ご報告
9月24日、すばるが亡くなりました。
19年6ヶ月24日生きました。
最愛で最高の息子でした。
今年3月1日、無事に19歳の誕生日を迎えられたすばる。
ですがその日の夜、急に食事を全て吐き出して体調を崩しました。そしてご飯を食べても吐くようになりました。
脳腫瘍の診断を受けてからある程度は覚悟していたつもりでしたが、ずっと元気にしていたのに何故?という思いの方が強かったです。
本当に何も食べたくないの?
いろんな食べ物を口元に持っていき様子を見ました。
するとペーストにしたカボチャだけは少し舐めたんです。
当時はプリンやパンなどとにかくなんでも食べてくれそうなものを準備したのですが、カボチャに興味を示してくれたことで「これならいける!」と確信。
人間でも体調が悪くなった時にはまず重湯からだよね、と、まず重湯を与えました。
すばるは与えた全てを食べました。
そして夜にはカボチャのペーストを加えたものを完食。
翌日はお肉を加えたもの、野菜を加えたもの…と少しずついつもの食事に戻していきました。
ただ1つ、それまですばるの食事に入れていた人参だけは消化できずに吐き戻してしまったので、人参は省くようにしました。
そして無事元気を取り戻したのです。
それからしばらくは落ち着いた日々でした。
毎日5回くらいはご飯を食べて(一度に多く食べると戻してしまうので少量に分けて3時間おきくらいに与えてました)、とても良いウンチをしていました。
ただ次第に後ろ脚が弱くなって立てなくなり、ご飯を食べさせるのが難しくなったので車椅子を買いました。
脳腫瘍のせいで立たせるとその場で左回りにぐるぐる回ってしまうすばるでしたが、この車椅子に乗ると(私がゆっくり押してあげると)廊下を少し歩くことができました。
何よりご飯を食べさせるのが楽になりました。
でもそれも数ヶ月のみ。
やがてご飯を食べた後によく愚図るのを不審に思い獣医さんに相談したところ、車椅子に乗ることで曲がってしまった背骨が強制的に伸びてしまうので痛いのでは?と言われ、ハッとして車椅子に乗せてご飯を食べさせるのをやめました。
それからはもうご飯のたびに膝に乗せて食べさせていました。
この頃になるとご飯台を使うことも難しくなり、片手ですばるを抱え、片手で器を持って食べさせるのが常になりました。
毎回器に残ったご飯を手に取って食べさせるのですが、何度指を噛まれたか分かりません。
嗅覚や触覚も衰えていたのでもうご飯なのかママの指なのか区別が付かなくなっていたんです。
無駄に?前歯の並びが綺麗だったので噛まれると強烈に痛くて何度も流血しました。
指先なので痛いんです。
そして噛み付くと離さない!まるでスッポンのようでした(笑)
それでも可愛くて可愛くてたまりませんでした。
(お薬をご飯に混ぜていたので食べて30分くらい経つとスヤスヤ寝てしまいます。)
この頃は寝顔が可愛くて、よく隣で添い寝してました。
それでも少しずつですが確実に脳腫瘍は進行していたようです。
脳腫瘍からと思われる発作が昼夜構わず出るようになり、安定剤を飲ませることが増えていきました。
そうした日々を送って19歳6ヶ月を迎えた先月。
あと10日したら19歳7ヶ月になるねと思っていた矢先。痙攣発作とは違う脳腫瘍の発作と思われる発作が起きました。
ひたすら前足をバタバタと走るように動かし続けました。動けなくなった後ろ脚も少しですがバタバタと動かします。それがずっと止まらないんです。
心臓が悪くなっていたすばるがこのまま動き続けるのは危険だと判断し、安定剤を少し増やして与えました。
動いて喉が渇いていたおかげでヨーグルト水に溶かした安定剤をごくごく飲んでくれました。
そしてやっと動くのをやめて眠ってくれました。
薬を増やしていたのでご飯の時間になっても起きません。
あまりに起きない時は無理に起こしてご飯を食べさせようとしましたが一口食べるもののそのままご飯の器に突っ伏して眠ってしまうことが2日ほど続きました。
そして食べることも飲むことも拒絶するようになりました。
