今朝、
幼稚園年長の次男が、
生まれて初めて自分で幼稚園に行く準備をしていた
(おはしセットやおしぼりタオルのセッティング、水筒に水を入れるなど)
親はそりゃあもう感動して、すごいね頑張ったねさすが年長さんだねこれでいつでも1年生になれるねなどと絶賛しまくりましたとも。
次男も鼻高々で、「いやぁ…ぼくももうすぐ1年生だし、これくらいはやれるようにならなきゃって思ったんだよね…」などとクールを装いつつも超自信満々でした笑
しかしね。
私、ほんとは、見ちゃったんですよ。
前日の水筒を洗う場所に出してなくて、(園から帰ったあと、流しに持っていくまでは彼の仕事です)
朝見たら水筒が自分のお布団のところにあることに気づいて、
慌てて証拠隠滅を図ろうとして本日自分で用意していたのを。笑
ええ。母は実は知っていました。(旦那は気づいてないけどな)
そして、大絶賛しまくりましたが、
長男や長女は、
年少さんの時にはすでに自分で用意していました笑
何を今更、やっとかよ、と言えなくもないけど、
次男が可愛くて普通に心から褒めちゃった、下の子に甘々なお母ちゃんです。
さて。
本日の次男がついたちっさな嘘の結果。
次男は、褒められまくってあとに引けなくなり、
明日からも自分で用意することになりました
母、一枚上手でしたが、
次男も自分で自分のミスをリカバリーできたし、誰も傷つかなかったし怒られなかったし、
お互いWin-Winの素晴らしい誘導ができたと自画自賛しております
さて、こういう時。
「嘘をついた」「誤魔化した」ことを、
そもそも怒るべきなのか。
「なんでそういう誤魔化しするの!忘れてたら正直に言いなさい!」って、
長男の時には言ってしまってた私。
自分が言われたことをそのまま長男に言っていたなぁ、と思う。
初めての育児で余裕がなかったせいもあるし、
長男はそもそも嘘を付くのがむかしっからものすごく下手なんです。笑
でも、ごまかそうとする、と言うことは、
そもそも自分がしたことがいけないことだと分かっている訳で。
それをまず分かってくれているのは素晴らしいことだと思う。
そして、ミスを自分でリカバリーできるなら、リカバリーしちゃえたのも、それはそれで素晴らしいことだと思う。
そして今回の嘘は、誰も傷つけない嘘だった。
だから、「嘘をついた」ことに対して怒る必要はなかったのだろうなぁ、と、私は思っている(私は幼児教育の専門家ではないけど)
もちろん、正直に言わないといけない局面はいくらでもあるし、
嘘をつかずに済ませられるのならそちらのほうがいいに決まっている。
私自身、たくさん嘘をつきながら大きくなってきた。
嘘はエホバに嫌われると刷り込まれながらも、それでも嘘をつき続けることをやめられなかった。
なぜなら、
自分の本当にしたいこと、言いたいこと、見たいこと、聞きたいこと、
それが全部「ふさわしくない」ものだったから。
「エホバはどう思われる?」「あなたはどうしたい?」と言う、子供をゆっくり絶望へ導く誘導の結果、
自分が本当にやりたいことは、隠れてやるか、
やりたいのを必死に我慢して平気な素振りをするしかなかった。
もちろん、汚い言葉を使わないとか、人の話を聞く時はちゃんと姿勢をただしてだとか、
厳しくも人間として大事なこともいっぱい躾けられたとは思う。
でも、自分が将来何になりたいか、
どういう人が好きか、
友達とどんな事をしてみたいか、
どんな音楽を聞きたいか、映画を見たいか、
そうしたこと全部が、口に出せなかった。
正直に言ったら怒られるのが分かっていたから。
せいぜい良くても、
「正直に話してくれてありがとう。でもね…」が始まるのがわかりきっていたから。
(てか、そんなパターン、経験かインタビューにしか登場せえへんわ!家やったら即ムチじゃ!笑)
私の嘘はもはや日常的なものになっていた。
きっと、親自身もそれを察していたとは思う。
だから、私と親とは、いつも本音で話せなかったし、話しても表面的なところでしかわかり会えなかった。
いつも信用されず、定期的に引き出しの中やベッドの下を家宅捜索されたし、
正直に好きな人のことやえっちな本音を書いていたノートを見られた時には、
「どうして話してくれなかったの…?」と聞かれたならまだしも、なぜそんな事を考えたのかと、のっけから否定されて怒られた。
やっぱり嘘をつき続けるしかないんだと、その度に認識した。
そのうち、本音じゃなくても本音のように語れるようになった。
嘘で塗り固めた第二の人格を、まるで本当の模範的なJWのように扱えるようにもなった。
私自身、もっとも信仰に燃えていたと思える時でさえ、自分の二面性は消えることはなかった。
いつだって世の人が好きな人だったし、
いつだってエッチな漫画を読むのが好きだったし、
こっそりカラオケに行ってはふさわしくない歌詞てんこもりの大好きな歌を歌いまくってたし、
JWじゃなかったらこう生きたかったなぁ、って、寝る前にはいつもいつも考えてた。
嘘をつく、ということは、
良くないことだ、と思っているからだ。
私の考えていたことみんなが、
良くないことだ、と、常に自分にダメ出しを続けていた訳で。
そんなの、自尊心がズタボロになるのはわかりきっている。
でも、嘘をつき続けた。
親を傷つけたくなかったから。
そして、いつの間にか引き返せない所まで来て、
結局、排斥と言う形を選択して、完全にたもとを分かたなければならなくなって、
家族の絆に、取り返しのつかない傷をつけてしまったわけだ。
次男のついた小さな嘘に、
ちょっと知らないフリをしてあげたことで、
彼が次にどういう反応をするのか、それはまだ親の私にも分からない。
でも、そういう小さな嘘を、「かわいいなぁ」と思えるくらい、
嘘をつく、ということが我が家では珍しい現象だということに、はっと気づいたのだ。
(ちなみに嘘が苦手なお兄ちゃんはすでに嘘をつくことを諦めている笑)
いつ、どんなときにも、大なり小なりの嘘をついてきた不自然な自分の子供時代と、
今の自分の子供達を見比べると、
ほんとうに、JW流の育児を強いられなくてよかった、と、心から思う。
もちろん、もっとちゃんと躾けた方がいいところもあるのは分かっている。笑
明らかに、私が小さい頃のほうが色々お行儀はよかったし、大人受けもしたし、お勉強もだいぶできたと思うが、
それでも、大人の顔色ばかり見て小さな心をいつも傷つけていた、そんな自分の子供時代を思い返すと、
私、なかなかいい子育てしてるやん?と、
こっそり自画自賛などしてしまうのだ。笑
もちろん、今の私は家の中でほとんど嘘を付く必要などない。
私はいつだって家族みんなが認める永遠の18歳だし(嘘ではないことになっている)
できるかどうかは置いといて、将来こうしたいんだよねーああしたいんだよねーと言う話をする時に、少なくとも家の中で隠さなければならないことなど何もないし、
旦那とのイチャイチャが物足りなかった時はおひとりさまを楽しんだことすらオープンにしている笑
ただし、現在の体重だけは、
現状より5キロほどマイナスにして申告していることを、
ここにこっそり告白いたします…。