図工の先生がテーマを設定して、
体育館一面に広がるアートの世界。
3年に一度のお楽しみです。
他は、音楽会と演劇を一年ずつやっています。
自分の子供の作品を見たら帰ろうと思っていたのですが、子供達の自由な発想と、それを最大限に引き出す先生の力に思わず見入ってしまい、
娘が寝ているのをいいことに1時間近くアートの世界を過ごさせてもらいました。楽しかったです。
ちなみに、息子の作品
上の作品は、心象を立体的な絵画にするというなかなか難しい取り組みだったのですが、
「不安」をテーマになかなかよくできていると思います。え?親バカはいい加減にしろ?角栓ウニョウニョにしか見えない?
…写真の技術の限界ということにしておきましょう。
ちなみに息子にどんな時の不安なのか聞いてみたところ、
「ゲームに夢中になっていて朝宿題するのを忘れていた事に気付いた時の気持ち」だそうです。思ったより俗だった

私が六年生だった時、こんな制作があったら何を題材にしてたかなぁ?
「信仰」とか言って、光の一本道を描いてたりして笑
「多様性を楽しむ」という考えからかけ離れていたので、
JW現役時代は芸術を鑑賞して楽しむ、ということが苦手でした。
自分が芸術をやるにしても、どれが正解か、という考え方しかできなかった。
まぁ、そもそもセンスが無かったという事実もある。
聖書物語の絵にも気持ち悪いとか一切思わんかったからね。笑
それはJW的な考え方由来なのか、
単なる若さだったのかは分かりませんが、
今では私にも「表現の多様性を楽しむ」という事が多少は出来るようになりました。
美術館やギャラリー通いが楽しくなる日が来るなんて思っても見なかったなぁ。
息子は、特に診断されたわけではありまぜが、おそらく発達スレスレなところがあり、なかなか常識が通用しません。
先生にも、
「うちの子は宇宙人です」と面談シートに書いてあった時はお母さんどういうことですかと思いましたけど、
やっぱり彼は宇宙人ですね…
と、しみじみお言葉をいただいたほどです。笑
でも何故か、過程をすっ飛ばして本質を掴むところがあり、
むしろ本質しか掴まないので、
算数で答えは合っているのに途中経過の式が書けなくて点数が低かったりするようなタイプです。
多分、普通の教育だとあまり頭角を表さない子供なのですが、
アートは彼のそういう稀に見せる鋭さを表に出してくれるところがあります。
そこを拾い上げてくれる先生に感謝すると共に、
お勉強ができなくても、うちの子凄いな、と思える自分にもちょっと安心していました。
親バカを自画自賛してどうする、って感じですが、
当たり前に親バカできるって、私的にはとても新鮮な事なんですよ…。
子供の頃、私がどれだけいい成績を取っても、表彰状を貰っても、学年で一番になっても、どう頑張っても、ほとんど褒められる事はなくて、
霊的な事が出来ていない、
もっと手伝いをしろ、と、怒られるばかりでした。
父にはそこそこ褒めてもらった記憶があるのですが、母に成績のことで褒められた記憶がほとんどありません。
ただ、
こないだ判明したのですが、
あの頃私を褒めなかったのは、
すぐ調子に乗って天狗になるから
だったそうです。
むぐぐ。たしかにそういうところあるので言い返せぬ

私の幼少期の心の傷、
もしかして自業自得?笑
まぁ、母は褒めるのが単純に苦手だったのかな、とも思います。
そう言えば霊的なこと頑張ったところでそんなに褒められた事もないわ。笑
会衆で一番早くバプテスマ受けても、注解頑張っても、割り当てで監督から褒めてもらっても、おかんにはほとんど褒められた事ないもんなー。
まぁ、おかんに褒められなくても周りの人が褒めてくれるので、私は勝手に天狗になって自尊心満たしまくって調子に乗ってましたが。笑
JW的「褒められポイント」は、
注解でちょっと洞察引用するとか、
割り当てで斬新な例えを使うとか、
当時他の人より使えたオフィスを駆使して片手間にワードで聖句カード作ってあげちゃったりだとか、奉仕時間の集計エクセル作ってあげたりだとか、
その気になれば信仰心とか大してなくてもゲットしていけるものなので、
本当に磨かなければならない人間性は、
身に付けても分かりやすく褒められるものではないので、後回しになっちゃってたんですよね。
そんで、ひょっとして人間的に裏で嫌われてても、
表向きは「霊的に頑張ってる人を励ます」ラブシャワーが降り注ぐわけですから、
そりゃあ調子に乗るよな、って感じです。
ま、でも、あの頃にしつこいほど言われた、
「誰にどんなお礼を言わないといけないかいつでも言えるようにリストを考えておく」
「何か頂いたり車に乗せてもらったら相応のお返しをする」
「交わりには一品持っていく、必ず片付けや準備を手伝う、人の話に割り込まない」
「退屈な講演でも寝ない貧乏ゆすりしない目を見て背筋を伸ばして話を聞く」
なんかのJW的礼義スキルは、
今でも身に染み付いていてそれなりに役に立ったりしているので、
それは例え褒められなくともうるさく言われてよかったなぁ、と思うところです。
子供に礼儀教えるのって結構むずかしぃ。
礼儀正しくしないといけない理由だとか、
挨拶の返し方だとか、
折に触れて子供には伝えているし、
学校でも言われてない事はないと思うんやけど、
高学年になってもあんまり身に付いてないのは親としてちょっと悩むところではあります。
ムチは論外としても、
ちゃんと子供に礼儀教えられてる親は、どうやってるんだろうね…??
JWだった時の窮屈さの反動でだいぶゆるゆるな子育てしてきましたが、
これで良かったのかなぁ、と、思い悩む事も多いです。
悩んでるだけマシかな、と思っておくことにしますけどもね。笑
あ、ちなみに娘の作品もあったのですが、
彼女は良くも悪くも良い子で、
お勉強は割とできるのですが、発想の自由さと言う面ではやっぱりお兄ちゃんにははるか及びません。
お手本通りには作れるんですけどね。
ま、それも個性ですね。