自分たちの教理と組織だけが唯一の真理と信じて疑わないからなんですよね。
信仰の自由を自分達で求めながら、それを他の人には許さない。
そして「神の霊感を受けていると主張しているのに」実情はものすごく人が人を裁いていてローカルルールが幅をきかせ、都合の悪いところは「不完全だから」「エホバが正される」で押し通す。それによって傷ついた人のことは沈黙される。指摘は一切耳を貸さない。
改めてこう言う平行線論争をさせられるとすごく疲れるしイライラしていました。
今改めて書いてもなかなかの狂信よね。でも、(一部の確信犯は除いて)何もそれを悪いとは思ってないのよね。
真理じゃない事に気付いてからは、
その間違いに関心を持てば持つほど厄介で、
関わるほどにストレスの塊みたいになりました。
でも、ある時からもうイライラもムカムカもしなくなったの。
懐かしい思い出だけになっちゃった。
なんでかなー、と思ったんだけど、
たぶん、完全に期待しなくなったからなんだよね。
自分の親だったり大切な人だったりが残っていると、どうしても愛して欲しくて尊敬したくて認めて欲しくて、そんな気持ちが残るじゃない。
いつかは分かってもらえるんじゃないか、って、そう期待しちゃうじゃない。
でも、親は親で信じる自由があって、
ほんで親が自分の事を認めてくれなくとも、自分は自分の道を歩いて行ける力がある、って、
そう思えた時から、不思議と「JWがおかしいって分かって欲しい」って言う気持ちはなくなりました。
寂しくはなるけども、それだけ。
私があまり情に厚くないのかもしれないし、
たまたま私の周りにいたのが人間的にできたJWばかりで、
実害もそんなになくて、
すごく恵まれていたのかもしれない。
だから脱JWした皆がこのような気持ちになるのは難しいのかもしれないし、
現役で覚醒してる人達なんて、自我を保つだけで精一杯だと思う。
でも、期待しなくなった時からの方が、
よっぽどJW的に言えば「いい証言になる」態度で接せられてるんだよね。
すぐに激昂しない、
理性的に応対する、
煽らない、
自分にできる支援は惜しみなく与える、
無視されたからって恨まない、
そしてもちろん、
自分たち自身が法を守り税金を納め経済的活動を回し続け、
家族みんなで仲良く幸せに健康的に過ごす事。
まだ親や組織への期待が残っていた時、
縛られている間はものすごく肩に力が入っていたと思う。
絶対に幸せにならなきゃ、
絶対にJWが間違ってるって証明しなきゃ、
ってね。
でも、それは結局、別の意味での信仰に引っ張られてるだけで、
真の意味の自由ではないんだよね。
「JW絶対許さない教」とでも言いましょうか。いや、それも仕方ないとは思うのよ。でも、一定期間過ぎたらその信仰は卒業した方がいいと思う。自分の幸せのために。
中にいる人を救いたい、と言う一心で活動され続けている方もいらっしゃいます。でも、継続的かつ統計だって、理性的にそうした情報を提供し続けて下さっている方達は、しっかり社会的、心理的に自分の立場を確立した上でそうして下さっています。
溺れている人を救うには、まず安全なところに立って、そこから浮き輪を投げるのが一番です。
あなたは運が良かっただけ、って思う人も多いと思うけども、
おかげさまで、ここ数年は、
JW?ああご苦労様です、色々大変ね、他の道も楽しいわよ、くらいの気持ちでいれるようになりました。
そんで、やっと、これが「信仰の自由の尊重」だと気付きました。一般の人と比べてものすごく長いことかかったけど。
私にとっては毒吐きのための時間は確かに必要だったし、今戦っている人達の苦しみを伝え合う場は必要だと思いますが、
そこがゴールではないよ、と、
それだけは先輩風吹かせて伝えたいな、と思います。
地獄の門には「一切の期待を捨てよ」と書かれているそうですが、
JWから見てのいわゆる地獄である一般社会に出て行くときには、
やはり後ろに残してきた物への期待を止めることが、
苦しまなくて済む近道だと思います。
ロトの妻から学びましょう、ですね。
ついでに関係ないことですが言わせて頂くと、
結婚生活が地獄だと思う人も、
たぶん色んな期待を捨てきれてないからだと思いますのよ、おほほ…

妻がいつまでも優しくて可愛いだなんて、
そんな幻想は早く捨て去るのですよ…



いかに現実の自分の身の周りにあるもので満足できるかに幸せはかかっているのです!
「今あるもので満足しなさい」ですよ、ご主人達、わかりましたか?(何の言い訳を誰に言い聞かせているんだとか言うツッコミはなしで)