私はいよいよその時が近いのだと悟りましたが、頭では理解していてもやはりまだ逝ってほしくないという思いが大きくてずっと抱きしめて一緒に寝ました。
(この写真はまだ生きている時のすばるです)
そして最後に私の膝の上でニコッと笑い、その後静かに息を引き取りました。
おそらく24日の14時30分過ぎだったと思います。
というのも、実はあまりにショック過ぎてすばるの最後の記憶がないんです。
記録として最後に撮っておいた写真の時間からおおよそのその時を想像するしかありませんでした。
夫には15時半にメールで亡くなったと伝えていましたが、それまでかなりの間すばるを抱いて号泣していたことと、静かに息を引き取ったことしか覚えていないんです。
こんなことは初めてです。
正直父が亡くなった時もここまでではありませんでした。
ふわふわで温かくて可愛いすばるを火葬するのは嫌でした。
でも季節柄長く置いておくことは出来なくて…
26日お空に帰りました。
とても綺麗な青空でした。
お骨になったすばるはとても綺麗でした。
尻尾の先までしっかり骨があって、喉仏は本当に仏さまが手を合わせているような姿をしていました。
それからはもう毎日色も味もない世界にいるようです。
すばるに会いたくてたまりません。
いつも側にいて息遣いも匂いも全てそこにあったのに…
主のいなくなったベッドだけがぽつんと寂しそうに置かれてます。
(私はこの穏やかな笑顔が大好きでした)
実は一昨日まで朝起きた時にすばるの声が聞こえていました。
空耳だと思われるかもしれませんが、荼毘に付した翌朝はフゥンといつもの声。その翌日はすばるを寝室から連れてくるのが遅れたからかワン!とちょっと怒った声がしました。
(いつも寝室で一緒に寝て朝起きるとリビングに一緒に行っていたので、お骨になった今も同じようにしてます)
だけど今朝は何も聞こえませんでした。
寂しいです。
空耳でもいいから話しかけてほしいです。
できることならまたそのモフモフを抱きしめて前脚の間に手を入れてホカホカした体温を感じたいです。
まあるい頭にキスしてすばるのかおりを嗅ぎたいです…
人生の3分の1近く側にいて、この2年半はほぼ片時も離れず介護したり添い寝して過ごしました。
あのガウガウ犬が介護するようになって家でシャンプーしたり爪も切って足指の間の毛も切らせてくれて感動したものです。
毎日目ヤニを拭いて目薬さして、耳が悪くなると掃除をしてお薬入れてお耳揉んで…
脳腫瘍ができて痙攣発作が何度も起きるようになった時、心臓や腎臓の値が悪くなっていたのでお散歩は禁止になり、ストレスがかかる通院もよほどのことがない限りしない方が良いということになって、すばるの調子が悪くなると病院に電話で指示を仰いで私が全て処置していました。
すばるも分かっていたのか少し嫌がっても大人しくさせてくれました。
歳を重ねてすっかり穏やかになった笑顔がとても好きでした。
元々よく笑う子でしたが、家にいるようになってから、より穏やかな笑顔を見せてくれるようになりました。
すばるは死後硬直がなく、手脚もふにゃふにゃしていてずっと触っていたくなる可愛さでした。
お腹もほんのり温かい気がして、火葬までの2日は何度もなでなでしてお手手とあんよをにぎにぎして、頭をなでなでしていました。
24日に亡くなったのですが、翌日と翌々日は夫が仕事を休んで一緒にすばるの側にいました。
週末夫が共に寝ていた寝室を掃除して、私は昼間一緒にいたリビングを掃除しましたが、何故かその後全くすばるの毛が出てこないんです。
以前は掃除をしてもその日のうちにどこからかすばるの毛がほわほわと部屋の隅にたまっていたりしたものでした。
それが今は何もないんです。
換毛期だった訳でもないのに毎日すばるから抜けていたんだなぁとまたしみじみと寂しく思うのです。
まだ悲しみの只中にいて何事もやる気が出ず呆けています。
これからもまだ辛い日々は続くのだろうなと思いますが、すばるは今までもこれからも私の唯一の最愛の息子であることは変わりありません。
これまですばるを応援してくださったみなさん、ありがとうございました。