今回訪れた友人は、サンフランシスコでルームメイトだったし、20年来の友人で従兄弟のような感じもする彼らでもあるから、長居でも大丈夫かなと思っていたけど、やっぱり気を遣ってないふりをしても気にしている自分がいます。

今までの彼らの生活を知ってるから、この滞在が迷惑にはなってないはずと知っていても、相手も疲れてきているのではないかと考えすぎたり、リラックスしてるようでしてない自分がいる。

だんだん他人と一緒にいるのがしんどい傾向が強くなってるみたいなのに、アウェーの状態で頂いたお部屋で1人でいると妙に寂しくなったり。これがホテルだったら全く違うのだろうけど。

矛盾だらけで嫌になるわ。HSPねまったく。ぼけー




友人が初日から一緒に出歩いてくれてるのですっかり「乗っかっているだけ」の私でぼけ〜っとしてましたが、車の窓からいかにもヨーロッパらしき建造物を眺めた時、懐かしいと同時に身体中にとてつもない緊張感のような微かな痺れを感じました。

「あぁそうか」

2019年、3か月の東欧の旅をしていた間、自分はこのように常に緊張していたんだな、って改めて思い出し認識したようです。

 

だもの、旅の最後は病気になって当然だわよね。

そんなことを友人に語りながら、お互いが懐かしい話で盛り上がって、10年前のシェア時代を再度経験して楽しい時間を過ごしているのは確か。やっぱり来て良かったです。

 

 

 

 

でも、誕生日の朝目覚めた時、グルーミーな天気のせいもあってわりと沈んでいたかも。

時差ボケはどうにか治りかけていて、就寝や起床はいつもの時間に定着してきてるけど、でも慢性的な疲れを感じています。

「63歳の誕生日は疲労感か」

そう脳裏で呟いた後、過去の誕生日を遡って思い出そうとして「なんでまたあそこまで特別感でエキサイトしていたんだろう」と、急に誕生日を特別視することに虚無感を得る、という新しい感覚がありました

 

とうとう誕生日がもう嬉しくない時期に来たのかもしれません。

誕生日だから無理やり何か特別なことをしようかと思いつつちょっとリサーチしたけど、結局面倒くさくなって必需品を買いに出かけるついでにお土産品とかも買っておかないと、という少しの義務感もあり〜の、あまりのらない頭でタクシー呼んで乗って現地で降りて。

ひとりで歩き出したら、いきなりすごく満たされた開放感に包まれました。

「あぁ、これこれ」っていう、昔から感じている異国での開放感。

私はこの感覚にアディクトして、人生の時間の多くを旅に費やしていたのだったわ。ということを、長い日本滞在の後に再認識することになったのです。

 

この感覚を再度味わった瞬間が誕生日のハイライトでした。ひらめき電球

 

 

 

 

ひとりでいる時はとことん歩きます。

徹底して行きたいところに行って探すもの探して。友人といたら、さらっと流して「別にいいわ」って言っておしまいにしちゃってた所を徹底してほじくって見てる私。

 

「やっぱりアレが欲しかった」って物欲再確認してちょっと嬉しくなったり。ほんと、自分ミニマリストになりたいから、物欲全くなくなってたのですよね。ショック

 

ということで、今回のショッピングの一番の戦利品。adidasのエーゲ海ブルーを彷彿させるスエードのスニーカーです。多分海外限定品だと思われ。

 

 

 

画像の色はちょっとリアルの色と違い、実物はターコイズのベースに水色のサイドラインなのです。中敷の絵まで左右違って可愛いラブ

 

友人が物欲凄いんで、でもって可愛いインテリアで小物もいっぱい溢れてるので、ちょっと感化されたのかも。キョロキョロ