↑昨日に引き続き、ぶっとんだ母のはなし。
部屋数が無駄に多かったから、地元の大学に通う大学生などが下宿していたこともある我が家。
下宿人以外にも、常に誰か彼かが来ている家で
招こうが招かれまいが、夕食には両親の知人・友人がいつも複数入り浸っていた。
訪れる人の種類や、訪れ方は、我が家の時代によって様々で、
・きちんと賃料を払う下宿人
・ただ毎日入り浸る人(帰宅するが、翌日またくる)
・なんとなく居ついて数ヶ月勝手に飲み食いして去っていく人
さまざまなカタチで、さまざまな年齢層の人々がきたり住んだりして、とにかく、我が家には、常に他人がいた。
お金持ちの女王のサロンに群がる、とりまきのような男たちがたくさんいた。
ある時期は、麻雀や花札、トランプ、時にはドラえもんのドンじゃらなどが大人たちの間で流行ったりして、それをしに集まってくるという時もあった。
4人×3卓から4卓。
大人の人数が揃わなければ、私たち子どもも(半ば強制的に)入る。
もちろんお金を賭けてやるのである。
なぜか経営者など金持ちの大人たちも、低いレートで本気で遊ぶというルールであり、月ごとに一ヶ月分の成績と報酬を精算するというスタイルだった。
本気でやる大人たちではあったが、当時小中学生だった私たち3姉妹の誰も負けたことはなく、勝ちが少ないときは数百円、多い時は数千円が、臨時収入になるという…、今考えるととんでもない子ども時代だった。
ちなみに算数の成績はひどかったが、賭けに必要な計算(勝率やレートの計算)やお金の計算だけは得意だった。
12時を回ると「子どもは寝る時間」と子ども部屋に追いやられるのだが
2階の子ども部屋には、階下からの話し声、笑い声、たばこの煙、麻雀パイをじゃらじゃらする雀荘のような音が4時くらいまで遠慮なしに入ってくるのである。
それを「うるさくて、ねれないよ…」と思いながら、毎晩眠りにつくのが日常であった。
そう、サラリーマンではない人達って、曜日とか、関係ないのである。
さて、それは、私の子ども時代のほんの1ページ。
親と暮らしていた子ども時代が、いま振り返ってみても、一番、波瀾万丈なのである。
去年と同じ暮らし方を、次の年にはしていないのだから。
毎年同じことの繰り返し、という暮らしではなかった。
とにかく母が何にハマるか、で我が家は暮らしが大きく左右された。
母が従業員と恋仲になり、駆け落ちして数週間消えたことがあるが、そんなのは可愛いらしいほうである。
スポーツにハマったらそればかりだし、旅行にハマったらハマったで、一緒に連れまわされたり、母だけいなくなったりする。
社会活動に数年のめり込んだこともある。
それらは全てそのカテゴリーにいる男性にハマっている、ということでもあった。
社会活動にのめり込んだ時は、長期間家から姿を消して、
「あづきのお母さん、○○県での抗議デモでマイク握っとるの、昨日夕方の全国ニュースに出とったね」と学校で先生に言われるまでどこにいるか知らなかったり、
テレビをつけていたら「朝まで生テレビ」に母が出ていたりして
中学生の頃、母はどこで何をしているか知らない、遠い人になっていた。
活動家の恋人と全国を回っていて、姉がどこの高校に進学したかも知らないような状況で、
この頃から、我が家でお弁当が必要なときにそれを作るのは、当時中学生だった次姉の役割になった。
私の地元は、中学までは給食があるが、高校からは弁当になる。高校の購買部でパンや弁当を買うことができる。しかし長姉は一番母に似ていてわがままで、「手作りのお弁当がいい!」と妹である次姉に毎朝作らせていた。
(ちなみに、コンビニは都会にはあったが、うちの市内には当時まだ一軒もなかった。)
そしてなぜか母が家にいても、毎朝の弁当作りは、次姉の仕事になっていた。
さて、常に他人が家にいる我が家
ヒッピーのおっさんや、踊りを披露しながら全国を回っている一座とか(鼻くそをむしゃむしゃ食べる子どもたちが沢山いて、当時本当にイヤだった)、いろいろな人がきたが
強烈な記憶としては
朝起きたら私の部屋に、来日中のインディアンのホピ族の一家が数人寝ていたことである。
なんか知らんが、招待したら来たらしい。
全く言葉の通じない彼らは、私の部屋に、数日いた。
この、朝起きたら、自分の部屋になんか寝てるっていうのは、ちょいちょいあって、
ドイツ人のおばさんだったこともあるし、
有名な日本人のドキュメンタリー作家
ナニ人か知らないが、白人のフォトジャーナリスト(戦場カメラマン?)
誰もが絵を知っているような画家の夫婦だったこともあった。
部屋数が多いのに、物置になっていたりごみ溜めになっていたりするものだから、一番広くて片付いていて布団が敷ける部屋、としていつも私の部屋(14畳にベッドと学習机とタンスのみだから、たしかに半分以上余ってる)が選ばれてしまい
この人誰?
と思いながら寝起きにビックリしてるのに、とりあえず朝の挨拶「おはようございます…。あ、いや、グッモーニン…?」とねぼけまなこで言う、あのいたたまれない空気は今でも忘れられない。
フツウに、気まずい。
朝、母に文句を言うと
「仕方ないじゃん、それが決まったとき、あんたもう寝てたんだから」
と、私が寝ているのが悪いのだ、というように、自分が悪いなどとは1㎜も思っておらず、、、
思春期の私は、そんな母に、いつもいつも腹を立てていた。
どこまでつづくのやら
とりあえずつづく