ずっとずっと、毎日忙しくて
余裕がなくて、しばらくブログお休みしちゃっておりましたが
復活します。
ちょっと寒い土曜日の夜。
1人家でラジオ聞きながらずっと見れてなかったメールを
チェックしてました。
すると、海外の友人からSkypeでチャットが。
彼は私がまだ大学生のときにフランスでボランティアをしていたときに
出逢った人なのですが、
「こんな素敵な人がいるのか!」とびっくりしたのを今でも覚えています。
彼との出会いを少しだけ。
2003年に、フランスの長期ボランティアを始めたばかりのころ
ちょうど全仏のボランティア数百人が集まる合宿キャンプがありました。
長期のボランティアをしていくにあたって、オリエンテーションや、
中間総括の意味をこめたそのキャンプには、
フランスの運営団体スタッフはもちろん、世界中から集まったボランティアが
数百人集合し、
昼間は研修やワークショップ、夜は夜な夜なパーティーをしておりました。
そこに彼はボランティア団体のスタッフとして来ていました。
参加者はもう、キャンプだし、テントだし、数日あるし、
若者にもう盛り上がっちゃっておりまして。
もちろん、お酒だって、タバコだってその他だって
たくさんあって、もう野外大イベントみたいな数日間だったのです。
そこをまとめるのは大変だろうなーと思うのですが、
でも、そんな参加者数百人を、
ちゃんと盛り上げながらも、しっかりまとめ、そして、的確に指示することで
スケジュールを円滑に進行させてしまってる彼をびっくりしながらみていました。
なんか、係のスタッフから
「移動してくださーい」
とか言われるとちょっとめんどくさい気になるのですが、
彼はその輪の中に楽しい感じで入っていきまして、
彼のパーソナリティでみんなをひきつけたあとに
きちんと移動や活動を促していくからいつの間にか
よっぱらいの私たち参加者もワークショップに参加してて。
すごいなー、と思ってみていたのがきっかけで仲良くなりました。
いやぁ、めっちゃ面白くて
でも見えないところでしっかりしてる。
まさに、私の目指す姿でした。
そんな彼は、イタリア人だけど、
そのフランスのボランティア団体で働いていて、
今はドイツで働いて、風のように生きている人です。
いやいや、もともとヨーロッパ人って、すごくすごく当たり前に
自分の国以外で住んだりするけれど、
彼は特にその傾向が強くて、
「行ったらなんとかなるさ」という人なのです。
フランス語ができないけどフランスに住んで
働くうちにできるようになって、
ドイツ語ができないけどドイツに来て、
今はドイツ語ができるようになって働いていて、
今度は
「日本に行こうかな」と。
私はずっとずっと世界中を旅はしていたけれど、
いつもどこかに籍を残していた気がする。
何もかも日本において、外国に行ったことがなかった。
「仕事があるかわかんないし、言葉もわかんないし。」と
引っ越すというよりは、テンポラリーで海外にいた気がする。
だから、
お仕事もなくて、その国の言葉ができなくても、
いけば見つかるさ、
引っ越しちゃうよー。
のその彼の考え方に何か感激したのでした。
できるかできないか、じゃなくて、するかしないか、だな、と。
私は仕事を捨てるのがコワくて、
いつもの生活をずっと続けているけれど、
でも、ずっとやりたいことがあって、
でも、
「仕事やめて食べられなくなったらどうしよう」なんて
考えてたんだろうな。
でも、ほんとは、日本にいる限り、というか、
生きている限り、なんとかなるものなんだろうな。
なんだか、「履歴書」とか「職歴」とかそういう目に見えるもので
価値化していた気がしました。
私らしくないかもな、と思いました。
どうしても、営業で一位をキープしていたくて
毎日深夜まで働いて、
みんなに「会社支えてるね」といわれるのがうれしくて、
でも営業を通じて得たいものがなんだったっけ?って
そういうことを忘れていたことに気づきました。
あれ?何のために生きてるんだっけって
意識しないと忘れちゃう。
私は、どこでだって生きれる自信があるのに、
すごく友達が多いのに、
友達が世界中にいるのに、
言葉だってすぐに覚えられるのに、
というか、言葉ができなくても、
友達がすぐできる性格なのに、
なんかこわがってたんだろうなー。
目に見える数字なんかを考えてばかりじゃ
ちっちゃくなっちゃう。
どんなことをしてもいいから、
ちゃんと自分らしく生きよっと。
