”YouTubeで観る韓国映画100選”(但しYouTubeに”公式版”はありません。観るなら”キム・ギヨン傑作選BOX”などで)第3弾は、もう一本可愛いチョン・ヨンソンつながりで…異才天才キム・ギヨン監督が、”高麗葬(親捨て)”という残酷な風習(後述)を軸に貧しい山村で繰り広げられる35年に及ぶ凶々しい怨嗟と悲劇の連鎖を描いて衝撃作…「高麗葬」

 

現在。公開ラジオ収録スタジオでは人口過剰について専門家が討議している。歴史家は、飢えをしのぐため70歳になると老人を山に捨てる風習があったと言う。聴衆からは笑いが起きる…山深く貧しい山村。女ムーダン(巫堂)が古神木に祈祷の踊りを捧げている。そこへチルボクが新しい5人目の嫁とその幼い息子クリョンを連れて通りがかる。女ムーダンは、良い結婚のため供え物をせよ、と乞うが、チルボクはかつて妻だったことのある女ムーダンの言うことに耳を貸さない。粗末な家に帰ると10人の男児がいる。これまでの4人の妻との間の息子たちだ。姑は二人に優しく、時にはこっそりジャガイモを分け与えたりして、それが10人兄弟には気に入らない。姑が女ムーダンに未来を占ってもらうと何と、将来新しい息子クリョンの手にかかり10人の兄弟たちが死ぬ、と言うではないか。間もなく姑は新しい嫁に家事を託し、慣習に従い息子チルボクに背負われて山へ運ばれていく。女ムーダンの予言を知った10人兄弟は一計を案じ、遊ぶふりをして毒蛇にクリョンを咬ませる。母親の手当で何とか命は助かるが、クリョンは足を引き摺るという宿命を背負う。それを知ったチルボクは、これ以上一緒に暮らすのは無理だ、と嫁とクリョンにわずかな土地を与え家から出るように申し渡す。そして20年の歳月が流れる…

 

残酷な運命を生きるクリョン(成人)に、キム・ギヨン監督の傑作「下女」でも主人公の二枚目キム・ジンギュ、クリョンの母親に、「下女」では主人公の妻を演じた美形チュ・ズンニョ、思いを寄せるクリョンを残酷に振り払う美女カンナンに、当時はキム・ジンギュと夫婦だった現代的な美貌のキム・ボエ、女ムーダン(巫堂)に、二枚目スターのチェ・ミンスの祖母だというチョン・オク、痘痕顔という宿命を背負ったカンナンの健気な娘ヨンに、天才子役チョン・ヨンソン。

 

最初に断わっておきますが、本作はフィルムでいうと全10巻110分の作品ですが、凡そ24分に当たる3巻と6巻が消失していて、その部分は黒い画面と音声トラック、そして簡単に筋を説明するテロップが流れます。共に、重要で刺激的な展開部分であり相当に観客の創造力が試されることになるので覚悟が必要です。それはそれとして、ともかく凄まじい物語展開で、昨今の”容赦ない”韓国サスペンスを凌駕する過酷な運命が35年に渡り続くので、これまた相当な覚悟を観客に求めることになると思われます。3度登場して物語の軸となる親を捨てる”高麗葬”は勿論のこと、貧しい山村を襲う絶望的な飢饉と干ばつ、幼い子供の生贄、そして人間のさもしい欲望からくる強姦と殺人、村人を支配する非人間的シャーマニズム…まさに異端の天才キム・ギヨンならではの世界観といえるでしょう。評者には、イ・スンマン(李承晩)が下野することになる1960年四月革命の戯画化とする見方もあるようですが、個人的には「下女」でもそうであるような人間の根源的罪深さを追い求めているように感じます。

 

エンタメでもあるべき映画の対極にあるような作品で、せっかくの美男・美女もその面影を全く隠す薄汚れたメイクとボロ着、極めて評価は高いものの閉ざされた村や山を見ているだけで暗鬱となる様式美で再現するセットなど、到底お薦めする気にはなりませんが、或る意味で今の韓国映画の源流の一本であることは間違いないと思われます。

 

尚、”高麗葬”は、1958年田中絹代主演で撮られた「楢山節考」の主題である”姥捨て”と同じなわけですが、日本でも韓国でも、史実としての慣習を指すのではなく、各地に残るそういうテーマの民話・伝承を指しているとの論調が主流のようです。知りませんでしたが、安易に史実として扱わない方が良いと思われます。

 

ちなみに、この作品のオープニングでのスタッフ・キャスト紹介シーンも実に優れているので付記しておきます。踊る女ムーダンの映像を背景にスクリーンが経典のように漢字で埋め尽くされますが、その漢字の大半が消えていくと、キャストやスタッフの名前や担当が画面に残るという仕掛けです。妙に宗教的情緒を感じさせる先進的なセンスを感じます。