先日、京都地裁で初公判が行われた「ALS嘱託殺人」
難病の筋萎縮性側索硬化症=ALSを患っていた51歳女性をいわゆる "安楽死"させたとして45歳の医師が嘱託殺人罪に問われている事件です。
ALSというのは、全身の筋肉が徐々に萎縮して動かなくなり、手足から全身、そして最期には自分の心臓を動かす筋肉まで萎縮して死に至る病気。
原因不明で治療法は確立されておらず、病気の進行もよくわからない難病。
今回亡くなった方は2011年に発症し、病気の不安をブログに綴っていました。
女性が起訴されている医師に「死」を依頼していた事は事実で、先に報酬が支払われています。
起訴状によると、起訴されている医師は、すでに一審で有罪判決が出ているもう1人の医師(控訴中)と2人で女性宅を訪れ、女性に頼まれて薬物を投与して殺害したとされています。
被告は罪状認否で、「起訴状に間違いはないが、女性の願いを叶える為にやった」と述べ、弁護側は嘱託殺人罪を適用するのは自己決定権を定めた憲法に反するとして無罪を主張。
要するに、
「どうせ治らない。安楽死させてくれ」というのは本人の望みであり、それは自己決定権だと。
動けない本人に代わってその望みを叶えてあげただけ、という主張です。
法的には難しい問題ではなく、
安楽死を認めていない我が国ではこの行為は「有罪」とするしかありません。
しかし、
どう
思いますか?
この裁判はまだまだ続きますが、安楽死は認めるべき?
チューブに繋がれて点滴注射されてまで強制的に生きていたく.... いや、生かされていたくない?
私は、
自分がその時になってみないとわからないと思っています。
「いつ死んでもええ」とイキった事を吹いてる方も、今、あなたの目の前に死神が現れて「3分後にお前を連れて行く」と言ったなら、絶対に「ちょ、待てよ!」と言います。
何で慌てる?
いつ死んでもええのと違うの?
(だから私は「いつ死んだってかまわない」なんて言う奴は信用しない)
「死んでもいい」なんて軽々しく言ったらダメ。
病気でも懸命に生きている人に申し訳ない。
そもそもあなたには「大切なもの」がないのか?
難病でも、いつか特効薬が開発されるかもしれません。
その「いつか」は明日かもしれない。
この事案は難しいのです。
積極的に手を出せば間違いなく嘱託殺人。法的には有罪。しかし結局、「延命治療はしません」と同じなので。