東京ヤクルトスワローズの小川淳司監督の少年時代の将来の夢はサラリーマンだった | うつ病で精神障がい者だけど前向きに生きてやる!

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●東京ヤクルトスワローズの小川淳司監督の少年時代の将来の夢はサラリーマンだった

 
 
こんにちは、伊達誠です。
 
皆さんは、プロ野球のテレビ中継は見ますか?
 
 
私は1990年代から、阪神タイガースファンをしています。
 
私は千葉県に住んでいますが、未だにタイガースファンは、やめられません。
 
 
私がタイガースファンになった当時の阪神は、とにかく弱かったですね。
 
もう阪神タイガースの勝率なんか、イチロー選手の打率より低かったですから。
 
 
では、なぜ私がタイガースファンになったのか話します。
 
あまりにも弱いタイガースを見ていて、私は思わず、タイガースを応援し始めました。
 
そして徐々に、タイガースが好きになってしまい、今に至ります。
 
 
そんなタイガースファンの私ですが、他の球団に、気になる監督さんがいます。
 
その方のお名前は、東京ヤクルトスワローズの小川淳司監督です。
 
私は、小川淳司監督のことが気になったので、小川淳司監督について、ネットで調べてしまいました。
 
 
東京ヤクルトスワローズの小川淳司監督は、現在61歳のようです。
 
小川淳司監督の身長は186センチで、体重は93キロと書いてありました。
 
テレビで見ると、そんなに体格の良い方には見えませんが、かなり大きな方のようです。
 
 
ちなみに、血液型はA型で、性格は真面目と書いてありました。
 
そんな小川淳司監督の少年時代の将来の夢は、サラリーマンだったそうです。
 
まあ、その理由については、後で触れます。
 
 
小川淳司監督は、高校は習志野高校を卒業しています。
 
今年の春の甲子園の大会で、準優勝した学校です。
 
私は習志野高校の近くを歩いたことがありますが、市立の高校なので、特別に広い野球グラウンドがあるわけではないと記憶しています。
 
 
そんな習志野高校の野球部に入部した小川監督は、ピッチャーとして1975年の夏の甲子園大会に出場して、優勝投手になりました。
 
その後は、中央大学に進学して、外野手に転向します。
 
さらに、河合楽器というノンプロの世界で野球を続けた小川監督は、1981年のドラフト会議で、ヤクルトスワローズから4位指名を受けます。
 
 
ちなみに小川監督は、千葉県の習志野市の出身で、実家は農家を営んでいたようです。
 
小川監督の父親は、農家を営みながら、保護司の仕事もしていたようです。
 
保護司の仕事は、少年や少女の話を聞いて、指導をしたり更生の手助けをする仕事ですね。
 
 
ある日、小川少年は、保護司の仕事もしている父親に、なぜ保護司の仕事をしているのか尋ねました。
 
父親は、こう答えたそうです。
 
「辛抱強くすれば、人の心は開くんだ。出会いの失敗者になるなよ」
 
 
その父親の言葉を聞いた小川少年は、「なるほとんどな」と思ったそうです。
 
そんな小川少年が、小川監督になった時に、「指導者になった自分が、選手にとって出会いの失敗者になってはならない」と考えたようです。
 
 
東京ヤクルトスワローズに、畠山和洋という選手がいます。
 
確か内野手だと思いますが、小川監督がヤクルトスワローズの二軍にいた当時は、二軍であまりやる気の無い選手でした。
 
畠山選手は、二軍の寮を夜遅くに抜け出して、よく埼玉県内のスナックなどで酒を飲んで、門限の時間を過ぎてから、寮にこっそり戻る選手だったようです。   
 
 
そんな畠山選手の様子を知った小川監督は、畠山選手を更生させて、見事に一軍レベルの選手にしてしまいました。
 
今でもは畠山選手、一軍レベルの選手ですが、そんな過去があったなんて知りませんでした。
 
 
ちなみに、小川監督の選手時代の成績は、通算でヒットの数が412本で、ホームランの数は66本と書いてありました。
 
確かに小川監督は、ヤクルトスワローズなどで野手として頑張りましたが、そんなに素晴らしい成績を残したわけではないようです。
 
でも小川監督は、ヤクルトスワローズでスカウトやコーチとして、徐々に光り始めます。
 
 
2018年には監督として、その前の年に最下位だった東京ヤクルトスワローズを2位に押し上げました。
 
そして今年も、東京ヤクルトスワローズの監督として、指揮を取っています。
 
 
私は、小川淳司監督の姿をテレビで時々目にしますが、とても温厚な方だと思って見ています。
 
私は、小川淳司監督とはもちろん面識が無いので、あくまでも私の想像ですが、闘志は内に秘めて監督の仕事をしているように見えます。
 
まるで、小川監督のお父様のように、選手たちを温かい目で見ているように見えます。
  
 
私は、そんな小川監督のことが、好きです。
 
見た目だけの判断ですが、そう思います。
 
あのベンチの中で、凛として立っている時の小川監督の姿が好きです。
 
 
時代は平成から、令和に移ります。
 
野球界だけではなく、リーダー像が少しずつ変化しているように思います。
 
 
昭和の時代ならば、例えば会社員ならば、部下を叱咤激励するリーダーが、普通だったと思います。
 
でも、時が流れて、優しく部下たちをリードするリーダーが増えるのかなと私は思います。
 
 
もし、小川監督のような方がリーダーとしていたら、私はいいなと思います。
 
とても、人の話をよく聞いてくれそうですから。
 
 
私は阪神タイガースファンですが、東京ヤクルトスワローズの小川監督について、今回は書かせていただきました。
 
東京ヤクルトスワローズにも、少しだけ頑張ってほしいなと思います。