ブエノスアイレス旅行記 最終章





ブエノスアイレス滞在の最終日は、以前ヨガを2度受講した場所でマッサージを受けることにした。夕方からの帰国のフライトの前に、この一週間に蓄積している疲労を少しでも和らげておくべきだと思ったのだ。

待合室で待っていると、ゆるいヨガパンツのお尻をぷりんぷりんと揺らした、はちきれそうな若さのマッサージ師が私の名を読んだ。通された部屋は驚くくらいシンプルだった。スタジオ全体があれほどクールなインテリア装飾に満たされている中で、とってつけたような箱だけのようなマッサージ室はやけに不似合いだった。

「服はそこにかけたらいいわ」

服や鞄を置く椅子もバスケットもないその部屋で所在なげに立ちすくむ私に、マッサージ師はたどたどしい英語で壁のフックを指差した。普通だったらクライアントが脱衣してシーツの下に潜り込むまで、マッサージ師は部屋を出ているのが普通なのだが、それをする気配もない。まぁいいか、と私も彼女がいる前でドレスを脱ぎ下着を取りすっぽんぽんでテーブルの上に横になった。

彼女はかなりのストロングハンドで、背中に置いた指をずらすのに皮膚が引っ張られて痛みを感じる程だった。何故にしてローションを使わないのだろうと不思議に思ったくらいだ。最初はシーツが私の下半身を覆っていたのだが、途中で「シーツを取っていいかしら?」と彼女が尋ねたのでそれを了承した。裸体がマッサージテーブルの上に露になっている状態は、今の今までどこのマッサージに行っても起こることがなかった大変に違和感のある感覚だった。

彼女はテーブルの上に乗りタイマッサージと同様なストレッチをした。それは気持ち良かったけれど、やはり妙だな、と思った。マッサージセラピストの身体全体の接近度が強く、彼女の肌の匂いを感じた。こういうのって私は平気だけれど、他のクライアントもこれを普通に受け取るのだろうか、と全裸でストレッチされ、痛ギモを感じながらそんなことを考えていた。





途中から彼女が使いだしたオイルでぎとぎとになった身体にドレスをまとい、ノーブラのまま放心した頭でふらふらと歩きアパートに戻った。途中、足元を注意していなかったのでバランスを失って転びそうになった。

このブエノスアイレスの旅の間に、そんなことは何度も続いた。Aと最初に会った日に「足元を良く見て歩きなさい」と注意されたように、ブエノスアイレス市内の歩道は無茶苦茶コンディションが悪い。タイルが割れて穴があいているという状態のところがかなり多かった。

更にところどころで見る石畳の道路の石の間も、アスファルトやコンクリートで埋められているわけでもなく隙間だらけで、でこぼこになっているので大変に歩きにくい。

今回の旅では軽くてクッションの良いウエッジサンダルを2足持参していたが、踵の方が細くなっている方の一足を履いて外出しているとき、それが隙間にハマりそうになるときがあって、「ひっ」と冷や汗を覚えたことが何度かあった。

そういえば、NYを旅したときに中ヒールの歩きやすいブーツを履いていたが、その踵がピンヒールだったので、地下鉄の空気孔に何度かハマりかけてやはり不便だった。それで『NYでは踵の広い靴を履くべし』と教訓にしていたものの、今回はそんなこともすっかり忘れていた。まさか石畳の道路のことまでは思いつかなかったのだ。

周りの人々は何を履いているのだろう、と気をつけてみていたら、夏仕様で多くの人がドイツ製の健康サンダルによくある形の、でもずっとファッショナブルなデザインのぺたんこなサンダルを履いている人が多かった。確かにそれが一番実用的だなと思いながらも、街中のウインドゥの最新のファッションを覗けば、凄いプラットホーム底の派手なサンダルが並んでいる。実際そんなサンダルを歩いている人を見るのは稀だった。ときおり踵の高いサンダルで歩いている人を見かけると、何気に嬉しくなる私がいた。ぺたんこな靴を履いて歩くことができない私なのだ。





石畳といえば、サンテルモのディフェンサストリートのその状態は凄まじいものがあった。これが道路とは思えないくらいのでこぼこ度で、まるで川岸を歩いているのではないかと思えるくらいの不安定な足元だった。そんな中を簡易ベビーカーを押している親を見て驚愕した。ベビーカーは上下に激しく揺れていて、その中の幼児といったら頭ががくがく揺れているのにへろりと平気な顔をしていた。

その振動が脳に与える影響とはどんなものだろう、と他人事ながらも心配した。もしかしたらこの街にはあまり頭の良い人はいないかもしれない、と勝手な妄想をする私だった。





転びかけてひやりとし、「まったく」と憤慨しながらその歩道の写真を取ってはっとした。滞在最終日にしてやっとそのからくりが解ったのだ。

ブエノスアイレスの郊外の歩道はその建物の境目でみとごにそのタイルのパターンを変えていた。歩道までがそのオーナーの敷地であり、お金がないか歩道までに金をかけたくないオーナーは、歩道のタイルに穴があいていようがそれを放置しているだけのことなのだ。周りがあまりにもそういう状態なので、自分の敷地のコンディションが悪くとも特に気にするまでもないということなのだろう。


$みんな、それぞれの宇宙
こんな微妙な段差がうっかり危ない

$みんな、それぞれの宇宙
敷地の境目でタイルが変わる

$みんな、それぞれの宇宙
こんなのは普通





アパートに戻り、最後のシャワーを浴びた。途中温水ヒーターの調子が悪くて水シャワーを浴びるはめになったこともあったが、それも直してもらって最終日には温水でシャワーを浴びることができるのがありがたかった。

身支度を整え荷造りも完了し、鍵の引き渡しとディポジットの返還をする為にやって来る管理人を待つまで、私はベッドに身を横たえた。

身体に浸透しているマッサージの余韻を感じながら、その『横たわる』という行為を全身で感じ感謝した。

ふと思い立って出かけた一人旅なので全体をエコノミーでまとめた。恐ろしく長いフライトは覚悟していたけれど、真横になって眠れない辛さは尋常ではなかった。尾てい骨が激しく痛み、首のサポートであるあの機内枕をお尻の下に敷きだしたくらいだ。

年々飛行機の旅が辛く憂鬱に思えてくる。あの行きのフライトを思い出すと少し心が沈む。あの長いフライトを我慢したら心地よい我が家に戻れるのだ。明るい大きな浴槽のある自宅のバスルームを夢見た。





ろくに言葉が通じない遠い異国の一人旅は、何度か私の意識を遠い過去に運んだ。限りない自由と解放、そして人の温かみ、情熱。夫との長いアメリカ生活の中ですっかり忘れてかけていた、遠い昔の放浪していた自身を、この旅で思い出した。体力的な部分を考慮しての中年ペースながらも、この年齢で異国の一人旅を自分色で存分に楽しむことができた自身を誇りに思えた。

そしてそれを思い出させてくれた、あのヨガクラスで出逢った男性が再度意識に浮かんだ。

私と彼が出会ったのは、お互いがどうこうなる為ではないということをその時に確信した。彼とのあの会話が確実に遠い昔の自身を呼び戻し、それ故にこの旅の機会が落ちて来たときにそれを拾い行動に移す私がいたのだからして。

ロンドン郊外 から白鳥の写真を送ってくれた彼に、テキストメッセージで、タンゴダンサーの写真と共にブエノスアイレスに居る自分を彼に知らせた。

『I'm jealous!(うらやましいっ!)』というのが彼の返事だった。

帰って来ておかま君にそれを見せたら、「やっぱりゲイよ」と言われた。

                                         
(完)