と思った土曜日の夜。
余裕がなくて、しばらくブログお休みしちゃっておりましたが
復活します。
ちょっと寒い土曜日の夜。
1人家でラジオ聞きながらずっと見れてなかったメールを
チェックしてました。
すると、海外の友人からSkypeでチャットが。
彼は私がまだ大学生のときにフランスでボランティアをしていたときに
出逢った人なのですが、
「こんな素敵な人がいるのか!」とびっくりしたのを今でも覚えています。
彼との出会いを少しだけ。
2003年に、フランスの長期ボランティアを始めたばかりのころ
ちょうど全仏のボランティア数百人が集まる合宿キャンプがありました。
長期のボランティアをしていくにあたって、オリエンテーションや、
中間総括の意味をこめたそのキャンプには、
フランスの運営団体スタッフはもちろん、世界中から集まったボランティアが
数百人集合し、
昼間は研修やワークショップ、夜は夜な夜なパーティーをしておりました。
そこに彼はボランティア団体のスタッフとして来ていました。
参加者はもう、キャンプだし、テントだし、数日あるし、
若者にもう盛り上がっちゃっておりまして。
もちろん、お酒だって、タバコだってその他だって
たくさんあって、もう野外大イベントみたいな数日間だったのです。
そこをまとめるのは大変だろうなーと思うのですが、
でも、そんな参加者数百人を、
ちゃんと盛り上げながらも、しっかりまとめ、そして、的確に指示することで
スケジュールを円滑に進行させてしまってる彼をびっくりしながらみていました。
なんか、係のスタッフから
「移動してくださーい」
とか言われるとちょっとめんどくさい気になるのですが、
彼はその輪の中に楽しい感じで入っていきまして、
彼のパーソナリティでみんなをひきつけたあとに
きちんと移動や活動を促していくからいつの間にか
よっぱらいの私たち参加者もワークショップに参加してて。
すごいなー、と思ってみていたのがきっかけで仲良くなりました。
いやぁ、めっちゃ面白くて
でも見えないところでしっかりしてる。
まさに、私の目指す姿でした。
そんな彼は、イタリア人だけど、
そのフランスのボランティア団体で働いていて、
今はドイツで働いて、風のように生きている人です。
いやいや、もともとヨーロッパ人って、すごくすごく当たり前に
自分の国以外で住んだりするけれど、
彼は特にその傾向が強くて、
「行ったらなんとかなるさ」という人なのです。
フランス語ができないけどフランスに住んで
働くうちにできるようになって、
ドイツ語ができないけどドイツに来て、
今はドイツ語ができるようになって働いていて、
今度は
「日本に行こうかな」と。
私はずっとずっと世界中を旅はしていたけれど、
いつもどこかに籍を残していた気がする。
何もかも日本において、外国に行ったことがなかった。
「仕事があるかわかんないし、言葉もわかんないし。」と
引っ越すというよりは、テンポラリーで海外にいた気がする。
だから、
お仕事もなくて、その国の言葉ができなくても、
いけば見つかるさ、
引っ越しちゃうよー。
のその彼の考え方に何か感激したのでした。
できるかできないか、じゃなくて、するかしないか、だな、と。
私は仕事を捨てるのがコワくて、
いつもの生活をずっと続けているけれど、
でも、ずっとやりたいことがあって、
でも、
「仕事やめて食べられなくなったらどうしよう」なんて
考えてたんだろうな。
でも、ほんとは、日本にいる限り、というか、
生きている限り、なんとかなるものなんだろうな。
なんだか、「履歴書」とか「職歴」とかそういう目に見えるもので
価値化していた気がしました。
私らしくないかもな、と思いました。
どうしても、営業で一位をキープしていたくて
毎日深夜まで働いて、
みんなに「会社支えてるね」といわれるのがうれしくて、
でも営業を通じて得たいものがなんだったっけ?って
そういうことを忘れていたことに気づきました。
あれ?何のために生きてるんだっけって
意識しないと忘れちゃう。
私は、どこでだって生きれる自信があるのに、
すごく友達が多いのに、
友達が世界中にいるのに、
言葉だってすぐに覚えられるのに、
というか、言葉ができなくても、
友達がすぐできる性格なのに、
なんかこわがってたんだろうなー。
目に見える数字なんかを考えてばかりじゃ
ちっちゃくなっちゃう。
どんなことをしてもいいから、
ちゃんと自分らしく生きよっと。
と思った土曜日の夜。