#7 横田慈英 【まだ見ぬ自分へ】 | 中央大学学友会体育連盟ラクロス部 Official Blog

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中央大学学友会体育連盟ラクロス部です!
選手やスタッフの熱き想いを是非ご覧下さい!

私にはどうしても忘れられず、未だ見返すことができていない試合が2つある。

24シーズン法政戦そして、25シーズンの明治戦だ。

どちらも、胸が引き裂かれるような苦い記憶として、今も鮮明に心に残っている。
2試合とも結果以上に、どちらも「自分への後悔」が心に深く刻まれた試合である。

勝てばFinal4に大きく近づく法政戦、増岡陽大の劇的ジャンシューにより4Q残り15秒で1点リード。
5ヤード下げでショートウィングに立つ自分。再開の笛が鳴る、被ブレイクで相手FOが向かってくる、ラスト10秒。
咄嗟に出たのは手いっぱいに伸ばしたクロス。体が動かなかった。あと一歩、足が出せなかった。

相手のスコアが成功し、同点。

「あのときなぜ、一歩、足が動かなかったのだろう」

何百回とやった練習。毎回も自分に言い聞かせていたプレー。
その一歩の重みを、目の前で夢が潰れる瞬間に知った。

そして1年後のリーグ最終戦、勝利以外は入れ替え戦となる明治戦。
1Q終了時3-0。迎えた2Q、ミスから2点を返され、3-2。
次の1点がこの試合を大きく変える、そう意気込んで2Q残り5分、ゴール横から中に切り込む。

相手との接触。

ピッチに倒れ込んだ。その後のことはあまり覚えていない。

ただはっきりと覚えているのは、
植村さんからの「あとは託そう。救急車呼ぶぞ。」の声とあのどんよりとしたやけに遠く感じた曇り空だけ。

今度はピッチに立つことすら出来なかった。

気がつけば救急車の中。隊員さんの声と真っ白な天井がやけに冷たく感じた。

「もうお前のラクロスは終わりなんだ」
誰にも言われていないのに、頭の中で何度もその声が響いた。

それと同時に走馬灯のように後悔が押し寄せてきた。
「もっとできた日」は確かにあった。
抜いた日、妥協した日。自分に負けた瞬間の数々。
見て見ぬふりを続けてきたツケはよりにもよって、
リーグ最終戦という舞台で、最も多くの人が見ている中で、試合という絶対に誤魔化せない場で、容赦なく突きつけられた。

あのとき流した涙は、痛みの涙ではない。
「記憶の片隅にある弱い自分」への後悔だった。

— — — — —
少々感傷的に物語の導入っぽく始めました。
いかがだったでしょうか。

さて、学生コーチのボスである士雄から愛のある素晴らしい紹介をいただきました。

改めまして、2025シーズン、中央大学ラクロス部の主将を務めさせて頂いた34期の横田慈英です。

初めに、平素より弊部に関わってくださっている全ての方々に、心より感謝申し上げます。
この1年間、主将として、数えきれない人と関わる中で、私たちが当たり前にラクロスに打ち込めて、日本一を目指せるのは、そのための環境を作ってくださる方々、応援してくださる方々がいるからだと改めて実感しました。この当たり前を当たり前にしない。感謝を行動で体現できる自分であり、組織でありたいと思います。

私はこれまで沢山の先輩や同期のラストブログを読む度に、心を動かされてきました。

たった数分で終わる文章なのに、4年間の積み重ねがぎゅっと詰まっていて、その人の全てを知ることはできないけれど、読んでいるだけでその人の人生を覗き見したような感覚になります。そして、そこに綴られた言葉たちは、どこか自分と重なって、いつも心がざわついたり、奮い立ったりしていました。

「自分がラストブログを書くとき、どんなことを感じるんだろう」

そんな問いに、いま、ようやく自分なりの答えが見えてきた気がします。

このブログでは、ひとりのプレイヤーとして、そして主将として、ラクロス人生を振り返りながら、正直な言葉で綴っていきたいと思います。

ここまでの人生のバイブルとして、今後の人生で見返せるように、1万字を超える超長編になっていますのでお時間がある際にご一読ください。

(1万字読み切るには、一般的に15分から20分かかるらしいです。)

— — — — —
高校1年

カナダ、オンタリオ州。

体育の授業で、先端に小さな網が付いた木の棒を手にする。

「こんなスポーツあるんだ。世界って広いな。」

これが私とラクロスの出会いである。

そこから時が経ち、高校の終わり頃、大学で何かに打ち込みたいと思っていた私は、親友の塾の先生が大学でラクロス部に所属していて、その話を聞いていた。

ラクロスという競技は、

「ほぼ全員が大学から始めるスポーツ」
「大学からでも日本一や日本代表を目指せる」
「自分次第でどこまでも行ける」

そんな甘い言葉に誘われ、ラクロスの魅力にどっぷりと浸かっていった。

大学入学後は迷わず、ラクロス部に入部。
そこではスタッフとプレイヤーという関係性で、幼稚園の幼馴染と再会したり、主将で日本代表の雄介さんに出会えたり。沢山の出会いと刺激があった。

