これから滞在するパレスチナ。

イスラエルとパレスチナの間に存在する争いは
どんなものなのか、
曖昧にしか分からない方もいるのでは?

ということで、その昔友人と一緒に作った
「パレスチナを知るための本」から一部抜粋して
ご紹介します。
(お邪魔している友人の家にあったのです!)



パレスチナとは本来は地中海の地域の名前。
パレスチナ自治区はイスラエル領土内にあるため
「占領地」と呼ばれており、ヨルダン川西岸とガザの2つから成る。

パレスチナ人って?イスラエル人って?パンさん/?
パレスチナ人:パレスチナに住むアラブ人
イスラエル人:イスラエル国籍を持つ人。ユダヤ人なら誰でも
       イスラエル国籍を取得できる。
ユダヤ人  :基本的にはユダヤ教を進行する人々のこと。
※ユダヤ人を親に持つものという捉え方もあり、旧約聖書では
母親がユダヤ人であるものとされている。
離散の歴史の中で多様な人種となっている。


なんで争うようになったの?パンさん/?
パレスチナとイスラエルが争うようになった背景には
世界情勢が大きく関与しています。

ローマ帝国の支配時代、ユダヤ人はこの世に住んでいました。
彼らはローマ帝国の属州であったため独立戦争を起こしましたが
破れて世界中に散らばることに成りました。
これがユダヤ人が世界に離散した歴史の始まりです。

その後この地にはアラブ人が住むようになり、
「パレスチナ」と呼ばれるようになりました。

世界に散ったユダヤ人たちは各地で差別を受け、自分たちの国を作ろうと考えました。
そこで自分たちの先祖が暮らしていたパレスチナに
「イスラエル」という国を作ろうとしたのです。

しかしそこにはすでにアラブ人たちが住んでおり、争いになりました。

この争いにはユダヤ人/アラブ人双方に国の樹立を約束した
イギリスの”2枚舌”外交も大きく影響しています。

イギリスはWW1のとき、オスマントルコを味方につけたいと考え
(当時アラブ地方はオスマントルコの支配地だった)
アラブの独立国を守ると約束します。
それを受けてフセインは1916年にアラブの独立を宣言します。

ところがイギリスは翌年、今度はユダヤ人の代表に
「パレスチナ(地名)にユダヤのための国(場所)を作る」
という約束をしてしまったのです。

つまり、アラブにもユダヤ人にも「いい顔」をしてしまった
ということです。
その後、困ったイギリスはこの問題の解決を国連にゆだねました。

国連は「ユダヤ人の住むイスラエル」と「アラブ人の住むパレスチナ」
という2つの国に土地を分ける案を考えました。

しかしアラブ人はこの分割案が自分たちにとって
完全に不利であるとして反対しました。

実はこの分割案は、ユダヤ人を多く抱えるアメリカが下工作して
ユダヤ人が有利になるように計画されたと言われています。

アラブ人の反発にも関わらず、
ユダヤ人が1948年に一方的に「イスラエル」建国を宣言したため
戦争と成ったのです。

このようにパレスチナとイスラエルがあらそうようになった背景には、
自国の利益のために働きかけたイギリスやアメリカ、
ユダヤ人を差別した国々の思惑が大きく絡んでいるのです。


歴史上の流れ、お分かりになりましたでしょうか。
イスラエルが悪い、
パレスチナが悪い、
という問題ではなくて、
両者は歴史の中の、世界の政治の中の
いろんな人の思惑に振り回されてしまって
このような状況に陥ってしまっているのです。


※分かりやすくするために多少表現を省いたり
しておりますが、興味がある方はいろいろな文献で
見てみてくださいね。


以上、パレスチナとイスラエルについてでした!