「不安や心配」を作らないように努力しています。なぜなら、不安を感じる時に身体で起こる化学反応は毒でしかないし、早く老化する原因でもあるから。

 

 

 

 

私の姉はもう随分前に甲状腺癌になり、半分を手術で取っています。そのことを、後から知らされてすごく驚いたのですが、「え〜、だって先生が心配しなくていいって言ったから。手術で取れば問題ないって言ったし」と、へろっとそう言った彼女だったのです。

 

ところがですよ。

 

去年だか、フォローアップで喉元のX-Rayを撮ったときに、何やら画面の下の方、肺に白い影が写ってるということで、転移の疑惑が上がりました。実際それが育っているものかどうか2ヶ月だか待ってみようということになったのですが、それに関しては姉がシリアスに捉えて大変に心配しました。

 

そしたらその待ってる2ヶ月の間に、姉はすっかり老け込んでしまったのです!

 

結果は何も問題ないということになり、それで安心してまた元に戻ったのですけれど、いやはやその変化に驚かされましたわ。

 

 

 

 

 

 

母の友人のある女性は良く母のもとに通って話し相手になってくれていましたが、それでも聞こえてくるのは大変に暗い話ばかり。

 

「なんだかヤンなっちゃったな〜」って、その言葉ばかり聞こえてきてたのです。

 

家庭での環境は恵まれていて、お金もあるし娘さんからいつも質の良い服を買ってもらっていて身なりは綺麗でした。彼女自身も面白くないことがあると、服を爆買いして封を開けてもいない服がいっぱいあるということでした。

 

でもその「ヤンなっちゃったな」おばさんは、どんどん痩せていって生きる気力をなくし、入院しても特にどこも悪くないと言われたまま自分で動こうともせず、食事も取らなくなりお亡くなりになってしまいました。

 

 

 

 

物事を明るく捉えてクヨクヨしないってこと、年齢に関係なく大切なことですけれど、年配者の容姿と健康にとってはそれは大きく関わってくることだと痛感します。

 

私も30代は鬱だったし、若い頃はとにかくネガで苦しい思いをしながら生きてきたけれど、どうにか頑張って日向に出られて本当に良かったなと思います。

 

ネガティヴに物事を捉えるって癖だし、実際すごく簡単で楽なんですよね。明るく考えたり振る舞ったりってやっぱりエナジーいるし上方向だけれど、ネガになるってなんの努力も入りませんもの。地球の重力に身を任せてただひたすら重く下に落ちるだけですから。

 

 

 

 

「不安にならない」「心配しない」ことについては、瞑想が役に立つことを最近実感しました

 

先日また一人の知り合いが癌で亡くなりましたが、自分も身体のどこかが痛むとふっと不安がよぎりがちです。

 

先日もつれるような痛みを感じた時に「もしかしたら癌かも」という不安を一瞬覚えたのですが、すぐに「不安になっても仕方ない」「要らぬ心配はしない」という声を脳裏に聴きました。

 

私が受け取るべき事実は「ここに痛みがある」ことだけ。そこから妄想は膨らまさないのです。痛みがあったら観察する。その状況次第で医者に行くかどうか決める。

 

ここ毎年市が提供している健康診断はしっかり受けている私です。

 

前からずっと徹底した検査を人間ドックで受けてみたいと思っていたので、今年はそうしようと思っています。