そんな中、世間ではコロナウイルスの感染拡大が再加速。部活動の停止が決定。その後、校風もあり、他大の体育会が活動を再開する中、一向に始まらない部活。

「ラクロスは最初の100日が大事」

ただただ焦りともどかしさが続く期間だった。

サマーまで1ヶ月半、部活が始まる。
すぐに練習試合があった。当時1部所属の武蔵大学。結果は大惨敗。何より個人として全く通用しなかった。

— — — — —

人生には2つのフェーズがある。

「どの道を選ぶか」
「選んだ道をどう生きるか」

人生の大半は後者のフェーズで生きていく。
身を置く環境として、前者を選べる瞬間は人生で数えるほどしかない。

— — — — — 

最後の学生生活。

何もない「よーいスタート」の地点から、自分がどこまで行けるのかを試してみたかった。
どうせやるなら、人生で一度くらい本気で。

その上で、どうせなら、自分が知らない、想像できない世界が広がっている道を選びたい。

当時、関東では過去10年間で、たった2校が9回の優勝を独占していた。そう、絶対王者であり圧倒的強者、慶應と早稲田である。

そんな中、過去5年間で4度のFinal4に進出している大学があった。17.19.20.21年。一度も決勝の舞台にたどり着いたことはない。

「絶対的な存在を倒して、頂点を獲る」

ずっとスポーツ弱小校に身を置き、全国や世界で活躍する同世代を、画面の向こう側の存在として見ていた人間を奮い立たせるには充分すぎる言葉だった。

中高6年を共にした親友もそこにはいたし、最後は「漫画みたいでおもしろそう、かっこいい」といった勢いも含めた理由で中央大学に入学した。

 — — — — — 
大学1年

選んだ道を正解にするべく、まずは同期集めと、新歓活動を誰よりも頑張った。

そしてラクロス大好き少年というままに授業をほったらかし、壁とゴールに向き合い続けた。

練習中は、同期に強く当たる毎日で、周りとの協調なんて上の空、とにかく強くなりたい、勝ちたいの一心で毎日を積み重ねていった。

練習外は、優斗さん日向さんと共に、毎日の練習メニューを考え、試合に出るメンバーを決め、先輩スタッフに共有する。

個人としては、1番上手かったし、敵なし状態、他大とやっても、上級生とやっても、これは通用しているなという圧倒的な自信で溢れていた。

さて、ここまでを聞いてどう感じるだろうか?

恐らく、生意気だとか凄いとか様々な反応があると思うが、私にとってはどれも「当たり前」の感覚であり「当たり前」の日常だった。

そして当たり前に好成績を残すと臨んだ新人戦。

1度も決勝に行くことなく、敗退。

あすなろは不戦敗。

自分が向き合い続けたと思っていた練習も同期も、成果を出す基準には達していなかったし、方向すら間違っていたかもしれない。

いわゆる勘違い、井の中の蛙状態である。自信が実力の蓋をしているだけであると薄々気付きながらも、そんな自分を受け入れられないままシーズンは終わった。

そして結果以外でも、新人戦に全体応援で来ないチーム、不戦敗決定後にヘラヘラしている同期。

チーム愛や同期愛というものは架空のものなのかと心が砕かれた瞬間であった。

冷静に振り返ると、当時の自分は浮いていたと思うし、心が砕かれたなど被害者ヅラをするに足る振る舞いをしていなかったと思う。

それでも走り続けることが出来たのは、自身の怪我と向き合いながら34期に時間を使ってくれる2人の優しさと、同期からの呆れも含めた放任と信頼によって成り立っていたと感じている。

この1年は、「当たり前」とは何かを考えさせられた1年間だった。

ラクロスが出来る当たり前
学生コーチがいる当たり前
1年生がラグビー場で練習出来る当たり前
上級生が応援に来てくれる当たり前
大会に出場できる当たり前

これらの当たり前は今の下級生にとっては当たり前であるが、私が1年生の時は当たり前ではなかった。

そしてこんなことを言っている自分の34期が経験した「当たり前」もまた、誰かの「当たり前」ではなかったということ。

全ての「当たり前」はどれも当たり前ではなく、当たり前に押し上げてくれた人たちがいるからこその産物であるということ。

冒頭にも書いたように、この当たり前の事実を忘れずに当たり前にしない自分でいたいし、組織であって欲しい。


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大学2年

2桁を超える長い選考会を乗り越え、関東ユースに選抜。
ある意味で積み重ねの成果と言えるが、周りの実力の伸び具合が凄まじく、半年前に感じていた圧倒的な自信は揺らぎつつあった。

そんな中、春先から自分のラクロスが完全に楽しいものではなくなった。

圧倒的なフィジカルとシュート力を持つ32期とメンツの揃い具合がおかしい33期。
自分が持っていたOFとしての自信はあっという間になくなった。

いろいろ試しながらプレーする余裕はなかったし、何よりこんなにも上手くいかない。
2年生から活躍している姿を信じて疑わなかった自分にとって、何でこんなに上手くいかないんだ、自分は上手い、上手くなければいけないという実績も根拠もないプライドが自分を邪魔した。

そんな中、毎年恒例となるクリア問題が発生して、自分はALLとしてDFも担うようになった。
当時はOFとしても評価してるとかいろいろ言われたが、今考えるとシンプルにOFでは試合では使えないし、チームとしてSSDMに置きたいと思うのは当然だった。

