先日大学の聴講生として参加していた後期の「反省会」みたいな強制的な集まりがありまして。

 

まぁ、次期のクラスの申し込みも兼ねてのことなのですが、春に長期で旅に出る私はクラスを取らないことにしてのんびりとし構えておりました。

 

シニアの聴講生としては4期生になる私が、以前からクラスを取り続けている経験者ともグループ反省会として感想を伺いましたが、やっぱり生徒たちの反応や交流のなさに戸惑いを得てる人が同様にいるのだな、と思わされました。

 

私はアメリカのカレッジの経験と照らし合わせていたから違和感を感じていたのかなと思っていたのですが、そうではないようです。やっぱり「世代間の分断」というのは実際に起こっていることなのかもしれません。

 

 

 

 

日本に帰国して最初に住んだシェアハウスの経験で感じられた世代間ギャップでしたが、ADDressという他拠点リビングシステムの地方で出会う方々とはそれほどのものではなく、新しく土地おこしをされてる仲間の世代感ギャップは見たり触れたりする限りではそのようなものを感じることがなかったのです。

 

ただ、ADDressがテレワーク用の会員を大々的に募集し始め分母が大きくなってきた頃から、コミュニケーションを取りたがらない、挨拶もしない、一応挨拶は形だけするけどそれ以上他人と関わり合いたくない、お部屋引きこもり系とか、そんな感じの会員が増えてきて「あれれぇ?何か変わってきたよ??」というのを強く感じ始めました。それでアドレスホッパーで生活することも色褪せてきたというのもあったのですよね。

 

母親と同居している長女姉の心理的負担を考え、地元に戻り家族と一緒の時間を多く費やしていた私でしたが、去年あまりにも世界が狭すぎるので何か新しいことをと始めた大学の聴講生。そこで感じたZ世代のコミュニケーションの取り方の驚き。

 

令和の時代を強く感じることになりました

 

 

 

 

 

 

 

 

今日初めて「ソフト老害」という言葉を知りました。

 

 

 

 

それってなんなん?と調べてみて、いやはやとてもショックでしたわ。

 

これって男女間の問題理解するよりより難しいんじゃない?なんて思ってしまった。滝汗

 

爺婆が車の事故したり、前頭葉の衰えで街中でいきなり怒ったり、認知が進んで人に迷惑かけたりというほんまもんの「老害」は知っていたけれど、30代40代の会社の上司が既にソフト老害になってしまうなんて、どこまで20代の若者たちに気を使い甘やかすの?とか思ってしまいます。

 

てか、ソフト老害に当たるのはあくまでも「相手の捉え方」でありますが、相手に気を遣わせたらそれでソフト老害だなんて、いや違うでしょ?とは思いたいですがね。

 

てか「ビフォーコロナの話を振るだけでも嫌がられる」ってどうよ???

 

なんだかすごいことが世の中では起こってるんだな、という自覚が生まれましたよ?

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカ社会ではファーストネームで呼び合うざっくばらんな「人としての付き合い」でしかないので、ボスのパワハラはあってもあとは個人の人間性の問題でしかありません。

 

日本は敬語や謙譲語という話し言葉の発達した社会によって、そういうわけにもいかないのですが、だとしたら韓国の世代間分断なんてどんなもんなんでしょうね??

 

 

 

 

ただ、それって自分の思うようにならない人生を気に入らない上の世代のせいにしてるんじゃない?っていう気持ちが湧くのは確か。

 

本当に成功する若者だったら、そんなこと言い訳にしてる暇ないもの。もちろん、会社や社会でそのようなことを経験してやりづらいとは思うけれど、それをブイブイ言うよりも先にとっとと日本を出たり自分で会社を起こしたりしているでしょうね。

 

と、思ったら、そんなことを書いてる記事もありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

多分今のZ世代が不満に思っていることは、全ての世代の人が若者の時に同様に感じたことに過ぎないのです。ただ、そこでそれに耐えてきたということだけに過ぎなくて。

 

それがここで「ソフト老害」という言葉で若者が我が物顔で「もっとわかりやくすく、ポジティブな言葉で伝えて欲しい」というのはなんて脆弱ちゃんなの?と思いますけれど。社会は甘くない、世の中は決して公平ではないという現実の中で、真っ先に自然淘汰される対象になってしまうのだろうなぁと思います。

 

もう既に「日本終わってるよ」と言っている子が多いのは承知だけれど、だったらどんどん日本を飛び出して自分の人生を生きればいいのに、「ここは日本だよ。日本語勉強してこいよ、インバウンドの外人」となんだか何もしないで威張ってる輩もいる。

 

多くの底辺を生きる若者にとっては、ハルマゲドンでも起きてグレートリセットを望んでる、なんてのもあるんですよね。

 

 

 

 

まだまだ傍観的な生き方しかできてなくて、最近の日本社会もようやく把握でき始めている昨今、ここ数年の世界の変わりようは本当に凄まじいと感じている私です。

 

まぁ昔の価値観に囚われることなく、新しい波を嘆かずうまく乗って、私自身生きているうちにどれだけ変化があるのか、そのウィットネスになって納得するように生きたいです。先はそう長くないのですから。