セクシー田中さん、の人。 / その2 | 5番の日記~日々好日編~

5番の日記~日々好日編~

気の向いた時に気の向いた事を勝手に書いています。
よってテーマは剛柔バラバラです。

かつて70年代後半に横溝正史=金田一耕助映画のブームがありました。


『犬神家の一族』を皮切りに、当時の角川映画の大物量宣伝作戦が成功し、文庫本とタイアップしたキャンペーンで一気に "名探偵・金田一耕助"が浸透。


映画はヒット、本も売れてウインウインというやつ。



石坂浩二が演じた金田一耕助シリーズの中で『獄門島』という作品があります。

『犬神家』『悪魔の手毬唄』に続く3作目として公開されたこの作品、ミステリーですので、果たして犯人は誰か? の謎解きがメインなのに、よりによってその犯人が原作とは違うのです...


しかし、原作者の横溝正史は宣伝媒体に、「原作と映画は犯人が違うのか! これは大事件だ!!」とノリノリで登場(笑)



つまり、

原作者公認のストーリー改変。




予想以上に広がり始めていますね、芦原妃名子氏の波紋が。



亡くなった人を悼むコメントだけでは物事動かないと思いますし、脚本家・原作者と乱暴に十把一絡げにして論じるのも間違いですので、業界を少々知る者として改めてひと言ふた言、いや、三言四言書いておきます。



横溝正史の『獄門島』のようなケースは少なくありません。

ちゅうか、しょっちゅう。


原作者が了解の上で "別モノ"として映像作品を作るなら、何も問題ナシ。




そうじゃなかったから芦原妃名子氏の悲劇は大問題になりました。



ワイドショーなんかではずっとこの問題を様々な人が論じたりコメント出したりしていますが、

テレビ局がマトモな報道できるわけないんですよ。


だって、

どの局もこんな問題は絶対に・現在進行で抱えています。

自分らに不利な事は言わないでしょ。



報道する際には、原作者・脚本家・プロデューサー、ではなく、原作者・脚本家・テレビ局プロデューサー、と言わないとダメ。



と、

日本シナリオ作家協会がアホな動画を発信したおかげで脚本家が悪者になってますが、それもまた乱暴すぎる誘導。

あの発言は脚本家の総意ではありません。




全てを仕切るのはプロデューサーなんです。


ドラマの企画が上がって来る、あるいは自分から投げる。

原作がある場合はその原作者、次にドラマの脚本を書く脚本家、演出家をピックアップし交渉する。

まぁ、一番先にやるのは何を置いてもキャスティングですけどね。


この人事権は全てプロデューサーが持っています。

カネも。

もちろん売り込みも毎日のようにある。



これが諸悪の根源。






ものすごくわかりやすくデフォルメした架空の話をしますと、

あるキー局のプロデューサーが、一部でほんの少し話題になっただけで、まだあまり知られていないマンガをドラマ化しようと思い立ち、日本の若者に人気の韓流アイドルを主演にしたら視聴率爆上がりだ!と考えました。


韓国のプロダクションとの出演交渉は成功。



しかし韓国人ですので日本語があまり上手くない。


じゃあ、主人公は韓国からの帰国子女だという設定にしてしまえばナイスだ!と、ここまでの企画で原作者から映像化の了解を取り付けます。



原作者は自分の作品がドラマ化され、人気者が演じてくれるのは正直、嬉しいですから、主人公の背景の改変ぐらいならまぁいいか、と納得しました。



そして、次に脚本家を指名してドラマスタート。



ところがこの原作マンガ、ノアール系裏社会モノで、主人公は最後に死んでしまう話だったとします。


韓流アイドルをドラマで殺すなんて、そりゃアカンやろ、と主人公は絶対死なない正義の味方設定に変え、ついでに恋愛シーンもぶっ込み。



このドラマを見た原作者が、「おいおい、主人公を韓国帰りにするまではOKしたが、勝手に話をガラッと変えるなよ!」と抗議しました。



プロデューサーから命じられた通りの脚本を毎週書いていたイエスマン脚本家は、「原作者はすっこんでな。これはドラマだ」とテレビ局様の威光を借りてつい言っちゃいます....




さて?

誰が悪いでしょうか?



現実にはここまで極端な事は起こりません(たぶん)

契約書という物がありますので。



じゃあ、その契約書には原作との関係性をどのように記してあるのか?



これはケースバイケースというヤツで、わかりません。


『セクシー田中さん』の契約がどうなっていたのか???

「原作の世界観」とかそんな曖昧な記載ではない事だけは確か。



それに、原作の版権は出版社にあります。

改変されたなら、抗議は出版社発でしないと。



ただし....

ここからが問題なんですが、

契約書は度々無視されます。


「原作を大幅に改変しない」となっていても、全然違う話になる場合が。




何で?

テレビ局プロデューサー様の力が強すぎるからです。



原作者としては、自分の作品がテレビドラマ化される。

夢のような話。


しかも人気俳優が演じてくれる。

夢のような話。


人によって許容範囲は違いますが、「もう嫁に出した娘だから」と泣く泣く改変に同意している人がほとんどなのではないでしょうかね?


