ブエノスアイレス旅行記 2





アルゼンチンの女性はひょうひょうとしている。

ひょうひょうとは『飄々』と表記され、今現在頻繁に使われている表現であるかどうかは定かではないけれど、私にはその言葉が彼女達に一番適してるのではないかと旅の間一貫としてそう思わされた。

最初のシャトルのブースの女性から始まり、アパートのエージェントの若い女性、管理人、はたまたウエイトレスといい、彼女達には私の日常にあるサービス精神のスタンダードの『愛想』というのは特にないように見えた。

決して冷たい訳でも意地悪な訳でもない。必用以上の丁寧さや気遣いというものを持ち合わせていないだけなのだと思う。逆に遠慮もなく、初対面の距離感もないから、見知らぬ人であってもまるで古い友人か親戚でもあるかのような、そんな身近な感じさえする。

想像するに、彼女達は相手によって自分の言葉や態度を変えるということもしないのではないかと思われる。サービス業だからと言って、特に自分の人格の上に何かをまとうこともしない。彼女達は彼女達ありのままの姿そのままで、表現はストレートだ。

日本に帰国すると、日本のサービス業に携わる人々の過剰な態度、それは客から求められるプレッシャー故のことだけれど、それに一種の哀れさをも覚えてしまうのは私だけではないと思う。それが求められる社会がどれだけのストレスを人々に生み出しているか。自分がそうだから、自分が客になったときにどれだけ相手に期待し大きな態度にでてしまうか。その悪の循環はまるでエネルギーの無駄遣いのようにさえ感じられてしまうのだ。

アメリカは自分の人格はそのままで仕事をしていられる国と思っていたけれど、ここブエノスアイレスに来てからは、アメリカ人のそれさえもまだ『自分の人格の上にまとう職業の人格』を認識させられた。

仕事だからといって下僕になることはない。スペイン語を話さぬ相手の不自由さを考慮することもなく「そのくらい自分でできるでしょう?」というような雰囲気さえ感じられる。それが私が感じる彼女たちの『ひょうひょうとした態度』なのだと思う。





アパートに落ち着いた後もいろいろトライしても結局Aとは連絡がつかず、唯一繋がったのは彼女の母親の連絡先だけだった。電話に出た彼女の夫は外国にもよく出ていた元大学教授なのでかなりの流暢な英語を話し、それでやっと落ち着いた私だった。

気を取り直して、近場の『パレルモSOHO』に出かけてみる。

エージェントからアパートまで歩きながら気づいたことだけど、歳をとってからの旅はかなり不自由なものだねぇ。なんたって手元の地図が即見えない。いちいちサングラスを外して眼鏡をバッグから取り出して確認してみない限りは、地図はまったくとして役に立たない。そして極めて方向音痴な私は、何度も反対方向に歩くということをやってのけて、最初の数日は必用の倍以上の距離を歩いていた。

iPhoneを使い始めてからマップのナビゲートなしでは生きてゆけなくなっているほどの依存度だけれど、今回の旅もiPhoneに随分助けられている。覚えているつもりで勘で歩いていても、結局はまったく違うところにいたりすることは普通だったから。

二日目にして電話会社から、データトランスファーの使用量が既に契約した容量の半分以上を使い果たしているとの警告テキストが入った。背に腹は代えられぬ。今回はかなりの使用量になると見込んで、海外ローミングデータトランスファーの最大量に契約を変更した。





SOHOと名づくところはどこも似たようなものなのか、NYのそれを思い出しながら洒落たブティックやレストランが並ぶ石畳の路地を歩き続けた。

疲れたので路地にテーブルが並ぶカフェに落ち着き、行き交う人々を眺める。SOHOでショッピングバッグを手に路地を横切る女性達はお洒落で美しかった。そして、随分とスタイルが良かった。

南米というと、印象的に黒髪で浅黒い肌の人々を想像しがちだけれど、ここSOHOでは金髪の白人女性が多く見られた。でも、もともとの金髪ではなく皆マドンナのように金髪に染めたダークな髪の女性らしい。ブロンド信仰はかなり深く根付いているようだ。

そしてブエノスアイレスのファッションコンシャスの女性達は異常に痩せている。その痩せ具合は拒食症を想像させられる程であり、私にとっては病的にさえ見えた。後ほどそれが知り合った女性との話題になったけれど、それが一種の社会問題になっているらしい。

旅の間、以前スペインに住んでいたことがあるアメリカ人の女性の話を思い出していた。

「彼女達の会話の80%はファッションのことよ。そして収入の半分を衣服に費やすの。でも化粧はしないわ。私はブロンドだけれど、眉もまつ毛もブロンドだから顔がぼやけるし、化粧無しではやっていけないけれど、彼女達はブルネットで濃い顔だから化粧がまったく必要ないのよ」

それをAに話したとき、「ここの女性も同じよ」と彼女が言いのけた。





ブエノスアイレスの人口のオリジナルは一番多いのがスペイン人、次にイタリア人、そしてドイツ人となる。

公用語はスペイン語だが、それをイタリアンアクセントで話す特殊な『ポルテーニョ』をブエノスアイレスの人々は話す。私が住むベイエリアでも沢山のラテン系の人々がスペイン語を話しているの耳にするが、それとはまるで違う言語のように聞こえる。

美しい顔をしたブエノスアイレスの女性達だけれど、一度口を開くとドスの聞いた声でまるで言い争いをしているかのような勢いで身振り大きくしゃべり続ける。この地で日本人の女性特有の意識した高い声色を決して耳にすることはなかった。『取り繕い』や『可愛らしさ』とか『優しさ』『奥ゆかしさ』、そんなコンセプトはきっと皆無に等しいのだろうな。そりゃ日本人の女性が世界中でモテるというのも理解できるところ。

私は1986年にスペインに3ヶ月滞在した経験があるけれど、今回その旅のことをデジャブーのようにありありと思い出すことが何度も続いた。それだけここブエノスアイレスはスペインの文化が強いのだと思う。

あの当時私は26歳だった。サンフランシスコの語学学校で知り合ったバルセロナ出身の女性は、ちょうど今回のAと同じような気軽さで私を誘ってそれに私が乗った。彼女はどこにでかけても見知らぬ人々に普通にストレートに話しかけていたことが、私にとっては衝撃的だった。

知り合いがいるとはいえ、殆ど自分で何もかもした英語圏外の自立の旅だったし、ずうずうしいくらいにまで自分を解放したつもりだったが、別れ際に彼女が言った言葉を本当に久しぶりに思い出した。

「みやび、あなたは素晴らしい人だけれど、シャイすぎるわ。もっとオープンにならないと」

多分、あの旅が自分の人生を変えたターニングポイントだったかもしれない。今の自分の性格がどうであれ、その経験がそれまでの私を大きく変えたことは承知のことである。

その後も彼女とは何度も再会し、未だに連絡をとりあっている。彼女は長年の尊敬に値する友人の一人だ。






$みんな、それぞれの宇宙
可愛いブティックが並ぶ


$みんな、それぞれの宇宙
目立たない横道にもお洒落なお店が


$みんな、それぞれの宇宙
何故かこけしと招き猫が流行っている


$みんな、それぞれの宇宙
SOHOは遅く始まる。お昼どきでもまだ人は少ない


$みんな、それぞれの宇宙
この街には犬のオーナーが多い。犬を繋ぐパーキングサインが可愛い






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