ブエノスアイレス旅行記 1





ブエノスアイレスに行こう、と違う人から3度誘われていた。

最初はタンゴのクラスメートのメキシコ人男性で、タンゴツアーに参加するといって彼は出かけて行った。一緒に参加しようとかなり強く誘われたのだけれど、長い日本滞在から戻って来たばかりでその気になれずパスした私だった。

次に友人のゲイ友から去年の秋くらいの計画で誘われたけれど、その頃私はハワイに行くかもしれぬ予定が立っていた。結局私のそれはなくなり、友人もその後の身辺の状況が変わり、彼の旅が実行されることはなかった。

そして今回3度目の正直ということで、レイキ仲間のアルゼンチン人の女性からお誘いを受けた。彼女が里帰りしている期間にブエノスアイレスに来てみたらどうかという軽い提案だった。あまりにも気軽に出た言葉だったので社交辞令かと戸惑いもあったのだが、後ほど確認してみたら彼女が喜びで興奮したので、その気になったという次第である。





思いは言葉に出してみるものだな、と思う。

「アルゼンチンタンゴを習っているの。いつか本場の国に行って、タンゴシューズを買うのが夢よ」

そう、何気に口に出していた自分を覚えている。 

私のタンゴ熱はそれほどでもないし、ほんの気が向いた時にクラスをとったり踊りにでかけたりする波のあるものだが、それでも2005年に初めてクラスをとり、その難しさに一度挫折をしていながらも、長期のブレイクの後に再度クラスに戻り今だに続いている。それだけ長い間私を魅了するものがあるのは、そこにある『大人の男女の世界』かもしれないし、年齢を重ねれば重ねるほどその良さを理解してゆくものなのではないかと実感し始めたのは最近のことだ。

でもアルゼンチンは遠い。サンフランシスコから直行便が出ていない故、乗り継ぎ便の待ち時間などを含めると、家を出て目的地にに着くまでの時間は、なんだかんだで20時間かかる長旅になる。そんな旅を実現しようという気持ちはこの歳になってはそう簡単には起こらない。「絶対行くわ!」という強い思いでもなかった分だけ、機会はぼこぽこと落ちてきたのではないかと逆に思えたりするのも、執着のなさゆえの『宇宙の法則』なのかもしれない。

とりあえず、計画倒れになったゲイの友人が購入していた新品のガイドブックを出発間際に借り、飛行機の中でリサーチすればよいかも程度のノリで、あまり計画を立てないまま旅立った。飛行機のチケットを押さえ、アルゼンチンの友人から勧められたままに予約したレンタルアパートが確認できていれば、後はなりゆきまかせでよいと思っていた。

レンタルアパートは意外と安価だった。友人のAの親が住んでいる郊外の真向かいのアパートをAは押さえていて、その近所にある場所を私に探すようにとエージェントのリンクを教えてくれた。

「本来なら実家に泊めてあげるのが筋なのかもしれないけれど、ブエノスアイレスの住宅事情はとても厳しいのよ。あまりにも狭くて、私でさえ実家に泊まれないのだもの。理解してくれる?」

そうAは説明したけど、日本のことを考えればそれは当たり前に理解できるところだし、他人の家にお世話になるよりも気軽なアパート滞在の方がずっと楽なのは承知のことだ。日本でもホテルに泊まるよりもウィークリーマンションを契約して、住むように滞在するのが好きな私だからして。

後で気づいたところで言えば、ブエノスアイレスの住宅事情は日本よりもさらに厳しい状況だと思わされた。Aの母とその夫が住むアパートは、大人二人が住むにしてはあまりにも狭過ぎるのではないかと驚いたけれど、それは私がサンフランシスコ郊外の家のスペースに慣れているという事実だけではないと思う。





『iPhoneの電源を切り、飛行機の中でチャージしておくこと』という旅のサバイバルの基本中の基本を怠ったが故に、ブエノスアイレスのエアポートに着いてAに連絡を入れようとした私は、死んでいたiPhoneに唖然とした。

荷物が出て来るまでに、アウトレットを見つけてチャージすればどうにかなるかも、といった淡い期待は見事に裏切られ、近くのカウンターに居た青年にアウトレットを尋ねても「何それ?」みたいな反応しかなかった。

アメリカの空港なら今や普通にある電話やPC用のチャージスタンドなど見当たることもなく、空港はセキュリティの厳しさに出口が詰まり、カオス状態だった。

予約していたシャトルのカウンターを見つけるのは容易かったが、インターナショナルエアポートで働く人が英語をまったく話さないという事実に再度唖然とさせられた。

電話が使えない、チャージするのを助けて欲しい、アウトレットはある? 友人に電話をして欲しい、それらのことを伝えるのにとてつもない苦労がいった。それでもどうにか意志を伝えてヘルプしてもらっても、Aが教えてくれた彼女のアパートの電話は通じることがなかった。

シャトル会社のブースでどうにかiPhoneをチャージさせてもらっている間に両替に出かけてみる。信じられない列の長さとひとりひとりにかけている時間にめまいを覚え、結局は声をかけてきた男性から闇レートで両替をすることになった。そして旅の間でこれが一番良いレートだったと後で気づいた。あのときもっと両替しておけばよかったのだが、旅の始まりはいつも混乱して最良の決断はしにくいものだから仕方がない。





シャトルの運転手は少し英語を話すちょっと疲れた感じの穏やかな婦人で気持ちが和らいだ。フリーウエイを走り小一時間ほどでブエノスアイレス市内に辿り着く。

高層アパートが立ち並ぶ市内を遠目に眺めてから、実際にその目線に入ってみると、街角の古い美しい建造物のありとあらゆる場所がギャングライティングのグラフィティだらけなのに心が曇った。

決して怪しい地域ではなく、普通に人々が生活しているだろうその場所が、あまりにも汚く荒らされていた。歩道はゴミだらけであるけれど、人々の格好は特に貧乏臭い訳ではない。多分にそれが『普通』の現在のブエノスアイレスの状況なのだろうと判断した。

本来ならアパートに直行するべきのところだったが、電話が通じない不安から最初にエージェントのオフィスに連れていってもらうことにした。

シャトルのオフィスの人に頼んでエージェントの住所をゲットしたけれど、着いてみたら何階だか解らず再度唖然とした。サインさえ外に表示されていない。う~ん、前途多難。途方にくれていたらちょうどオフィスの女性が昼食から戻って来たばかりだったので中に入れてラッキーだった。

私はシャトルの運転手に礼を言ってチップを手渡した。その額は後から考えるととてつもなく太っ腹な金額であった。

金銭感覚を失っているので旅の始まりは私はいつもそんなふうにお金を水のように流している。でも、働く中年女性が思わぬ収入にほっとしたことを思うと、損をしたというよりは人助けをしたような思いに心が満たされる。

そうやって、自身の失敗を心理的にポジティブにカバーしているだけなのかもしれないけれど。






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