抗議しても、「誰のおかげでドラマになったと思ってるんだ」とかそんなストレートには言いませんが、そんな態度です。




それでも強硬に原作者が反対した場合は、スタート前であれば決裂して企画は白紙。

有名な話ですが、フジテレビの『のだめカンタービレ』のドラマ化を最初に企画したのはTBSでした。

ところがTBSの当時のプロデューサーが、主人公を野田恵ではなく別の人物に設定してキャストを提出したところ、原作者の二ノ宮知子氏が猛反発して首をタテに振らず決裂....

その後にドラマ化権を取り付けたのがフジテレビだったそうです。


ちなみに、TBSは『のだめ』で予定していた放映枠で『花より男子』を制作しました。



そして脚本家も。

連ドラは原作がある場合でも、最後まで脚本の完成稿があるわけではなく、毎週の反響や視聴率を見ながら微修正してます。

視聴低迷なら、テコ入れで原作にはない登場人物として話題になりそうな誰かを強引に出演させたりしますし。



こういう事に臨機応変に「はい、わかりました」と対応できる脚本家が「有能」な脚本家として局には重宝されます。



もちろん、原作者も脚本家もすでに大御所で大先生の人にはそんな要求は行かないんですが、若い人、色んな意味で向上心の強い人は使ってもらう為にそんな要求を呑んでしまいますね。



もっと言えば、日本のドラマは俳優先行で企画され、そのほとんどがアテ書き。つまり、最初からこの役は誰が演じるかをイメージしながら書いてますから、どの俳優も同じ役しかしません。

米倉涼子は石田ゆり子の役はしませんし、石田ゆり子は「私、失敗しないので」なんて言いません。



いつだって水戸黄門の印籠が求められ、何だかんだ言っても結局は視聴率高いのはそんなドラマなので。



脚本家はきっと「またかよプッ」と内心思いながら書いてます。

でもそれができるのが良い脚本家。



この本は学生の頃に買ったものです、

今やすっかり悪者になったシナリオ作家協会の刊行物を編集したもの。

なかなかエエ事、書いてあるんですよ。




そのシナリオ作家協会に脚本契約7原則というのがあります。

メンドくさいのでいちいち引用しません。興味ある方は検索してみて下さい。




脚本家からしても、オリジナル脚本が現場で勝手に、"俺って意識高い系"と勘違いしているド素人のジャニタレみたいな二流俳優がデスネ、

「監督!ここのセリフはこうしたいんです!」とかイキって、セリフが変えられてしまう事が、


...しょっちゅう起きてます。




昨年亡くなった山田太一さんは、自分の脚本のセリフを一言一句、変える事を許さなかった人ですが、山田さんほどの大御所でもない脚本家ならセリフを変えられても黙ってしまうんですよ....






脚本家の団体=組合としてはシナリオ作家協会の他に日本脚本家連盟というのがありまして、どちらかと言うとこちらの方がテレビドラマの作家が多いかもしれません。理事長は鎌田敏夫さん。


シナリオ作家協会の方は主に映画に携わっている人。


もちろん、両方に加入している人もいます。

もう1つ、脚本家事務所という団体もあったかな。

何れも、プロデューサーと脚本でモメた場合は団体交渉... するはずですが私は見た事ありません。



どちらにも加盟していない人は、個人事務所で自分でギャラ交渉できる人。


そして、舞台に特化した「日本劇作家協会」というのがあって、これは組合ではありません。



話を芦原妃名子氏に戻しますと、

今回、不思議なのは、本来なら版権の大部分を握っているマンガの出版元のコメントがない事...


そして日本テレビのプロデューサー。

原作者 vs 脚本家、じゃなくて間違いなくプロデューサーの仕切りが悪いのですよ。

プロデューサーは何かコメントしましたか?





ついでに書き添えておきますと、

これはこのブログで過去に何度も書いている事なんですが、テレビ局の番組改編期になって新しいドラマがいくつか発表されますと、世間で話題になる興味の対象は決まって「誰が出るの?」


私はこれがおかしいと思ってるんです。


ドラマは「どんな話なの?」がメインのはずであって、誰が出るというのはほとんどどーでもいい。




これは、弁当持って役者を観に出掛け、役者絵がたくさん描かれて売れた我が国と、先にシェイクスピアなどの文学があってそれが舞台化されたイギリスのような国とは背景が違うので仕方ないのかもしれませんが、役者本位でモノを見ると正確な評価は絶対に無理。


死ぬほどくだらない内容でもとにかく中島健人くんが出てるから幸せ(はあと)という人にドラマの評価はできません。



ドラマや映画は脚本命!


なのに、そうじゃない世風だから、プロデューサーがキャスティング優先で役者アテ書きの脚本を要求し、さらに原作を軽んじるんです。


諸悪の根源。



誰が悪い?

ではなくて、

こんな悲劇が生まれたのはなぜ?

だから、テレビ局プロデューサーの強権が生まれてしまう構図を変えないと。

脚本家も原作者もテレビ局の下請けじゃない。対等の立場のはずでしょう。




私自身は、原作があるものの脚本を書いた事はありませんが、原作者を下に見るような考えはないです。

もし原作があるのなら、原作者と必ず話はするでしょうね。

セリフはどこまで変えていいのか、とかかなり突っ込んだところまで。


でなければ書けません。



抗議が怖いのではなく原作の世界観を尊重でもなく、書き進めるうちにですね、もしも原作よりもいい決めセリフが浮かんだら?


それは書きたいじゃないですか。

(もちろん了解の上で)