ブエノスアイレス旅行記 10





ブエノスアイレス旅行での数少ない計画のひとつに、『タンゴショーを観る』というのがあった。Aは「本当のタンゴはここカミニートのストリートタンゴよ。わざわざ高いお金を出してディナーショーに行く必用はないわ」と言っていたが、せっかくの機会だから本場でそのベストと言われるプロのダンスを観ておきたかった。

ショッピングセンターをぶらついた後、エビータ博物館にでも足を運ぶつもりでいたが、充分な時間が足りないことに気づいた私はそれを翌日に回すことにし、早速ディナーショーにでかけてしまうことにした。するべきことを先延ばしにすると、旅の後半で何が起こるか解らないので、さっさと行動してしまうに限る。

『エスキーナ・カルロス・ガルデル』のチケットの予約を済ませ、タクシーをアパートに呼び寄せるのに電話で英語が全く通じなかったので悪戦苦闘したが、それでも時間通りにタクシーはやって来たのでほっとした。

皺にならない黒のブラックドレスは旅先に持って行くと、ちょっと格調高い所でも充分に安心して足を運ぶことができる。髪をちょちょいとアップにしてショールを羽織ればそれなりの姿になり気が引けることもない。

『おひとりさま』のディナーは心境的にわびしいものになるかと懸念したが、意外と自分は平気なのだということに気づいた。以前に「何をおひとりさまでするのは気が引けるか」という話を友人男性たちと話したことがあるが、やっぱり高級レストランのテーブル席でのディナーは嫌だという声が聞こえた。

最近では、マドンナのMDNAのショーにぎりぎりで気づいたため背に腹は代えられぬと一人席を購入した私だったが、そういうことをやろうと思えばできる自分がいるということに最近になって気づいてきた。今までは声をかければ乗ってくれる友人がいろんな分野にいるので楽しいイベントは目白押しだったが、『一緒に行ってくれる人がいないから、したいことを我慢する』という言い訳はそう成り立たないということも解って来た。

周りはバスでやって来た年配の団体やカップルで占められていて、そんな年配のカップルをチラ見しながら彼らのドラマを勝手に妄想するのもそれなりに楽しかった。メインコースの途中でステージ上で映画の上映が始まり、南アメリカの主要観光地の案内から、タンゴの歴史のドキュメンタリーと、今まで自ら調べようとしなかったことが知識として入ったのでそれなりに勉強になった。

タンゴショーは古い時代背景のシーンから始まり、コンテンポラリーなものまで幅広い設定でいろいろなスタイルのタンゴが鑑賞できて興味深い。


$みんな、それぞれの宇宙


ステージ上部にバンドが設置され、それはピアノ一人、コントラバス二人、チェロ一人、バイオリン二人、そしてバンドネオン二人という構成だった。音楽はほぼ全部クラシックタンゴであり、題名こそ知らぬものみなカレッジのタンゴのクラスで聞き続けてきた馴染み深いものだった。ただ、タンゴの生演奏というものがこんなに心に染みるものだとはこの時まで気づくことがない私で、思わず涙してしまったのは更年期のせいだけではないと思う。

ダンサーの技術は、以前『Burn the floor』というワールドチャンピョンクラスのダンサーを集めたショーを観たときと変わらないほどの素晴らしいものを感じたが、どうしようもなく泣いてしまったのは、多分に70代後半かへたしたら80歳かもしれぬと思われる、老年カップルのダンスを観たときである。

エネルギッシュな若さが溢れるダンサーの情熱的なダンスナンバーに交じって、いきなり老年カップルが現れ静かにシンプルなステップを披露したときには、意外にも新鮮な衝撃さえ覚えた。

二人ともプロのダンサーというような細身の身体ではなく、普通にその辺で目にするような肥えたおじいちゃんととおばあちゃんが、ちょっとお洒落なダンスの衣装を身に着けているという感じだった。その二人が息を飲むような技術を披露する訳でもなく、ただただ静かにタンゴを踊っていた。それだけのことなのに、私は泣けて泣けて、嗚咽にちかいものさえも覚えてしまい、周りの人に気づかれないようにひたすらナプキンを強く口元に押し当てていた。

タンゴはコンペティションやショーのそのスタイルを観たら、あまりにも難しくて怖じけついてしまいそうになるが、実際ミロンガなどで踊ってみると、大したスペースもないので、それほどの技がいるものでもないということも解る。女性の技といったら、ただコネクトすること。包容力さえ持っていれば、実際このように老年になっても踊り続けられるものなのだということにも気づかされた。

私の夫はダンスを踊るような人ではないので、私は個人でタンゴのクラスをとり、馴染みになったクラスメイトとたまにミロンガに出かけるくらいのことしかしていない。夫婦が年老いるまでずっとタンゴを踊っていられたらそれほど素晴らしいこともないと思うが、それでもこの先30年も生きていれば何があるか解らない。もしかしたら、今のタンゴ仲間とずっと一緒に年老いていくこともあり得るだろう。

どんなに年老いても、ハイヒールのタンゴシューズを履きドレスを着用して男性にエスコートされ、抱擁し合い、切ないタンゴミュージックに身体を揺らされていたら、自分が女性であることを忘れるなんて決してあり得ないのではないかと思う。

「見知らぬ男性と、そんなふうに密着するなんて絶対嫌」

という声も多く聞くが、不思議に私にはそれに嫌悪感を覚えるという体験もなく、私が持っている『女性性』が相手の癒しになるのだったら、それはむしろ喜び以外の何ものでもない。ダンスを続けているとマグネットのような『相性』というケミカルに敏感になってくる。自分が引き寄せる相手に嫌悪感を感じさせるような人はそういない。エネルギーは同種のものにシンクロするから、自然に肌は近いものになるし、感覚的には兄弟とそう変わらないほどの親近感さえ覚えるものだから。