実親からの忌避の歴史⑤母の限界 | 置かれた場所で咲くんやで!元JW2世の前向き備忘録
忌避ってタイトルに書いてるけど、
全然忌避されてへんやん!
とお思いの方。

ごもっともです。私が1番突っ込みたいです真顔
いつになったら本当に忌避が始まるのか。民放バラエティのCMタイムより引っ張ります。中身のない都市伝説ユーチューバー並みに引っ張りたいと思います。
ま、要するに、忌避より家族の愛のが上回るパターンもあるし、JWも個々の人はそう洗脳された悪い人ばっかりでもないし、なんなら世の中、とんでもない人はもっといますからね。私は運が良かったって話です。

ガーベラガーベラガーベラ

さてと。
産後1週間、
突然尋常でない腹痛に襲われて、私は病院に運ばれました。
原因が分からず、そのまま検査ばかりで1ヶ月入院したままでした。
結果は胆のう結石だったのですが、石が固まりきっておらず、検査に引っかからなかったようです。

生まれたばかりの長男は実家に預けたまま。
一緒に入院できないか聞いたのですが、産まれた産院ならともかく、病気でもない新生児を小児科では預かれないと。ほんとにどうしようもない場合は乳児院で預かります、という事だったのですが、さすがにそこまではできませんでした。

完全母乳だったので、まずはミルクを飲んでくれないところから始まり、
両親と旦那が三交代で面倒を見ていましたが、日中は男2人は仕事で、母が1番大変だったと思います。おまけに娘を連れ出したにっくきうちの旦那との同居が始まったし、おまけにあいつほとんどしゃべらんし気は使えへんし、ほんま大変やったと思うわ…。。
集会もほとんど行けなかったと、たぶん思う。
もうほんとに、排斥とか霊的な健康とかそんな事正直みんな気にする余裕ない状況でした。

なので、退院できた時は、もうみんなでお祝いモード。私がただそこに生きていて自分の子供に乳をやっているだけでありがたがられていました。
そう言えば、孫は見といてあげるから夫婦で息抜きしといで!(息抜き必要なほど一体私が何をしたんやろう?)と、デートのお膳立てまでしてくれました。
あれは、私でも分かるで。
甘やかし過ぎや。
普通の里帰りでもそこまでせんのちゃうか…。。



で、甘やかしまくり、精神的にも体力的にもきっと限界に近かったであろう母親は、

私達が自分の家に戻ったしばらく後、

うつ病を発症しました

聞けば私達がお世話になっていた間。
何度か長老に呼び止められていたようです。
娘さんにそこまでする必要がありますか?
と。たぶんそんな感じ。

いや分かるで。あんたその通りや。私も同じツッコミ心の中でしとったわ。お世話になり過ぎやわ、て思ってたわ。
でもな。
孫が生まれて、1番可愛がってた末娘が原因不明の病気で死ぬかもしれんくて、いっぱいいっぱいの時にそれ言う?
もうちょっとタイミングってものがあるんちゃうん?

ちなみにその長老は、
お向かいのゆるゆる長老じゃなくて、
MTS卒のバリバリのお兄ちゃん排斥延長決定した時の長老でした。
母が会うたびにビクビクしてた本人です。
(姉妹のビキニ写真を待ち受けにしてた方でもあります)(どうでもいい情報)

せっかく私も全快して、やっとこれから孫を可愛がる余裕もできて、と言う時に、水を差すように言われたその事で、
孫を見に来る母の表情がだんだん暗く、引きつったものになって行くのを、私もなんとなく気づいていましたが、
その時の私はまだ甘えきっていました。

そして数ヶ月後。
立て続けに私に電話があり、
「見張られてるから、あんたはもうここに来ちゃいけない」
「あんたがJWに戻って来てくれないならもう死んでやる」
と言い始めました。

もとよりヒステリックな所もある母でしたが、これは確実に何かおかしい、と思いました。
実はもう少し前から、兄や姉のところにはもっとおかしな電話をかけていたようです。私には最後まで頼れる親でいたいと思っていたのでしょうか。

母の夜間徘徊が始まりました。
日中は、統合失調症のように、「誰かに見張られている」とずっとうわ言のように繰り返していました。
目線は合わず、ずっと震えていて、そしてものすごく痩せました。
あれだけ得意だった料理も、私が好きだったマグロカツも、全く作れなくなりました。作り方が思い出せないと言うのです。

何度か警察に保護される事態になり、
ついに母は強制入院となりました。



JWだけが悪かったとも、私だけが悪かったとも思いません。色々と不運が重なったと思います。
それでもやはり、ここにJWが絡んでいなければ、母はここまで壊れることはなかったのではないかと思うのです。

母の入院は1ヶ月に及びました。



退院した母は、少しましにはなっていましたが、
それでも決して元の母に戻ることはありませんでした。
今も薬でコントロールしている状態です。

私は、精神的な負担をこれ以上かけてはいけないと判断し、
しばらくは金銭的な援助に止める事にしました。
ちょうどその頃、出張ばかりだった旦那の転属願いが通り、東京転勤が決まった頃でもあり、
実際の両親のケアは姉にバトンタッチしました。

ちなみに父はと言いますと、
鈍感力の塊のような人間でしたので、
一連のトラブルを通して至っていつも通りだったし、
長老の助言は全力スルーやったし、
孫にもニッコニコで会いにきていたんですが…
おとん、無神経すごいわ。
夜間徘徊する母の面倒を見るのに、夜寝れなかったのはさすがにこたえたようですが…。

次回、やっと最終回。
東京に引っ越してきてからの親子関係。