これな。

 

ここ数年世界規模で怖いこと、不安なこと、不便なこと続いてたじゃないですか。

 

大まかに言えば、コロナやロシアのウクライナ侵略とか。

 

ニュースって不安を煽って視聴率を稼ぐのが仕事ですから、もうTVはあまり見ないようにしています。毎日見たってしょうがないし。たまにバイアスがかかった日本のTVがどんな報道をしているのか、ってことだけ軽く見たりしますけれどね。

 

コロナも2019年の初期のお籠りの時には「世界はどうなっちゃうんだろう?」って気にしたけれど、結局はできることはやって後は人がいないところに居るようにしてたら、逆に楽しいことが続いてしまいました。

 

不安になる気持ちはわかるけれど、不安になっても何も解決はしないってこと。自分のコントロールが効かないところで起こっていることを思い悩んでも仕方がない、って割り切って新しい生活様式に順応していくことの方がはるかに楽だし、精神的にも健康でいられることがわかりました。

 

これは「無関心でいること」とは違うと思います。

 

起こっている事象に対して自分が何を感じているか、を見極めるのは大切だけれど、無駄に不安を煽られる位置にいないってことはもっと大切。

 

ある状況に対して「不当だと思う怒り」があるとしたら、それを表明するのは悪くないです。それは不安とは別物であり、怒りが原動力となって世界を変えることができるからです。それは発端であり、行動を起こしたことによって良くなる場合もあれば、逆に逆風に煽られて身の破滅を呼ぶこともあるから、見極めは大切ですけれど。

 

自分で選択すること、そして行動すること。

 

私事で言えば、若い頃とてつもなく日本社会のあり方に不満を感じていました。でも、怒っても嘆いても、日本社会を変えることはできない。それならば「私という人間を受け入れてくれる人がいる場所に移動しよう」と思って海外に出たわけです。

 

確かに「時代」ってあって「昭和の当たり前が令和の驚き」だったりして、時代や環境が変わったおかげで今、私は日本社会で穏やかに楽しく生活することができているとわかった昨今。

 

周りがしてるから、という理由でやって流れているようでも「自分」はちゃんと持っていたいものですね。そしてチャンスがあれば、安全を確認した上でえいっと思いっきりバンジージャンプをするように足元を蹴って欲しいです。

 

 

 

 

以前何気に聞いていたポッドキャストから、「将来の不安より現在の不幸を選ぶ人」の話題になったときは、おぉっと思わされました。

 

これ、未知の未来に対して勇気を持って行動に移すか、現在の不幸に慣れているから現状維持に甘んずるか、どちらが正解とは言えないのでしょうけれど、的を得ている言葉だなと感心したわけで。

 

 

 

 

パートナー問題、職場問題、悩みは至って人間関係にあるのですが、結局は「他人はコントロールできない」ということろに行き着きます。それを希望を持ってコントロールしようとするから歪みが起きる。

 

結局は自分の「感じる心」とディールするしかないんですけどね。心が変われば世界が変わるし。

 

動かないで嘆くだけよりも、心を変える、または行動する、ということの方がずっと建設的な生き方であると思います。

 

とりあえず、時間は無駄にサラサラと指の間から落ちてゆくし、自分の若さ、エネルギー、も消耗されていく一方。

 

自分はこれから先のことを考えると「今の自分が一番若い」

 

そう思ったら、できることもあるかも知れませんね。

 

 

 

画像クレジット:cyop-essential.com/?p=502