YouTubeのチャンネルで「女性ホルモンがなくなると、やがて『おじさん化』する」というフレーズがあり、おっと、と苦笑いした私ですが。
確かに日本では男性に可愛いと思われる女性と認められる時からある時「おばさん認定」され、私たち中年女性は一生のうちこの「おばさん期間」という長い時間を過ごしていきます。
その中でたまに「素敵なあの人」を見受けるのですが、そこへの道は本当に難しいところ。
この「おじさん化」という言葉よりも、自分の中にあるのは「動物園化」という言葉。
コレはある日とても驚かされた経験からになるのです。
サンフランシスコベイエリアに住んでいた時に、海外住みという理由で大変に高尚な日本文化のお習い事を安価で経験できることが多かったのですが、その時に日本からいらっしゃっていた先生が芸を大々に披露するイベントがあり、裏方のお手伝いに駆り出されました。
「あそこには◯会のおばさまたちが集まるので行きたくないわよねぇ。そうだ、雅さん、いってらっしゃいよ。いい経験よ」
なんて、何も存ぜぬ新人の私に押し付けた仲間たち。
何がなんだかわからずに楽屋の方に送られたのですが、その場で先生を取り囲む日本人の「大御所系」のおばさまたちに圧倒されました。
多分に皆様大変にお金持ちである雰囲気があるのですが、先生のお隣に居座るおばさまはまるで煌びやかな和を意識するアート系の服を来た「ガマガエル」でありました。
反対側には細身のシャネル風のスーツを着た「ヤギ」
その他にもいろいろいたのだけれど、私の記憶ではそこの風景の記憶はなぜかしら「千と千尋」の湯屋にひしめく不思議な生き物たちだったのです。そこでお茶くみする下っ端の私。
その、決して美しくない多分に60〜80代の大御所系のお金持ちのおばさまたちに呆気に取られたと同時に、彼女たちの後ろの棚に鎮座するバーキンにも驚きました。
「なんかさ、お金の使うところ間違ってね?」
年取ってあそこまで人間離れした雰囲気になってしまうのだったら、少しでもお直ししていけば良いのに。不謹慎にもそう思った当時の私でした。
あれから相当な月日が流れて自分がその粋に突入してみると、初めてその心境が理解できるところです。
もう自分の身体自体がどうにも見せるところがない。ならば、少しでも質の良いもの、高価なものを身につけたいと思うようになるのだろうな。
「先日62歳の誕生日を迎えて手とか汚くなってきてるから、せめて高価な時計でも身につけて誤魔化そうかしらなんて思ったりしてるんです」
フラッと銀座のシャネルに入って時計を試着しながら、アテンドしてくれた女性にそう語る自分がいました。
本当に欲しい訳でもないんですよ。ただ、心が弱っていたのでふとそう思ったのでした。
この頃から毎日鏡を見るたびに辛くて仕方がない私がいました。
とにかく、いきなり老けた自分に驚愕なのです。
私はノマドライフでずっと旅先でのセルフィーを撮っていたので「これが私」と認識する顔があるのですが、それとは程遠い知らない顔が鏡の中にいます。
そして、ある目的のために白壁の前で真顔でセルフィーを撮ってみたら、そこに写っていたのは「虫」のような顔をしたおばさんだったのです!
これはショックだったなぁ。
そういえば私の姪がまだ小さかった頃です。
当時60代であったろう私の母が夜マッサージクリームを塗りたくってテカテカな顔になっていたときに、姪が「おばあちゃんの顔、カブトムシみた〜い!」って新鮮に驚いていたことを思い出しました。
コレが我が家の遺伝子の骨格なんでしょうね、きっと。
私が大好きだった「お父さん」と慕っていた知り合いも、最後は「ラクダ」になっていましたっけ