その後はSSDMというポジションに魅せれた。
抜かれて当たり前というポジションでボールダウンさせた時の脳汁はすごいし、OFの時よりもチームに貢献出来ている感覚がはっきりとあって楽しかった。
この時の経験は今年のOFユニットを作る上で、自分自身のラクロスIQ向上に大きなプラスとなった。

この流れのままリーグ戦期間に突入。
開幕戦スタメンを掴み取り、獨協戦勝利に貢献。
勝つか負けるか分からないギリギリの試合で勝つという経験。
勝った瞬間の胸の高鳴り、心から喜ぶってこういうことなんだと本当に嬉しかった。

しかし獨協戦の3日後、インバートで滉士郎に渾身のプッシュをした後、足に引っ掛かり転倒。
右手親指1本で全体重を支えられるわけもなく悶絶。

「右手親指MP関節靱帯断裂」

診断された時の絶望感は今でも忘れない。

「ぼくはどうすればいいのでしょうか」

放心状態で病院から植村さんに送ったLINEの文章。

今、手術をすれば、リーグ戦出場は絶望的。
プレーを続ければ、今後一生不自由になる可能性。

自分がチームに貢献している感覚が強くあったからこそ難しい決断だった。
植村さん、萌乃さんと何回も相談して、結果的に手術を選択し、長いリハビリ生活が始まった。

リハビリと見学の毎日、出来ることをやろうと当時滉士郎と一緒にモチベ最高潮だった筋トレと増量に励んだ結果、80kgまで増量成功。

オフザピッチで成果が出始めた反面、ピッチ上では、チームが負けていく姿をただボックスの端から眺めることしかできなかった。 

絶対王者の背中はあんなにも遠いのかと、どこか他人事のように感じた慶應戦。
チームがクリアで大苦戦していて、もどかしさを感じた一橋戦。
スタンドから試合を眺めたほとんど記憶がない日体戦。

様々な想いを持って迎えた最終東海戦。
当初の復帰時期より1ヶ月早く復帰。

3Q、中央のマンダウン、ゴリさんが弾いたボールを取り、自陣から5人を抜いてのブレイクショット。
駆け寄ってきてくれた32期の先輩たち。智紀さんに持ち上げられた上空30cmからの景色は一生忘れないし、自分のラクロス人生の中で大きな瞬間だった。

分かりやすい挫折を経験し、プライドなんてものはなくなり、人が変わったかのように自信もなくなった。
こんなにも1年は早く過ぎるものなんだと、自分の無力感を感じながら、あっという間に初めてのリーグ戦シーズンが終わった。


— — — — —
大学3年

挫折のシーズンが終わり、ありがたいことに幹部になった。
チームがどのように作られていくのか、そしていかに難しいものなのか、それを目の当たりにしながらも、基本的にただ眺めているだけだった副将としてのオフシーズン。

そんな中、自分の中で何かが壊れ始めていた。

体が思うように動かない。 

年の瀬から3ヶ月以上、溶連菌、扁桃炎、コロナ、インフルエンザなど、ありとあらゆる体調不良に見舞われた。

2週間に1回のペースで38度を超える熱が出る状態で、 何かがおかしいということで全身の検査を行った。

「自律神経失調症」

診断を聞いたときは何故かそう悲観的にはならなかった。
むしろ時間が経つにつれて「驚きと安堵」という2つの感情が湧いてきた。

1つ目は、自分のことをメンタルの強い人間、切り替えが上手い人間と自負しているくらいには自己肯定感が高いと認識していた。そんな自分が、自律神経失調症というメンタルヘルスが関わってきそうな病気になるとはという驚きである。

2つ目は、ラクロスへのモチベーションはあるのに体が追いつかないもどかしい数ヶ月間の原因が分かったことに対する安心感と、副将や2年生からリーグ戦に出場している立場として、周りからの理解が得られ、ある種の示しが付くという安堵感である。

診断が出てからは休部をした。
死ぬ気で増やした体重も3ヶ月で14kg減少。

文字通り心も身体もボロボロだった。

自分は家にいながら、チームに関する大量のLINEに既読だけを付ける日々。
反対に、チームは春そして夏に向けて動き続けている。

こんなことを感じ始めた。

「自分は必要不可欠な存在ではないということ」
「自分だけの存在価値はないということ」

先輩方のブログでも度々登場する「存在価値」という言葉。

「私の存在価値とはなんだろう?」

何もない、長い1日の中で、何回もこの問いに向き合った。

プロではないし、推薦で来たわけでもない。
寄せ集めの集団である大学の体育会。

各ポジションに主力がいて、そして控えがいて、大学によっては、プレイヤー兼スタッフもいる。

スタッフ業務でいえば、プレイヤーがグラメやテーピングをやるチームもあるし、主務や会計、渉外を1人が担っているチームもある。

中央は部員数が多いため、役割分担として、その業務を専門にやってくれる人がいる。

ありがたいことだが、裏を返せば、必要不可欠ではない。

「あなただけの存在価値はなんだろう」

あなただからこそもたらせる価値は何か。
あなたがいてよかったこと。他の人ではダメなこと。 

この答えのない存在価値の問いには特にスタッフが悩んでいる印象を受ける。

ただ、これはスタッフだけのものではないと思う。むしろ多くのスタッフはこの課題を自覚し、直面している時点で、ただラクロスをプレーしているだけで何も考えていないプレイヤーより一歩先に進んでいる。

