この人どうなの?と思ったJWで唯一の人 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録

私は基本的に、ものすごいおひとよしというか、
自分から相手を嫌いになることはほとんどありません。

多分、今の基準で見れば、
JWの中にいたヤバい人、結構うちの会衆にもおったんやろなぁ~・・・と思うのですが、
不思議なくらい、「あの人苦手やったなぁ…」と言う人がほとんど思い当たりません。

恵まれていたのか、鈍かったのか…、
まぁ、とりあえずあんまり考えないようにしています笑


そんな中、唯一、「この人ちょっと苦手かも…」と思ったのが、
途中から転入してきたMTS卒長老の奥様でした。

美人で音大卒、学生時代から開拓奉仕をこなし、注解も奉仕も熱心そのもの。
ただ、ちょっと熱心すぎるというか、空気読めないんだなこの人、と言う感じは最初からあったのですが、
空気読めないのは私も一緒なのでむしろ楽かも、くらいに思っていました。

でもだんだん目についてきたのは、人をさばく態度。
良かれと思って言ってるのよ!のアドバイスが、全部的はずれな上に余計なお世話。
私個人にも色々言われましたが、
まぁ、一番言われたくなかったなぁ、と思ったのは、体型とか顔とか、あと健康状態のことでしたね…。
どうしようもないことなのにさー。
ちなみにその姉妹、結婚後に幸せ太りなのか、だいぶコロコロと肥えられまして、なかなかに立派な体格になられていたのですが。

会衆には、前に記事にしたような、目立たなくてあまり熱心に活動はできないけれど、
とても優しくて、お父さんからの反対とか、学校のいじめとかにも負けず、ずっと集会に来続けているような、
ゆったり進歩してきた兄弟が何人かいました。
そうした兄弟たちが少しずつ頑張って、初めて公演を果たした時や、
結婚しようと思ってる、みたいな話が出たときに、

「でもねぇ、開拓はじめてまだ○年でしょ?まだまだひよっこじゃない!」だとか、
「必要で出たこともなくて、そんなんで結婚するなんてまだ早い早い!」だとか、
こう、絶対相手の心にぐっさり刺さることを、めでたい場所でも平気でつっこんでくる。
やんわり周りがたしなめると、「私だから言いにくいこともあえて言ってあげてるのよ~」な態度。

実家が資産家だったから4年制の音大も出れて、開拓も自分の身の回りのお金しか稼がなくて良くて、
結婚したら完全に仕事辞めてのびのび専業主婦しながら開拓とか、
今考えたらかなり甘えてるお嬢さんだったなー、と思います。あ、お嬢さんって言っても結婚した当時で40歳だったんですけどね。
まぁ、JW2世ならそこまで遅い年齢でもないでしょうが、当時でも「ちょっと晩婚ね~」くらいの空気でした。

そういう、自分の恵まれた境遇との差なんて全く頭にも入れず、どんどん他の人を「良かれと思って」ディスる姿に、
さすがに私も、この人どないやねん、と、少々思うようになりました。
晩婚なのも頷けるなぁ~、とも…。

そうした声はきっとご主人である長老兄弟にも届いていたのではないか、と思うのですが、
姉妹の態度が良くなることはありませんでした。

私も何度か、あまりにもひどいと思えることを言われたときに、泣きながら母に訴えたこともありますが、
母も、「まぁあの姉妹も人間だから…」のひとこと。
ご主人の長老は、兄を排斥にした時の審理委員会のトップだったので、
母はものすごい苦手意識を持っていたようで、残念ながらなんともできませんでした。
まぁ、できるだけ関わらないようにしているのは私にもわかりました笑

その姉妹がヤバい人だと分かるまでは、
ご主人の兄弟にも、姉妹にも、割と私から話しかけたり、相談したり、懐いて行っていた私ですが、
初めて、この姉妹を放置している長老ってどないやねん、と、不信感が生まれて、
JWってみんなええ人って訳じゃないんやな、と、ようやく悟ったものです。

私が初めて出会った、性格悪い「長妻」というやつでした。

ちなみに、私が排斥になるときにもその兄弟はいたので、
最後っ屁とばかりに「あなたの奥さんに相当傷つくことを何度も言われて、JWには素晴らしい人ばかりではないんだとわかりました」と言ってやったんですけどね。
まぁ、心には届いていないと思うし、私もそんなところで言うなんて大人気なかったなぁと思います笑

脱塔してから、他の人の話を聞いて初めて、
そんな長妻が珍しくもない存在で、もっとすごいパワハラ受けまくっていた話を聞いて、
私がもっと長く組織にとどまっていたら、そんな暗部をもっと見ることになったのかもしれないなぁ、と思ったものです。

心に傷をもっと負う前にやめられたことはラッキーでしたが、
ほんとはもっといたかもしれない、JWのヤバい人たちから、周りの優しい人たちが私の心を守っていてくれたんだなぁ、と思うと、
比較的いい環境で育ててよかったなぁ、と、感謝もしています。
自分の親がそこまで毒親でもなかったのも、とても幸運なことだったと思います。
まぁ、私がほんとうに鈍かっただけかもしれないのですが。笑