昔も今も変わらない庄内三十三観音第十八番札所 大石観音 生石山延命寺 | シャンティのやっぱり気まぐれブログ

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目指すは癒やしの案内人(o^^o)

こんにちはニコニコ
今回も庄内三十三観音特集ですウインク
この度御案内させて頂く第十八番札所は、開創当時から変わらない生石山延命寺様〔大石観音〕です‼️


アップアップアップアップ生石山延命寺と生石神社入口⛩

ここから乗用車の場合は、険しい坂道を車で登れるのですが、運転が苦手な場合は近くの空きスペースに止めて下さい。
尚、巡礼のバスが来てる場合は何とか車で行かれた方が良いかと思います。


アップアップアップ生石山延命寺本堂
御本尊:大日大聖不動明王
   ☆秘仏:十八番札所聖観世音菩薩胎内仏
→胎内仏は、最近発見され本堂に安置されてます。
※天台宗として始まった説や弘法大師が開山したとする記録がある古刹です。
鷹尾山修験の表口別当として、十八坊を束ねるお寺となりました。

江戸時代には、平田郷十八ヶ村の総祈願所となる。

▷鷹尾山修験は、最上川南の羽黒山、川北の鷹尾山と呼ばれる程の大きな勢力を持っていた一山であったと伝わります。
また、山岳曼荼羅においては、北の鳥海山、南の月山と名峰に囲まれた中央に位置する場所という事から鷹尾山、胎蔵山を中心にした独自の修験道だった。


アップアップアップアップ第十八番札所観音堂

ダウンダウンダウンダウン御本尊:聖観世音菩薩〔一千年以上前の作〕
(おそらく60年に一度の御開帳の秘仏のお姿)

常時拝顔できる大きな観音様は、大きな日限・聖観世音菩薩と呼ばれ、「何日に」「何日までに」というように、日を限ってお願い事をすれば願いが叶うとされます。




☆御本尊:聖観世音菩薩
◇御真言:オン アロリキャ ソワカ

この境内には更に上に登るところがあります。





上矢印上矢印上矢印生石神社(旧観音堂ではないかと推測)

生石神社の起源はとても古く、成務天皇11年(141年)に兵庫県の生石神社より勧請され創建されたと伝わります。
中世に入り延命寺と神仏習合し、南朝側の領主の拠点として隆盛を極めた。

明治の神仏分離令により、生石神社の本地仏であった聖観音菩薩が現在の観音堂に移ったものと考えられます。

✳︎御祭神:大己貴命・少名彦名之命


上矢印上矢印上矢印十三仏種子曼荼羅板碑
生石又は東平田地区には、この様に板碑が沢山あります。特に阿弥陀如来の梵字が多いとされ、これは南北朝時代の皇族同士の争いにより、亡くなった方々の供養の為とされます。
この内34基が【生石板碑群】として、山形県の有形文化財となっております。


◎生石の由来…この地名は生石地区(東平田)が石材の産地だった事から守り神として御本社である兵庫県の生石神社から神を勧請し地名となったとされる事が一つ、もう一つは巨岩奇石が多い事から大石が産土神の神の名からとり生石となった説がある。

以上鷹尾山修験については、現在調査中ですウインク



◯近くのオススメスポットウインク

①朝日山八幡神社(矢流川八幡) 

アップアップアップ八幡太郎義家(源義家)が東征伐の際、京都の石清水八幡宮より勧請し祈願したと伝わり、生石山延命寺が別当となり、この地の領主池田氏没落後現在の場所へ遷座したとされます。
社殿奥一帯は池田氏の居城朝日山城跡があります。


アップアップアップ高泉神社(国史見在社の記録がある)
古来より奥之院に流れ落ちる滝を神とし
御本尊:大日大聖不動明王    御祭神:水速女命
を祀った。現在は神社となり、境内にある蔵王権現も合祀している。
中世は、高泉参りとし鳥海山に向かう白衣の道者が参拝し繁盛を極めたと伝わります。
湧き水を汲む場所もあります。

ダウンダウンダウン③金生神社⛩


この獅子岩には、昔から金が眠っている、隠されていると言う話があった、時は承安四年(1174年)頃平安時代に金次と言う者が金を掘り出し京都へ駄走。
その為実際に金があったことがわかり、獅子岩の前には社殿が造営され【金生の神】として崇められるようになったとされます。
現在の神社は、少し離れた場所に移されております。



以上開創当時から変わらない第十八番札所 大石観音(生石山延命寺様)でした‼️


次回は、こちらも開創当時からの観音札所【第十九番札所 蕨岡観音(鳥海山龍頭寺)】様ですウインク

南無大慈大悲観世音菩薩
合掌