存在価値に正解はない。
だからこそ組織の全員が自分なりに探し続けることに意味がある。

残りの期間でそれぞれの存在価値を探してみて欲しい。

と、これだけで終わっても、芸がないと思うので、4年間で出した自分なりの答えを共有したいと思う。

私が辿り着いた結論は、

「存在価値≠誰かの役に立つこと」 

である。

多くの人と話している中で私は気づいた。

存在価値を探し求めている人ほど、自らの存在価値を見失って、自ら苦しくなっていることがある。

「もっと役に立たなければ」
「もっと成果を出さなければ」
「もっと評価されなければ」

そう思えば思うほど、うまくいかない自分に苦しみ、自分を責めるようになる。

他者との比較の中に自分を置けば、必ず心は揺らぎ、傷ついていく。

しかし本当は、存在価値とは「何ができるか」「何を成し遂げたか」「誰にどう思われるか」で決まるものではない。

何もできなかったときも、誰の役にも立てなかったと感じるときも、それでもなお、私たちは唯一無二の存在である。

私たちは存在しているだけで、すでに価値がある。

哲学のような少し抵抗がある響きかもしれないが、この前提を、まず自分自身の中に置いてほしい。

その上で、「どう在りたいか」を軸に、目の前の行動を選んでいけばいい。

「認められるために何をするか」ではなく、「自分がどう在りたいか」で行動を選ぶ。

そしてその積み重ねが、結果として誰かの支えとなり、組織の力となり、あなただけの存在価値を築いていくと私は信じている。

— — — — —
こんなにも存在価値について考える時間があった自宅での療養生活も無事に終わりを迎え、部活に復帰、そしてあっという間にリーグ戦期間に突入した。

やはりリーグ戦期間はあっという間だった。

38度の熱が出ながら強行出場した獨協戦
華麗な下馬評返しをした一橋戦
途中から記憶ないボロボロだった明学戦
4年生の意地をみた東大戦

結果、ブロック3位。
残り15秒の1点に泣く形でFinal4を逃すという結果になった。

冒頭でも触れた法政戦。

同点に追いつかれたシーンで自陣のフィールドにいたのは主将のゴーリーゴリさん以外全員下級生だった(一瀬、抜田、智忠、大雅、自分)。

あのシーンはFOのミスとして責めている人が多かったが、ここでは敢えてそうではないと言い切りたい。
あれこそまさしくチーム力、細部への拘り力の弱さが招いた結果だと思う。

ロンフェという選択肢を出せなかったBOX
ブレイクを作らせてしまうFO
クロスでいき縦長ししかしないSSDM
エースケアで外に大張りしていたLONG

冷静さと堅実さを欠いた考えうる最悪の4連続ミスである。

同じ経験は絶対に2度としない。
そしてこの経験を忘れずに活かすしかない。

そう決意して、厄年2024シーズンもあっという間に終了した。

— — — — —
大学4年

人生で最大級に沈んだ経験を経て、遂に4年生を迎えた。同期からの信頼を始めてリアルに感じながら主将になった。

私が主将として決めた目標

「人の人生に干渉する」

少し聞こえが悪いかもしれないが、これから自分と関わる人に少しでもプラスの導きが出来たら良いな。
その人がラクロスに触れる限られた時間だけでなく、今後の人生に影響するような1年にしたい。そんな想いがあった。

取り組みとして、全部員との個人面談を実施した。

それぞれがどのような想いを持って、何をモチベーションにラクロス部に入部したのか、バックグラウンドを聞いたり、今の率直な感情を聞いたり、本当に良い時間だった。

チームとしてひとつの方向に向いていけるんじゃないかそう思った。

ただ、現実にはそううまくは行かなかった。

幹部は規律を破るし、
最上級生の大半はカンパニーだし
下級生は配慮ない発言で荒らすし、
挙げ句に試合の結果も付いてこない。

チームとしての自信は完全に失われた。
そして何より主将としての自信がなくなっていた。

その中でひとつ転機になったのが日本代表活動である。

植村さんからの「主将として外の世界を知っておく経験も大事だ」と諭され、怖がりながら参加。

結果、運良く1回、また1回と選考を通過していき、代表メンバーに残った。

プレイヤーとして外見がアップデートされたのはもちろん、シンプルに今までスタンドから眺めていた選手たちと同じフィールドでプレーをしているこの経験が自分自身に大きな自信をもたらした。

強度やスピード感、戦術理解度や言語化力含めて、日本のトッププレイヤーと実際に肌感として体験できたことは本当にラクロスプレイヤーとしてのレベルを何段階も引き上げてくれたと思う。

代表の選考会で舟状骨骨折をして、右手にラクロス人生2度目のメスを入れた。結局、3年間まともに春リーグに出場することは出来なかったが、それ以上に収穫のあった代表活動だった。

