

横須賀は雨の日曜日雨

 

今日は息子とふたりで 

のんびり過ごしたいと思っていますよ。

 

 

 

 

さて・・・

ずっと考えていましたひらめき電球

 

どこからどうお話したら良いのか。

どんな風にお話すれば気持ちが伝わるのか。

 

でも、、考えても考えても

正解なんて見つかりそうもないので

もう思ったままにお伝えしていくことに致しますキラキラ

 

 

 

 

 

実は15年以上も前に

私はホームページを立ち上げました。

 

「私の体験が少しでもどなたかのお役に立てれば…」

そんな思いで言葉を綴っていたんです。

 

私にとっては とても大事な場所でした。

 

素直に正直な思いを語り

多くの方と出逢い

心を交流させて頂きましたからね。

 

でも・・・ 様々な思いから

その場所を離れ 長い年月が流れました。

 

 

 

そのホームページで綴っていたものに

少し手を加えながら ここで新に

自分を振り返る作業をスタートさせて頂きます。

 

テーマは『Confession』

告白・自白といった意味合いです。

 

ゆっくりペースでの更新になるかもしれませんが

気長にお付き合い頂けると幸いです。

 

 

 

父が他界したのが2001年12月

その1ヵ月後に

自分の気持ちを整理する意味も込めて

Confessionが始まりました。

 

時間の表現にズレが出てしまうかもしれません。

予めご承知おきくださいませ。

 

 

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はじめに

 

父が亡くなって・・・早いものですね、1ヶ月の時が流れました。

(2001年1月に書き始めています)


父は良い意味にも悪い意味にも大きな大きな存在でした。
その大きな存在をなくして しばらくは途方に暮れていた私ですが
やっと上を向いて立ち上がり
前を向いて歩み出そうと思えるようになりました。

最初の一歩を踏み出すにあたって・・・
長い長い間 自分の心の中に留めていた思いを
ここで吐き出させていただこうと決心した次第です。


時間はかかるかもしれませんが、
私なりに一生懸命に話させていただきますので
お時間が許されます時にお読みいただけましたら幸いです。

 

 


               父が他界

 

父は亡くなるまでの69年間 破天荒な生き方をした人でした。
生涯に3人の妻を持ち 6人の子どもに恵まれました。

 

最初の妻が 私と弟の母。


次の妻は 母から父を奪った女性。

腹違いの弟がふたり。
 

そして最後の妻。。。

まだ小学6年生の弟・小学4年生の妹がいます。

(今は2人とも社会人です)
 

 


2番目の妻は数年間・・・父の「お妾さん」だった方ですから
正直言って良い感情はありませんでした。
私にとっては恨んでも恨みきれない女性・・・


この方が原因で母は

何度も自殺未遂をしたのです。

 


最後の母は・・・父とは親子ほど歳の離れた方。
才色兼備の素敵な女性です。
最後まで父に添ってくださったことに感謝しています。

 


私が子どもの頃の話は、また後日お話ししようと思いますが
とにもかくにも自由奔放に自分の人生を全うした父。

 


実は・・・父と私は亡くなる数年前に大喧嘩をして別れたまま
一度も会うことも話すこともなく別れを迎えてしまったのです。


その数年間・・・父を忘れたことはありませんでした。
先に母を亡くし 親と呼べるのは父だけでしたからね

思い出さないはずはないのです。


 

けれど 私にとっては厳しくて恐い父でしたから
主人から何度もコンタクトを取るように促されても

なかなか素直に従えない私でした。
 


何度か電話をしたことはあるのです。
父が電話に出ると無言で切ってしまったのですが


「ああ元気そうだわ」

「ちゃんと生きてる」って安心したものでした。


それが私の精一杯の勇気。

受話器を持つ手が震えたこと・・・私だけの秘密の行動でした。
 

それが突然の訃報。


私の転居先は父に知らせてありませんでしたから
本当なら最後のお別れさえできない状態だったんです。


ところが・・・私の知らない間に

娘が自分の結婚の報告をしていたのです。
そのハガキで娘の連絡先がわかったのですね。

 

