今日、面白い話を聞きました。
「日本人が英語を話せない理由って2つあるらしいんだけどね…」
なになに、興味深いっ
「1つ目はね、『普通に英語に慣れてないっていうこと』らしいんだ。」
…確かにねー。
文法も発音も全然違うし、話す機会だってあんまりないもんね。
そういえば、大学時代の英語の先生が
「日本人が英語ができないのは、植民地化されたことがないという
幸運な歴史も関係している」って言ってたな。
アフリカとか、現地の言葉だけじゃなくて
「英語を使わざるを得ない状況だった」んだろうと思う。
日本は日本語だけで生きられる、そんな偶然にも幸運(?)な社会ですもんね。
で、理由の続き。
「2つ目はね、『話す内容がないから』らしいよ。」
確かに、そうかもしれない。
「このような状況に至ってしまったということは誠に遺憾であり
当方といたしましても状況を鑑み、前向きに施策を検討していく所存でございます」
みたいなセリフ、よくあるけれど、結局のところ意味がなくても何も考えなくても
一応しゃべることができる。
しかもそれっぽい。
でも、「結局あんた、どうすんの?」って感じですよね?
そう、日本語って中身がなくても、考えなくても「一応」話すことができる言葉なんだよね。
だから、英語にしようとしたときに
「話す内容がない!」ってびっくりして言葉にならないんだと思う。
今日話していた友達4人は全員海外歴が長くて(私以外、2-3年は住んでたりとか)
英語には事欠かないみんなだけど
「あ、私日本語寄りかも。」って言っているのにびっくりしました
彼女いわく。チューター(外国人)の方との会話で戸惑うことがあるらしい。
「なんでそう思うの?」
「●●だから」と答える。十分な答えだと思ってるのに、
「え、だから、具体的には?」
「根拠は?」
「え?もっとそこを深く説明すると?」
って、質問は永遠に続くらしい。
日本語だと、それっぽく聞こえてそれっぽく終わる。
そんな会話が英語(他の言葉もだと思うけど)になると
ちゃんと根底から考えていないと、答えられないんですよね。
確かに私も経験あります。
日本語で考えたことを、英語にそのまま訳して話すと、相手が
「」
ってなってる気がする。
言葉としてはわかるんだけど、きっと深いところまで理解できないんだと思う。
以心伝心とかいうけれど、
「そこんとこ察してよ」って思うこともあるけれど
きちんと考えて、「伝える」
そんなことって意識しないとできないのかもしれないですね
ブログを日常的に書いているけれど
「そこに中身はあるのか?」
そんなことを常に考えながら、イミのあることを「言葉」にしていこうと思いました