2年生から運営に関わっていた思い入れの強い中立戦でも惨敗し、お世辞にも調子が良いとはいえない状態でリーグ戦を迎えた。

そして8/15、明治戦前日。

右ハムストリングの肉離れ。

高校生のときに2回重度の肉離れをしてから、耐えてきた太腿がこの肝心な時に悲鳴をあげた。

怪我をしたという事実より、4年間で1番チームから必要とされている時に、ベストな状態で出れず、チームに迷惑をかけるという事実。

申し訳ないというより情けないという気持ちでいっぱいだった。

猛暑による試合順延によって、明治戦は回避したが、9月から4週連続の試合が確定。

そこからは四街道の植村さん、ユニバースの赤松さん,山中さんにお世話になり続け、治療を続けた。

しかし完治する時間もなく、試合前々日だけ練習に参加して、前日は休み、試合当日にぶっつけで臨むというルーティンを繰り返した。

今までのリーグ戦で1番緊張した東大戦
シャットの光栄さと無力さを感じた明学戦
勝ち切る難しさを実感した獨協戦
真っ向勝負で力負けした早稲田戦

結果、1勝3敗1分のブロック4位。
直接対決の関係で入れ替え戦回避という結果だった。

明治戦、勝利した。劇的な勝利だった。
病院での勝利通知と共にリーグ戦が終了した。

春から続いた負け地獄。

この長く苦しい失敗ばかりの時間の中で得た、たったひとつの成功は、それまでの過去を美化しがちだ。

確かに、あの勝利で報われたように感じた瞬間もあった。

でも、それはあくまで表面的で一時的な感情にすぎない。

私たちは4年間抱き続けた理想と現実の差はあまりにも大きく、その乖離を埋めきれなかった。

結果として、日本一という目標は愚かFinal4にすら届かず、支えてくれた多くの人の期待に応えることもできなかった。

プレイヤーとしてピッチに立てる時間は限られ、主将としても解決しきれない問題が積み重なり、不安定なチームを作ってしまった。

今年の中央をこのような結果で終わらせてしまった責任は間違いなく自分にある。本当に申し訳ありません。

それでも、この1年間、自分を削りながら他者に向き合った時間は、人生で初めてだった。

平凡な自分に、主将としての役割を託してくれたこと。

そして、そんな自分についてきてくれた仲間がいたこと。

それだけは胸を張って誇れるし、心から感謝しています。

1年間、本当にありがとう。

さて、そろそろ締めの時間ですが、あと2つだけ主将として学んだこと、感じたことがあるので、残させてください。


1つ、中央大学は強いということ。

中央大学ラクロス部の諸君、もっと自信を持ちましょう。

「勝ち癖、勝ちマインド」

これが他大と1番差がある部分なのではないかと感じました。

優勝校も1部2部の入れ替えもコロコロと変わるラクロス戦国時代のいま、過去5年で、入れ替え戦に行っていないのは早慶、中央、一橋のみ。

安定的な成績という点ではかなりの上位に食い込んでくる中央大学。

これはなぜか。

少なくとも今年、近年稀にみる大混戦、更に例年より、下馬評も限りなく最下位に近い状態から、入れ替え戦を回避した理由。

「現実逃避」

これは「ひゃくえむ」という漫画で出会った考え方である。

良くない結果を現実とし、自分が求めている結果を非現実とする。
だから自分の求めている結果に向かって、よくない結果から逃げるというスタンス。

これは一見、ただの逃げ。
悪いことのように感じるかもしれない。

「現実逃避」

これは現実に目を向けず、夢物語に走る訳ではない。

現実が何か分かっていなければ現実からは逃げれない。

自分たちが置かれている現実、弱さ、それら全てに向き合う。

目を塞いで立ち止まるのではなく、目を開いて逃げることである。

今年のチームが救われた強さでもあり、だからこそ4位という弱さでもあると感じています。

春から勝てていないという現実
まだリーグ戦で1勝もしていないという現実
Final4はもうないという現実
勝たなければ入れ替え戦という現実
自分たちは弱いという現実

これらの現実にしっかりと向き合い認識した。

その上で隠れることなく正面から戦った。

だから救われたんだと思う。

ただ、現実に向き合うのが遅く、現実を対処しきれなかった。

だから4位という弱さになった。

現実への対処はそれなりの時間が必要である。

アップダウンを丁寧に出来ない現実
毎試合、目標得点に届かない現実
毎試合、同じ形で失点する現実
個人の努力量や熱量が足りない現実
毎年、クリア問題が発生する現実

これがFinal4以上に行ったチームとの差。

そして、個人としても、
主将として、ひとりのプレイヤーとして、

チームでの意思決定をして、舵を切らないといけない。
絶対に文句や不満が出ると分かっていても言わないといけない時がある。
板挟みになると分かっていても言わないといけないことがある。
めんどくさくても自分が最後はやらなければいけないときがある。
おまえはやってるのかと言われるかもしれないけどおれが言わないといけないことがある。

だからこそ、そのスキを見せないように自分を固めないといけない。

けどそれが出来なかった。

BMIが足りていない現実
トレーニングに本気で取り組めていない現実
チームを勝たせる圧倒的な実力がない現実

これらの現実を認識はしていた。
それでも自分が出来たことは、割り切って、突き抜けるという選択。

それが弱さ。
だからチームの雰囲気も弱かった。
だから最後の踏ん張りが出来なかった。

組織のTOPに立つということは、単に嫌われる勇気を持つことなどではなく、嫌われた上で認められる力を得ることである。

この認められるということがいかに難しいことなのか。

この1年間苦しみました。

おれは弱いです。そしてそれが悔しいです。

大学1年、現実から目を背け、現実逃避した結果、世代最強を信じて疑わなかった頃から、大学4年、現実を痛いほど見て、その上で応急処置的な振る舞いをすることでしか現実から逃げれなくなった。