 


12月3日・・・
22時近かったでしょうか

突然に娘が我が家にやってきて
 

「おじいちゃんが亡くなった」 

 

泣きながらそう言ったのです。

私は「おじいちゃん」というのが誰をさしているのかわからず
娘の嫁ぎ先での話かと思って聞いてました。


「ママのお父さんだよ!」

「千葉のおじいちゃんが亡くなったんだよ」


やっと娘の言葉を理解したものの

自分が何をどうしたら良いのかわからず
取りあえず間もなく帰って来る主人の

食事の支度をしなくては・・とキッチンに戻り

自分でも不思議なくらい冷静に
「今しなくてはならないこと」を一生懸命にこなしていました。

そんな私を見て娘は


「なんでご飯なんて作れるの!?」


「自分のお父さんが亡くなったんだよ!」

 

「どうして泣かないの!? ママは冷たいよ!!」


「ママなんて大嫌い! ママなんて最低!!」
 

大きな声で怒鳴り散らして帰って行ってしまったのです。

 


そうですね・・・

自分の親が亡くなったのに涙ひとつこぼさず
主人の食事の心配をするなんて

私は冷たい人間なのかもしれません。
 

号泣してその場に泣き崩れるのが

自然だったのかもしれませんね。

でもね・・・ あの時の私は

父の死を現実と受け止められずにいたのです。


まるで夢の中にいるかのようで

歩いていても地面に足がついていないような
そんな感覚で動いていたように思います。

 

キッチンに立っているとき

ふ~っと私の後ろを誰かが通り過ぎました。

 

いえ、、実際は誰もいません。

通り過ぎたような気がしただけです。

 

そして・・・その後にはお線香の香りが。。。

 

 

あ~ 亡母だ。

亡母が私を心配して来たのだと確信しました。

 


 

弟とは亡母の葬儀以来 完全な絶縁状態でしたが

そんなことは言っていられません。

現状や葬儀の日程を聞くするために連絡をしました。
 


弟との電話で感じたこと

 

私は招かれざる客

 

 


「今まで疎遠にしておいて、
 こんなときだけ顔出しして欲しくないって言うのが俺の気持ち」

 

冷たくそう言われたのです。
私はもう 身内だと思われていない・・・

 

父の他界は まだ実感がわかずにいた私でしたが

突き放すような弟の声は 胸に突き刺さりました。

 

帰宅した主人に状況を説明しなくては…と

最初は冷静に話していましたが

話しているうちに涙が溢れ出し 

言葉にならないほど号泣していました。

 

一気にいろんな気持ちが吹き出したんですね。

寂しくて・悲しくて・辛くて・・・

 


でもね、主人が言ったんです。
「誰に何と思われても 何を言われても関係ないじゃない。
 あなたはお父さんとお別れをしに行くんでしょ」


「これが本当に最後なんだから

 ちゃんとお父さんをお見送りしてあげなくちゃ」

 

主人は「一緒に行く」と言ってくれましたが

父と絶縁する原因となったのは

主人との結婚に反対されたこと。


私たちの再婚は父に認められいませんでしたから

主人は公に顔を出さないほうが良いと判断。


せめて 顔さえ見てもらったことのない孫の
末息子だけを連れて葬儀に行くことにしたのでした。

 

 

当時は主人の転勤で山形在住。

 

怖いほど偶然なことに 主人は翌日

横浜の会議に参加することになっておりましたので

2歳の息子を連れての新幹線の移動は一緒に。

 

不安定な精神状態でしたから

とても心強かったことを覚えています。

 

今思いますと こんな偶然も

本当は偶然なんかじゃないのかもしれないと・・・。

 

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今日はここまでにしておきます。

 

振り返る作業って

想像以上に心のエネルギーを消耗するんですね。

 

ちょっと息切れです(笑)