夏が猛ダッシュで駆け抜けようとしている今日は

母のお誕生日でした。


お線香をあげに行くことくらいしかできませんが

当たり前の話だけど、母はいつまでたっても

私の母で、それだけでとっても幸せな気分になります。


帰りに本屋に立ち寄ると、夏休みの読書感想文用に

毎年のことですが、純文学が平積みされてました。


目線の先には「杜子春」がありました。


小学校の時に、この杜子春にとても影響を受け

話から脱線してますが、仙人になりたい・・・と思いました。


うさうさ☆きらりんこ

といっても、今ではあらすじすら思い出せません。


もやもやしてきたので、思い切って短編集を

購入しました。


げげげ、本を開くと結構「芥川龍之介」の本

学校で読まされてたんだなあって驚きました。


「蜘蛛の糸」「羅生門」「トロッコ」などなど・・・

鮮明にそのときに浮かべた情景を思い出せる

くらい印象に残ってました。


でも、芥川先生・・・というと、「顔ながっ!(長)」って

いつも写真を見ながらおでこに落書きしてました。


うさうさ☆きらりんこ


なんで仙人になりたかったのか・・・とか思いながら

再度「杜子春」を読んで思い出しました。


人間嫌いの原点はこの本にありました。


杜子春が仙人になりたくなった理由は、調子のいい時しか

近寄って来ない人間に愛想がついたからでした。


杜子春は自分で自分を守ろうとしない、とてもピュアな人で

多分子供のころから甘やかされて危機感とかなく

育ったタイプだと思います。


その点では私と真逆なのですが・・・・


私が仙人になりたかったのは、自分が感情のアップダウン

が激しくて、ひとつひとつ一喜一憂していることに

凄く疲れてしまってました。


小さいことをいうと席替えのときに、隣の人が誰かと

ドキドキするだけでも、うっとうしかったのです。


好きな男子の隣になりたいとか、ドキドキしているうちに

自分から独り(隣なし)の席を立候補してしまいました。

もちろん中学からは、女子校に迷わず入学しました。


小さい頃はおっちょこちょいなので教育熱心な両親に

怒られてばかりで、気の休まるところもありませんでした。


杜子春がもうお金もいらないから仙人に弟子にしてくれ

と、言った時、私も同様に仙人になりたいと思いました。


今、この本を読んで、小学校の時より異常に面白い!と

思ったのは、話に出てくる場面や登場人物のことが

理解できるようになったからです。


泰山とか峨眉山とか、金庸の物語によく出てくる武門の

総本山みたいなところだし、突然現れた「神将」や「眷属」も

今ではいろんな仏像を見聞きしているので、すぐに

想像することが出来ました。


うさうさ☆きらりんこ

最後に驚いたのが、この物語がハッピーエンドで

とても後味が良かったことでした。


終わり方に納得のいかない人もいるだろうなあ

と思いますが、パンドラの箱の底にあった「希望」を

小学生の私は、この物語に見つけた気がしました。


父とよくケンカしていたのが、父はスグ「金の問題」

というけれど、私は断固として「金じゃない、気持ちの

問題だ!」と反論しました。


しかし、これは感性の問題なので、気持ちは

見えないものなので、感じ取れない人には、本当に

分らないものなんですよね。


人間らしい生き方、自分らしい生き方、自分が

何をするのが、どんな状態が一番HAPPYかを

想像できないと、いつまでたってもむなしいままですね。


幸せはいつも目の前にたくさんキラキラして

微笑んでくれていると思います。


仙人ならなくても大丈夫・・・って今再び「杜子春」を

読んで思いました。