そんな人間になった。不思議なことに自分のことを嫌いになりそうな現実ばかりだ。

でも、これも不思議なことに、私自身は「私は何かを掴める人間だ」と信じ切れている。

この現実逃避は自分自身への期待であり、自分が自分を諦めていない証拠である。

誰からどんなことを言われようと、自分だけは信じ続ける。

まだ見たことのない横田慈英が見えるだろう。

絶対に見ます。超えます自分を。


自分の意志で自分の生きる道を選ぶ。

大舞台でプレーしたかった。

脚光を浴びたかった。

何かを掴みたかった。

そんな子供みたいな動機だったかもしれないけど、あの日ラクロスという競技を選び、ある意味で道を外れ、いまここにいる自分を、心から誇りに思っている。

中大ラクロス部は永久に不滅です。

私はラクロスが大好きだ。

旅はまだ続きます。

#7 34期主将 横田慈英


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そして最後に。

シーズンが終わり、ふと思う。

この4年間、ずっと何かを背負っていた。
怪我という足枷、ユースや代表という肩書き。
主将という役職、最上級生という立場。

「責任」という言葉に押し潰されそうになりながらも、走り続けてきた。

けれど、いざ終わってみて思うことは

「本当の意味で、誰も責任なんて取れない」

ということ。

試合に勝とうが、負けようが、
入れ替え戦に行こうが、残留しようが、
どんな言葉を並べても、時間は戻らない。

学生ラクロスには終わりがある。タイムリミットがある。
最後は誰しも、引退という現実を前に、全てを終える。

「責任を取る」

なんて言葉は、どこか綺麗ごとに聞こえる。

「環境を作り、責任を取るのが幹部の役目」
そう言い続けてきた自分が、今改めて感じるのは、

責任とは「取るもの」ではなく、「向き合う覚悟」なのではないかということ。

やるべきだったこと、やれなかったこと。
その全部を自分の中でどう受け止めるか。
何を背負ってきたかよりも、最後に何を残したと思えるか。
それだけが、自分を救ってくれる。

自分自身に問いたい。

「何かこのチームに残せたのだろうか?」

自分の中では「残せた」と信じたい。

点を取った瞬間の感動。
何気ない日々の練習でかけた一言が、
誰かの救いになっていたかもしれない。

プレーでも、生き様でも、
誰かの心に、ほんの少しでも痕跡を残せたなら、
それだけでやってきた意味はある。

それがプラスの影響だけではなく、反面教師だったとしても。

「これはやりたくないな」「こうはなりたくないな」でも、

誰かの判断軸の一部になれたのなら、
それもまた「残したもの」だと思う。

そしてこのブログも、同じ。

この文章を読んだあなたが、
なにかを感じて、明日からの行動が少しでも変わったのなら。

それは私の失敗でも、私の挑戦でも、意味があったってことになるのではないでしょうか。

あなたの人生に関わることが出来たと信じて。


— — — — — 
ここまで本編をご一読いただきありがとうございました。

最後に感謝と激励パートです。

高橋さん
下級生の時と、主将の時と、高橋さんの見え方が何段階も変わりました。部活の先輩として、人生の先輩として、「視座を変えて考える」という姿勢は人生のモットーになるくらいの影響を受けました。今後とも手厚いご指導よろしくお願いします。

新子さん
ラクロス界で1番刺激的な人でした。ビックリスペクトです。生き方やマインドなどまだまだ知りたいことだらけです。自分自身や他の部員にもかなり気を遣ってもらったこと、ひしひしと感じながら過ごしてきました。愛を感じる1年間でした。今後ともよろしくお願いします。

植村さん
何度ディープな相談をしたことか。何度救われたことか。いまや世界の植村さんになり、遠くに行ってしまった気がして少し寂しいです。たくさんお世話になりました。今後ともよろしくお願いします。

中央に関わって下さった全てのコーチ陣の皆様
(諸星さん,茂木さん,袖山さん,天野さん,てるさん,歩さん)
私はきっと扱いづらい選手だったと思います。それでもたくさんの会話を重ね、たくさんの相談をさせていただきました。中央を強くする中央で勝ちたいという同じ想いを持って、手を貸してくれた。本当にありがとうございます。今後とも中大をよろしくお願いします。

うりぼう、ユース、代表関係者の皆さん
(翔太さん,じゃんぽさん,高島さん,平塚さん,あゆとさん,星さん,ミッチーさん/村木さん,淳さん/ウドさん,ごとしゅんさん,さとしゅんさん,川名さん)
私が一方的に覚えているだけの場合がほとんどだと思います。それでも交わした会話、一緒にプレーした経験、全てが刺激になり、今の私を作っています。大人になってもラクロスに携わり続ける。このことがどれほど凄いことなのか。だんだんと理解してきました。貰ったものを返せるように少しずつ還元していきたいと思います。

