蘇る思い出と感謝 | マリンこ★ボケ日記

マリンこ★ボケ日記

愛想の無いラグドールとばぁやの独り言

昨日の長野行きにはあおいちゃんとあさひくんも着いてくることになりました。

 

距離にして160㌔あまりのドライブは

 

しりとりをしたりクイズをしたり喧嘩したり大騒ぎしながら

 

途中休憩などをいれると3時間以上かかりました。

 

 

 

長男の車は大きいので近くの広場に停めさせてもらいました。

 

お迎えに出てくれたKちゃんとハグして久しぶりの再会を果たしました。

 

 

 

お宅にお邪魔するのは何年ぶりでしょうか。

 

懐かしい笑顔のTさんの遺影を見たら胸が詰まりました。

 

 

お知らせを頂いて半年以上経ってやっとご挨拶することができました。

 

あおいちゃんとあさひくんもお線香をあげさせてもらいました。

 

 

 

程なくして埼玉のNさんご夫妻も到着しました。

 

奈良のお友達も電話で参加して懐かしい声の交換をしました。

 

近くに住んでいるKちゃんの長男くんも顔を見せに来てくれました。

 

 

 

 

 

 

 

モスクワで赴任の年度や職場が違がう5軒の家族は

 

社会主義が崩壊する過渡期に同じ外国人専用のアパートに住んでいました。

 
数え切れないエピソードがありますがそのいくつかを・・・
 

5人の奥さんたちはいつからか
 
材料を持ち寄って一緒に夕飯を作るようになりました。
 
ママたちが台所でお料理している間子どもたちは一緒に遊んでいます。
 
その家の旦那さんが帰宅すると奥さんが5人いるという(^^ゞ
 
 
お肉は塊しか売ってなかったので捌いたりスライスしたり。
 
ラーメンは麺やスープ、餃子は皮から手作りです。
 
商社の奥さんが出張で来た人からのお土産の
 
貴重な日本食材を提供してくれるときは狂喜乱舞です。
 
ほとんどが手作りでした。
 
無いものは違う材料で工夫しました。
 
出来上がったそれらのお料理を5軒で分けて持ち帰りました。
 
 
 

長男は夜泣きがひどい子で一時間おきにギャン泣きしていました。

 

おむつを変えてもミルクをあげても抱っこしたりおんぶしたりしても駄目。

 

昼間外で沢山遊ばせて疲れても長時間眠らない子供でした。

 

夜泣きは2歳まで続いて日本人の間で息子の夜泣きは有名になっていました。

 

慢性的に寝不足の私は夫が仕事に行ったあとも子どもと一緒に眠っていました。

 

10時くらいになると奈良のKさんから電話がかかってきて

 

「みっちゃ~ん、珈琲が入ったわよ~。」って呼んでくれるのでした。

 

具合が悪いときには息子を預かってくれたこともありました。

 

私が初めての子育てでノイローゼにならなかったのはこの方々のおかげです。

 

 

子育てを助けてもらってお料理も教えてもらいました。

 

 

 

あれから40年近くが経ちました。

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小さかったそれぞれの子どもたちは当時の私達よりも年齢が上になり

 

立派な社会人となり親となりました。

 

お互いの携帯は孫の写真でいっぱいですゲラゲラ

 

 
世界のあちこちで政情不安になっている今
 
この子達の未来が暗くなりませんようにと祈らずにはいられません。
 
 
またみんな一緒に集まりましょうとお約束しておいとましました。
 
 
 
帰りはあさひくんが眠ってしまってあおいちゃんのワンマンショーが開催されました。
 
鬼の宴♪
 
工事や事故の渋滞にハマりながら予定より一時間遅れで地元に着いて
 
横浜のお友達を駅まで送りました。
 
遠くからお疲れ様でした。
 
 
またゆっくりみんなで会いましょう!
 
 
 
 
 
 
マリンはおりこうにお留守番をしてくれました。
 
夜のインスリンや投薬にも支障がありませんでした。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメントお休みします(=^・・^=)~ラブラブ

 

 

 

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