時々、自分の老化現象に気づき怖くなることがありました。
歩いていて、家のドアやテーブルの角に身体をぶつけることが頻繁に起こったり(これは10年近く前に気づいたことで、今はありません)モノを取り落としたりすることが続いたり、そして手先に痺れが出ることがあったり。(これも今はない)
それで、去年は脳ドックを受けてしまったくらいなのですが、認知テストもあり結果は特に心配するものではありませんでした。
それでも、母の介護問題のストレスもあったのでしょうが、去年の春頃に自身の思考がかなり鈍っていることを意識するようになりました。何となく頭にもやがかかったような自覚があったのは確かです。
誕生日を一緒に過ごした友人にしつこく指摘され続けて落ち込んだこともあって、本当にこのままではいけないと生活を変えることにしました。
そして新しいことを学ぶ、新しい環境に身を置くなどの挑戦をしたのです。そのひとつが大学の聴講生になるということでした。
Z世代の中に身を置いて彼らを観察することや、「言語学」という全く新しい分野へのアプローチ、そして「大学の授業の英作文」という、今まで耳で覚えて雰囲気でしゃべってきた自分の英語能力をはっきりと自覚するというのは、今までにない新鮮さでした。
今まで散々世界を旅してきて、その時に使う脳の部分とこのような勉強を理解するように使う脳の部分て違うんだな、というのもなんとなく気づいた気もします。
事実、現在ちょっと不安になった去年の春の頃に比べて、脳内がスッキリしている実感があるのです。
かなりお歳を召してもその分野でずっと頑張っている年配の専門職の方で、脳の一部しか使われていなくて他の部分がおそろかになっているせいか、なんだかとんでもない偏りがあったりする例を見聞きしたりします。
そのような方の認知能力の低下というのはある日突然始まったりするのかもしれませんね。
意外とマルチで多趣味でいる年配者の方が、最後までしっかりと生き生きと暮らしている人が多いような気がします。
私の母は95歳ですが、まだ認知の方はしっかりしています。
彼女も遅くの頃に携帯電話を持ちたがり、メールの打ち方を覚え、去年は初めての老人用スマホを持ち、苦労しながらも操作を覚える努力をしていました。
足腰が元気な頃は老人会のアクティビティも積極的に参加していましたし、今現在でも週3日のデイサービス通いでいろんなものを作ったり、施設でひとりでいる時も数独や脳トレ本をやっています。決してぼーっとTVを観てる訳ではないのですよね。
そういう彼女を見てると、脳を意識して鍛えることの大切さを理解します。
逆に小さな世界で不満を抱えている先日70歳になった長女姉を見てると、彼女が早くに認知症になってしまうのではないかという不安も覚えさせられます。なので新しい刺激を与えるような経験をさせたいといろいろ連れ出したりしています。
大学の方は先日で後期が終わりました。次期の受付もぼちぼち始まってはいますが、やはりクラスに縛られて身動きができなくなる不便さもあったので、次期はお休みしようと思います。
なぜならば、また春に大きな旅を計画しているので。未知の国々に出かけるので既にちょっとした緊張感があります。
また違った部分の脳の活性化です!
地元の大学のクラスはまた先に取れるけれど、大きな旅は今行かないとだんだん腰が重くなっていかなくなるという危機感を得ているせいもありますからね。
旅は体力と気力があるうちにやっておかないと。