ラクロスを続けている中大OBOGの方々
ありがとうございます。皆さんの存在は中央ラクロスを背負い、広げていく最前線です。現役世代からひとりでも多く、皆さんの後に続けるように頑張ります。

優斗さん、日向さん
34期は間違いなく2人のおかげで救われました。本当に感謝しかないです。優斗さんの学習戦のゴール一生忘れません。ありがとうございました。

哲史さん、ゴリさん
主将として、2人には遠く及びませんでした。
生意気ながら軽く越えれると思っていたその背中は想像よりも遠くそして重かったです。
そんな2人がシーズン前にやり残したこととして話してくれた、スタッフとコーチの関わり方は自分なりのやり方で、後輩たちに残せる関係性を作ることが出来たと実感しています。改めて主将お疲れ様でした。ありがとうございました。

春佳さん、絵美里さん
息抜き息抜きで、毎度ご馳走様です。他愛もない話から真剣な相談までたくさん救われました。実家のような安心感です。また行きましょー!

6世代のTRの皆さん
お世話になりました。怪我人グルを振り返ると、1.2年は股関節の違和感、3.4年はハムの違和感でちょくちょく練習を抜けてました。手術2回に試合中の救急車なんてなかなかいないと思うけれど皆さまのおかげでなんとか走り抜けました。ありがとうございました。

幹部陣を支えるすべての人へ。
幹部にはどうか遠慮せずに、配慮をもった厳しさを向けてあげてください。中央大学は、まだ日本一を達成したことがありません。「正解のない状態で正解を探し続ける」という途方もない挑戦を掲げる幹部やリーダー達は、想像以上に孤独です。だからこそ、キャパオーバーになったり、判断を誤ってしまう瞬間もあります。そんな時こそ、周囲の声が必要です。ただ、感情のまま投げつける言葉と、相手を思ったうえでの厳しい意見はまったく別物です。配慮のある指摘は、どれだけ厳しくても受け止められ、チームを前に進めます。みんなで支えていってあげてください。

34期
本当にありがとう。34期の代表として歩んだ4年間はとても重かったです。それでも同期という世界で唯一の存在に救われた瞬間がありました。たくさんの喜怒哀楽を超えて、最後まで走り切ったかけがえのない29人。改めて4年間本当にありがとう。

35期
34期と肩を並べるくらいの色濃い集団だと思います。ただそこには自分たちへの厳しさを備えていて、ここ数年で最も結果を残している代だと思います。羨ましいです。どんなに関係性が変わっても、後輩としての可愛いさは変わりません。来年、日本一獲れる代です。獲りましょう。

36期
明るさと優しさに溢れた代だと思います。TOPのメンバーは今年試合での良い思い出を多くは残せなかったけれど、2年生で勝つか負けるかギリギリの試合で勝つという経験が出来たことは本当に財産です。COMPANYのメンバーは2年生で主力を張って、中大初の全国にも行って、羨ましいです。勝ちの高揚も負けの虚しさもどちらも忘れずに想いを繋いでいっていください。スタッフ陣はどうしたらこんな仲良しの良い子達だけが集まるのかと驚くほど奇跡の代だと思います。これから辛いことも増えていくと思うけれど、どんどん挑戦していってください。

35スタッフ
5人がいたから2025シーズンは走り切れました。感謝してもしきれない。本当にありがとう。本来なら掛からない負担をたくさん掛けて、想像出来ないくらい辛い思いをさせてしまったと思います。いくらでも奢るので声掛けてください。2026シーズンも任せました。

ポジリ
無茶苦茶な濃すぎるメンツだったと思います。FOのチーム内立場を復活させた響、超現実主義と思いきや結構ロマンある立、毎リーグ戦中に大やらかしする一瀬、中立戦にクリライに実はたくさん背負っていた玉井。みんな本当にありがとう。

25 TOP OF陣
春から「6点獲ったら勝てる」と言ってきて、苦しい時期が続いたけれど、最後の最後に1番大切な試合でピッタリ6点獲って勝ちました。可愛い自慢の後輩達です。来年以降、今年の鬱憤を爆発させましょう。
(おぐけん)彼女と仲良くしてね。トレーニングは絶対必要だよ。(鼓太郎)可愛い後輩。いろいろ一緒に頑張ろうね。(香西)どこか似ている部分があると思ってます。(山田)こんな野生児みたことないです。プライベートも充実させましょう。(八幡)下級生で1番刺激を受けました。来年再来年と爆発してください。今年の種まきが必ず花を咲かせます。(晴一)チームで1番の才能を持っているのは君です。破壊神になってください。(たなそら)今年上手くいかないこともあったと思うけど、この1年耐えたたなそらは必ず輝かしい未来が待ってます。

OF MAKES VICTORY
2年生からリーグ戦メンバーである滉士郎と俊介に、おれらの前だとすぐ泣いちゃう金子と史上初のB,Cチームを経てのTOP昇格を果たして、最後はチームの救世主となった孝晟。5人で歩んだ1年は最高でした。数えきれないほど画面上で顔を合わせて、くだらない話から真剣な話までたくさん想いを交わしました。明治戦孝晟の得点ばっか擦るけど、獨協戦の同点弾なかったら終わってたからそっちも褒めてね。原家の食卓まだ開催されてないのでやりましょう。

