今日は娘が友達を大量に連れてきて誕生日のサプライズパーティーをしている。
おかんとしては「いらっしゃーい」って言うたのと、
玄関をちょっと片付けたのと、
お昼のカレーを多めに作っておいただけで、
あとは長女がケーキも自力で作ったし、部屋の飾りつけもみんなで自力でやってくれたし、
当日もてきとうに自室で盛り上がってくださっているのでノータッチ。
なにやら、パリピな方々や欧米帰りのママさんたちの間では、「子供の誕生日会にみんなを呼ぶ」とか言うイベントがあるらしいですが、
私も子供もだいぶなコミュ症なもので、今までそんなイベント無縁だったんです・・・。
せっかく全力で誕生日お祝いできるようになったのに・・・!!
そもそもDNAに入ってないと、誕生日を全力で祝い続けるのって結構実は辛いねん。笑
好物のごはんとプレゼントとケーキ。以上。
バースデーアートとか記念写真とかは最初の方だけやったけど、もう力尽きましてね・・・笑
が、もう子供が自力でそういうイベントをこなしてくれるようになったんやなぁ、と思うと、なんか感慨深い。
まぁ、今の所そこまでコミュ力あるの、長女ひとりだけですけども・・・。
で、ね。
我が家、上二人と下二人だと、
だいぶイベントごとへの注力に差がある。
上二人は、そういうイベントを大切にしたり、週末ごとに出かけることこそが子供への愛情やと思ってたところがあって。
平日は毎日毎日公園や子育て広場につれてって、無理しながらママ友づきあいをがんばり、
週末は必ずどこぞのでっかい公園に行ったり、山登りしたり、テーマパーク連れてったり、おかしづくり一緒にしたり、子連れイベントに参加したりと、
そりゃあ子育て版「世を満喫しよう!」に必死だったわけですよ。
いわゆる、この世界での「良い両親」像を必死に目指してた、というかね。
今思うと、それは結構な自己満足やったなぁ、と思う。
写真はいっぱい残ってるし、なんかしらやり遂げた感はあるけど、
結局、子供が幼すぎてそもそも記憶には殆ど残ってなくて。
若かったから、それで疲れ果てちゃうってことはなかったけど、
子供もそこまでリアクション良くないのに、結構遠くまで連れ回してたのは結局子供の負担やったんちゃうかなぁ、ってこと、いっぱいある。
ほんとに子供が楽しかったか?って言うと、
どこかに連れて行くことで子供と二人きりで向き合うことを避けてただけのような気もする。
それ自体は何も否定するようなことではないけど、
それが子供のために自分を犠牲にしている、と、勘違いしていたってことだ。
今、下の二人をどこかに連れ出すのは、月1回あればいい方で、
週末子供が遊びたい、と言ったら、近所の公園で30分くらい遊んで帰ってくるのが上限。
買い物も私ひとりでさっさと行ってくるし、上の二人は部活や習い事があるし、家族揃っておでかけってことがほとんどなくなった。
それでみんな何にも文句言わないし、
たまーにどこかに連れて行くとみんなすごいいいリアクションしてくれて、
正直すごく連れていきがいがある笑
昨日は次男、次女の人生で初めて動物園に連れて行った。
長男長女は年パスまで持ってて、ほぼ毎月のように通ってた動物園。
コロナもあるけど、こんなにもいかなくなるなんて思っても見なかった。
ふたりともめちゃくちゃいいリアクションで、
いつも疲れてばかりのイメージだった動物園が、
親にとってもこんなに楽しいなんて思ってもみなかった。笑
それなりに肉体的には疲れたけれども、
子供とお出かけって楽しいなぁ、と、
久しぶりに心から思えたお出かけでした。
子供をどこかにつれていくのは、
確かに子供の為でもあるのだろうけども、
それよりも、子供の写真を取りたかったり、リアクションを見たかったり、という、
親自身の理由でもあるのだということを再認識した日でした。
私が小さい頃、
無理をして奉仕や集会や大会に連れ出していたのは、
己の信仰心はもちろん、
「それが子供のためになるから」と言われていたからでもあっただろう。
でも、本当に子供のためになると自分で実感していたのだろうか。
どの親もきっと子育てには自信がないから、
それが子供のためだよ、と、誰かに言われたから、そのままに受け取って、
子ども自身は何も喜んでいなかったり、むしろ負担になっているのに、
子ども自身の反応にしっかり向き合わずに、自分が頑張りやすいことで頑張ってしまって、
それで満足してしまうのだと思う。
ほんとは、母も、私を怒りながら研究司会したり無理やり奉仕に連れて行ったりするより、
アイス買ってあげて、道端で花を摘んだり替え歌考えて歌ったり、っていう時間を過ごしたかっただろうに。
ほんの少し覚えているそういう時間の母は、霊的なことを強要してくる時と全然顔が違っていた。
眠気と戦いながら、おそらくええかげん寝てくれと思いながらも、
何十冊も絵本を読んでくれた時の母の声はとても優しかったのを覚えている。
私はもう、母が私を産んだ年になった。
だけれども、こうして迷ったり、今更の気付きがあったりする。
だから、今の私より全然恵まれない立場にあった母が、私以上に迷い、その結果残念な選択をしてしまったとしても、
もうそれは仕方ないな、とも思える。
ひとつ覚えているのは、
やっぱり母だって、必死だったということ。
子供から見ても余裕のある親ではなかった。
いつも必死で、うまく行かなくて、でもいつも全力投球で。
私とうまく行かない時も、決して放り投げようとしなかった。
私自身はJWから早く放り出してほしかったけど、
母は母なりのやり方で、最後まで「いい親」であり続けようともがいていた。と思う。
それは子供から見ると痛々しかったし、間違っていたことはいっぱいあるし、やめてほしかったこともあるけれども、
親自身が私に手抜きをしようとしなかった、と言うことだけは、ほんの少しのぬくもりとして残っているのだ。
私の親として成長したな、と思えるところは、
ほどよい手抜きができるようになったことだと思う。
おかげで子供を怒らなくて済むようになった。
わりといつもごきげんなお母ちゃんだと思う。
でも、子供から見ると、すぐ手抜きして、育児も適当で、子供の忘れ物とか全然把握してなくて、
もっと頑張ってくれよと思われているのかもしれない。
私はわたしなりに色々考えて悟って、そうして今のだらけ母ちゃんになった訳だけれども。
いつだって、親のやり方は子供には通じないのかもしれない。
でも、あのときの私の母も、
今のこの私も、
それなりに、子供への思いというものがあって、
それは一緒なんだなぁ、と、
動物園の青い空の下、疲れた足で帰りながら、なんだか満たされた思いになったのでした。
いつの時代も、正直、子育ての完全な正解なんてものはないんだと思う。
自分のして欲しいやり方で育てられなかった事を責めたり、悩んだりするのは、不毛だな、と思ったのでした。
・・・まぁ、それでも、
JW流の子育てを他人に説明したら、
いつだってドン引きされますけどね!!!!笑
こないだも、同僚に流れでJWだったのをカミングアウトして、かくかくしかじかで今絶縁中なんです~アハハってペラったら、
それなりに人生経験豊かな年上のおじちゃんからものすごい絶句されました。
まぁ、客観的に見ると酷い方の子育てであることは間違いないよね!!笑笑