努力が嫌い | ★頑固で石頭*Black無糖のカレ vs そんなカレに恋したワタシ★

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あづきの日常★★独り言★★恋愛★★南米Blackアールとの恋の軌跡を主に綴ります。

あまり好きじゃなかった叔母に会った話。

(母の弟の、奥さん)

 

わざわざ、ことさら嫌いというほどでもないけど

ちょっと苦手だった。

 

 

なんというかまだ彼女が若い頃は

私も幼い子どもで

 

子どもなりにも

彼女のバブル特有の上昇志向の強さを感じられて

(同い年の従妹に、〝男は三高が大事よ〟と教え込んでいたり。

 ちなみに従妹は当時6才くらい)

 

そんな叔母は、長年専業主婦だけども

選んだ夫(母の弟)は国際弁護士。

 

娘は官僚。

息子は医者。

 

 

 

 

一方、叔母から見て小姑にあたるうちの母はバツイチで、

大学は中退、今はワンコイン食堂のパートと自営業で細々と一人暮らし。

 

母の長女は獣医さんだけども

 

次女はバツイチ、ただの会社員

三女の私もバツイチ、ただの会社員

 

ちなみにいとこたちは学生時代、真面目な優等生だったが、

次女(次姉)と私は少しばかり素行が悪くて、真面目な一族の中では、有名だった。

 

 

なんというか、子どもの頃は

まったく勝ち目のない勝負を勝手に挑まれて

(同い年の従妹といつも比べられていたが

 その従妹は超美人で帰国子女だった)

 

内心で競われて勝ち誇られているのが、やはりそこはかとなく感じられて

 

子どもながらに苦手だった。

 

 

 

大人になってからは、もはや敵でもなんでもないとようやく認定されたのか

ものすごくあたりが良くなって

拍子抜けしたものだが

 

それでもやはり子どもの頃の、ちょっと傷つく、ちょっと鼻につくイヤな気持ち

記憶の片隅にあってなかなか消えていなくて

叔母に久しぶりに会う時には、なぜか必要以上に自分を低く見せたりしてしまい

 

あとになって

なぜか、ついつい警戒しちゃってたんだろうなぁ…と自分の言動を振り返って自覚したりする。

 

 

そんな

人当たりはいいが要注意の叔母であるが

 

 

初めて今回ちょっとだけ

 

好きだな

面白いところもある人なんだな

 

と思った。

 

というか、好きとか嫌いになったりするほど

あまり叔母のことを知らなかった。

 

 

 

「自分は何も続かない。」

「努力が、どうしても嫌いなの」

 

と、穏やかにてへぺろみたいに言う姿は

少し意外で

なんかちょっとだけ好感が持てた。

 

 

子ども達には、絶対に知られたくないことなんだけどね

 

私って、何も続かなかったの。

すごく飽きっぽいの。

 

どんなことでも、始める時って楽しいでしょ?

 

でも、始めて少しすると、なんでも壁ってあるじゃない?

楽しいだけでは済まなくなって、、、

上達が止まったり、次の段階が見えなくなるような、壁。

 

私は、そこを超えられないの。

 

ちょっとばかりの努力が必要になると

すごく楽しかったこともいやになっちゃうの。

 

 

色んなことを、やったのよ。

今度こそは、続くかも?

そこを超えるかも?

そう思った。

 

だけど、どれも結局ぜんぶ、そこで投げ出した。

 

 

私って、こうなのよね。

 

 

卑下するでもなく、開き直るでもなく

 

少しのてへぺろ感で

屈託なくそう語る叔母。

 

 

私にとっては、目から鱗だった。

 

 

私も全く同じで飽きっぽいし

色々続かないけど

それを、人には隠して生きてきた。

 

 

「努力が大嫌い」なんて

堂々と言っていいんだなぁ。

 

 

努力って美徳

好きも嫌いもなく

努力することは美しいとさえ教えられてきたから

 

大人が

「努力を嫌い」なんて

堂々と言っちゃっていいんだ…。

と、拍子抜け。

 

 

 

まあ、叔母のような

自分以外の家族は、わかりやすい成功者。

 

生活に困ることもなく

働く必要もなくて

 

時間だけが余って

何かしなきゃ、、、

なんていう人生を、

私は一日も歩んだことがないので

 

叔母の人生の酸いも甘いもわからないけれど

 

 

 

私には何もないのよ

 

と、てへぺろっていう70代。

 

 

 

人生いろいろだけど

 

人間もいろいろで

 

そんな苦労知らずで価値観の違う、

私に影響などをひとつも与えそうもない叔母から(←失礼)

なかなかのおもしろい言葉が聞けたなぁと

 

 

長年、ちょっとばかりいけすかなかった叔母が、けっこう可愛く思えた48の秋であった。