俊介と滉士郎
2年生の時からTOPチームとして、深く関わり、3人で成長してきました。滉士郎には嫌われるくらい強く当たったし、2人の存在に救われてきました。おれよりも優しく、愛される2人だからこそたくさんの悩みを打ち明け、たくさんの会話と思い出を繋いできました。これからもよろしくね。

ジオ、つっちー、おぎ
先日も伝えましたが、まずは1年間本当にありがとう。3人のおかげで34期と37期は前に進めています。プレーしなくてもチームを動かせる存在になれることを、3人は証明してくれた。全体MTGで言った通りの「自信を持って送り出せる3人」でした。改めて、1年間本当にありがとう。そしてお疲れ様。

智也、かず
何もしてないとか言ってるし思ってるかもしれないけど、自分にとって2人の存在は大きかったです。智也はネチネチ言ってきて、うざくて、でもそれが本当に有り難くて、本当に一瀬のことが大好きなのが可愛いです。かずは常に自分の頑張りを認めてくれていて心の支えでした。彼女と個室サウナの夢早く叶えてください。

知貴、高野
思い出いっぱいですね。急にヨーロッパに行けなくなったと言っても、別で旅行計画立てようと言ってくれたり、なんだかんだで優しい愛を持った人たち。インスタ改革班として3年間で1200人以上のフォロワーを獲得しました。結構すごいことだと思ってます。これからもよろしくです。

桃子
背負っているものは自分以上に多く重かったと思います。私には想像できないくらいの孤独を感じ、消化し、平気な顔をして無理をしていたと思います。ほんの少しは肩を貸せたでしょうか?私はたくさん救われました。でも以前言ってくれた残りの感謝とやらは、まだまだ足りていないので待ってます。4年間本当にありがとう。

翠子
真のメンタル強者とは翠子のことを言うのかもしれない。どうしようもないくらい悩んで話し合った懐かしい時期もあったけど、大切な愛すべき同期スタッフです。ここまで共に歩んでくれてありがとう。

大雅
1年間で何回電話をしたことでしょう。この1年で人間的に1番成長したのは大雅なのではないかと思うほど、柔軟に優しくなったね。自分にはないものもたくさん持っていて強いチームを作れると思います。頑張っていこうね。

和奏
同じモノ同士として、和奏の考え方を聞いて参考にしてました。全然違うタイプの人だからこそ、和奏の純粋な優しさに刺激を受けました。主将としての1年間本当にお疲れ様。ラクロス続けなさいよ。

日菜子
4年前、お互い最初の友達として新歓ブースを歩き回ってから、まさかここまで関係性が続くとは思ってもいなかったでしょう。隣のコートで4年間頑張ったんだから今後きっと最上級に良いことあります。また騒ぎに行きましょう。

野毛会
こんなにも野毛イジりされていることは夢にも思わないでしょう。野毛の知名度向上に大きく貢献しました。いつも応援してくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。

附属のみんな
いつも気にかけてくれて嬉しいです。ハイスペ集団の中にぶち込まれ、毎度現実を見せつけられるのでありがたい。姐さん早くお祝いしてください。

のぶ
のぶがいたからこそ、この物語が始まりました。
きっと言葉はいらない。ありがとう一生よろしく。

たったん
あなたがいるからどんな時でも自分はまだ耐えてると思えます。これからも変わらずいて下さい。

のぎ
誰かのために頑張ることが、自分にとってこんなにも力になるとは思っていませんでした。いつも変わらず向き合ってくれる姿勢に、たくさん支えられました。ひたむきさや優しさに何度も救われています。言葉にしきれないけれど、心から感謝しています。これからもよろしくお願いします。

あきちゃん、まきちゃん
お母さんお父さんと間違えられるくらい応援してくれてありがとう。会場で1番のファンを体現してくれて大きな力になりました。今度ゆっくり挨拶しに行かせてください。サーフィンとボルダリングまたしましょー!

北海道のみんな
日本最北端から熱いエールをありがとう。今年、そちらでは色々大変なことがあったのに、自分事のように応援してくれるみんなの明るさに本当に元気付けられました。年末行きます!楽しみにしていてください!

最後に、親愛なる家族へ。
こんなにも世話のかかる、わがままな息子は世の中を探しても、そうそういないと自負しています。普段は感謝を伝える事も出来ない子供だから、改めて本当にいつもありがとう。大好きです。
何でも出来る世界一尊敬できるお母さん、調子どうなんだと不器用ながらに聞いてくるお父さん、なんだかんだお兄ちゃんをしてくれるお兄ちゃん。
ブログという性質上、挫折や弱さなどネガティブな部分を曝け出したけれど、家族の愛のおかげで、私はこんなにも多くの人と関わり、名前を覚えてもらい、影響され、そして影響を与えることの出来る人間になりました。ありがとうございます。まだお世話になる期間は続くけど、近い将来少しずつでも必ず返していきます。これからもよろしくお願いします。

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ここまで、2年をかけて紡いだ34期29名のラストブログをご覧いただき、本当にありがとうございました。

改めまして、今シーズンも多くのご支援・ご声援をいただきましたこと、心より御礼申し上げます。
これからも中央大学ラクロス部をどうぞよろしくお願いいたします。




#7 34期主将 横田慈英