昨夜の走りっぷりの良さには驚いた。(車ですが)
昔の私を思い出していた。
運転しながら、
この「楽々」はなんだ?と考えた。
平衡感覚は今だ怪しく、特に上下の動きに弱い。
物を持って階段を降りる時のもたつきは相変わらずだが、
目の方は正常に近づいたような気がしてる。
視界に入る景色は相当曖昧でなければいけない。
目に入る物全てが曖昧でないと、疲れて仕方がないのだ。
進行方向を必死に見て、
ガードレールの足や、歩道の白線の本数等まで気にすることはない。
見える物はざっくりで良いのだ。
誰かの顔を覚えるにも、特徴を掴んでいればよくて、
まつげの数や、爪の形などどうでもよい。
曖昧で丁度いいのだが、意識してそうなってるわけではない。
逆に、曖昧になれず、
意識してないのに、細々しいものが目につくというのはとんでもなく疲れる。
一日に起きてられる時間が限られてた頃、
(ウルトラマンか(^▽^;))
眼を開けてるだけで疲れて仕方なかった。
首も肩もガチガチに凝り固まり、
「頭痛」は、内部ではなく頭皮に起きた。
痺れも始終あって、「頭が痺れるってやばすぎでしょ(--;)」と思えてた。
今だから言える、本当に辛かったったし、そんな症状だったんだと。
これを病院で言っても、
「精神的なもの」と、
ストレス溜めず、よく寝なさい。としか言われない。
確かに、それは間違ってはないでしょうが、何の解決も望めないので言うことすら辞めた。
その頃の私。。。。
窓のサッシのわずかな部分に、通りすぎる車が微かに写り込む。
一瞬で通りすぎる小さな影なのだが、
視界の隅で何事かが起きたように影がハッキリ見えてひどくビックリしていた。
今はサッシに物が写るのかすらわからなくなってるが、
当時は(と言っても何年も)視界の中の物が曖昧にならず、
イチイチ捉えていた。
だからだろう、人との会話もひどく疲れた。
相手の些細な動作に反応して自分が揺られてるようになる。
スーパーの中は、人がチョコチョコ動くのに反応して吐き気にまでなった。
買い物終えると、車の中で休憩してからの帰宅になる。
でも、眼は頑張っていたんです、三半規管の代わりをしなくてはと。
脳内での役割の代替いだそうで、自分の意思とは関係なく働くらしい。
眼は慣れない仕事に、「加減」がわからなかったんでしょう。
頭を患ったのは22年前。
この見えすぎちゃって困る話はあまり人に話したことはなかった。
理解しにくい話は、愚痴にしか聞こえないだろう。
疲れやすい私も、そんな話に力注いでられないし。
限られた時間でしか行動できない(目を開けてられない)と言うのは、
大事な事が優先になる、余計な事しちゃいられない。
「自分が楽しむ」方法を教えてくれる人達に、
素敵な生き方を教えてもらえて感謝です。
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