人の死と宗教と | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

最近、

小さい子が亡くなるニュースが立て続けにありましたね。


夏の時期は車の中で熱中症で子供が亡くなるニュースが毎年ありますが、

いい加減に無くなってほしいし、

苦しかったお子さん、

自身の過ちでも、

幼稚園や保育園の過ちにしても、

思いがけず大切な我が子を失ってしまった親御さんの気持ちを思うと、

心がきゅーっとなります…悲しい


でも、

誰かが亡くなったニュースを見てこうした気持ちになるようになったのって、

私にとってはつい最近のことなんです。




我が子を何人も育てているのに。


どこか、

「死」に対する気持ちが薄かった。


想像してみようともするんです。


亡くなったのが我が子だったら。

私はどう思うんだろうって。


でも、なぜかピンとこない。


人が亡くなる話の映画は泣けるし、

悔しいとか感動したとかではしょっちゅう泣いてるので、

決して感情の起伏が乏しい訳ではないと思うのですが、


「死」に対する気持ちのみがとても希薄な気がする。


実際に身近な人が亡くなったと想像しても、

悲しい感情が湧いてこなくて。

(大変だろうなぁとか、その先どうしたらいいんだろうという困惑の感情はあるのですが)



私自身があまり愛情深いタイプではないと言う事もあるのでしょうが

(愛するより愛されたいタイプですねん。キンキキッズごめん)


この「死」への反応の薄さは、

ある意味JWに共通のものでもあると思います。


亡くなっても楽園で会いましょう、

ちょっと眠ってるだけだからね、と言う、

JWの教理ゆえの。




私はそれが普通だと思って育ちましたが、


今の人生を悔いのないよう思う存分楽しんで生きたい、

生まれてきてよかった、人生幸せだなぁ、と、

そう思うようになって、

人の死も、

自分の死も、

徐々に悲しいなぁ、辛いなぁ、怖いなぁと思うようになって来ました。


そう思うほど人生が楽しめるようになるのに、

JWから出て10年ほどかかった計算になります。




でも、

身近な人の死を、

改めて今の自分が経験したとしたら。


恐らく物凄く傷ついて悲しくて、

心に消えない傷を負う気がします。



母がJWの教えに傾倒したのは、

はっきりと聞いた訳ではありませんが、

お腹の子を意図的に、あるいは流産で次々に失ったことがきっかけです。


「死」と言うものに向き合うことがつらくて悲しくて、

なんとかそれを自分の受け止められる形に解釈したい、と言うのが、

人間の求める宗教的な必要なのだと思います。


特に不遇の死に見舞われることが多かった時代には、

宗教なくしては救われなかった人が大勢いたことでしょう。



そして、

大事な人が次々に亡くなり、

現世にだんだん未練が無くなってきたら、


極楽だろうが天国だろうが輪廻転生だろうが楽園だろうが、

次の新しい命でより良く生きるために、

あるいは新しい世界で待つ親しい人のために、

より宗教に傾倒してゆくのだろうと思います。


それは非現実的だとか逃避だとか言うものではなく、

人間にある程度必要な感情ではないかと思います。

昔に比べてその必要は減じているとは思いますが、

それでも必要でなくなることはない気がします。




ですがもちろん、それは各個人が己の信仰心と向き合って決めるべきことであって、

他人に強要することではありません。


己が救われるかどうかは、

己のみが決めること。


子供に負わせたり、

組織的圧力に流されて行動するようなものではない。

今生きている人を犠牲にしてまでするようなことでは無い。


それはもちろんなのですが。





統一教会への目線が厳しくなり、

宗教なんて必要じゃない、と言う空気になってきていますが、


宗教組織のあり方はしっかりと見直すべきですが、

その宗教を、崇拝対象を心から必要としている人の存在を否定してはいけないと思います。

明日は我が身かもしれないのだから。

そして、

自分も何らかの形で、

色んなものに依存して生きていられるのだから。




私が今家族の誰かを失ったとして、

宗教心が芽生えると言うことはないかも知れませんが、

恐らくカウンセリングにはめちゃくちゃ通うだろうし、

埋め合わせによく分からない社会団体の活動とかに埋没するかも知れない…。

家族の死に責任がある存在をとことん追い詰めないと気が済まないかも知れない…。


心の折り合いの付け方は様々でしょうが、

何かしらに頼らないと乗り越えられないのかも知れません。





身近な人の不遇の死に見舞われて苦しんでいる人皆に、

どうかそれぞれの形で心の平安が訪れますように。


そして、

傷ついた心で救いを求めてすがった先が、

搾取ばかりするような宗教でないことを祈ります。


願わくば統一教会もJWも、

カルト性を無くして、

しっかりと傷ついた人たちの心の支えになりえる宗教に生まれ変わってくれないでしょうか。





まぁ、そうなったらそもそもJWの存続意義も無くなっちゃう気もするけどね…。

もし統治体が「解散しまーす!」って言ったら(無いだろうけど)

JWどうなるんだろうね。新しい統治体と新しいJWが生まれるのかね…。