辺見庸の同名小説家の映画化です。
このポスタービジュアルだけでは、どんな映画なのかわかりません。
『月』(2023年)
監督・脚本:石井裕也
出演:宮沢りえ、磯村勇斗、二階堂ふみ、オダギリジョー
舞台は、深い森の中にある重度障害者施設。
ここで職員として働く事になった宮沢りえは、デビュー作で有名になったものの、それ以降 "書けなくなった" 元作家。
彼女をなぜか「師匠」と呼ぶダンナのオダギリジョーと2人で暮らしています。彼は売れない人形アニメ作家。
ある時、同僚が入所者を虐待する現場を目撃し、園長に訴えますが取り合ってもらえません。
一緒に働いている磯村勇斗はそんな理不尽に憤っていますが、彼の中にある正義感と使命感は、かなり歪んだ形で徐々に怒りに変わり、膨張してその姿を現します....
「障害者なんて社会に不要なんじゃないのか」
そう、
この映画は、2016年に相模原市の知的障害者施設で入所者19人が元職員によって殺害された事件を題材にしています。
宮沢りえとオダギリジョーの行き詰まったアーティスト夫婦、宮沢りえの同僚で同じく作家を目指しているのに自分の才能に絶望している二階堂ふみ、そして絵の好きな青年・磯村。
登場人物はひたすら暗〜い。
でもこの4人の視線のバランスが絶妙。
宮沢りえは妊娠しますが、子供の障害が不安で中絶を考えたりします。
不要なものは排除し、なかった事にする....
映画の中では直接的な殺害シーンはありませんので、バイオレンスやグロ描写はナシ。
そもそもそんなシーンを期待している人(いないと思いますが)には肩透かし?
"忌み嫌われるもの" の象徴なのか、クモやミミズ、蛇などの描写が執拗なのはちょっとどうかと思いますが、ホラー映画のような演出で緊迫した場面が多く、物語に引き込まれます。
実際に起きたこの事件の犯人にはすでに死刑判決が確定していますが、「障害者は社会の害悪」と言い放ち、その考えに全くブレがない...
「キレイゴト言ってるけど、本音では障害者なんてジャマだとか思ってるんだろ?」が彼の主張です。
あなたは微塵の迷いもなくこの犯人に向かって、「お前は間違っている」と言えますか?
この映画のラストには希望が見えます。
『月』というタイトルの意味も。
石井裕也監督の渾身作。
補足です....
実際のこの事件の犯人には悪いですが、私は「お前は間違っている」と言えますよ。
7、8年前にこのブログに書いた事。
リブログしないでもう一度書いておきます。
小学生の頃に、今でいう「支援学級」がありまして、知的障害、昔の言い方で言う「知恵遅れ」の生徒が何人かいました。
そこに、同い年なので形式上だけ同じクラスになっていたんですが、普段は別授業を受けている男の子がいまして。
名前をY君としておきます。
Y君は5教科以外は同じ教室で一緒に授業を受けます。
図画工作とか体育とか音楽とか。
でももちろん、皆と同じようにはできません。
体育のリレーなんかで彼と同じチームに振り分けられると絶対に勝てない。
「先生! Yなんかと一緒やったら勝てへんやん!」と、半泣きで先生に抗議する奴までいました。
子供というのは残酷なもので、
いじめるわけです。そんなY君を。
アカンのもわかってます。
でもいじめる。
Y君はこちらの言う事を理解しているのかいないのか、いつもニコニコ。
そして、卒業の時....
卒業文集というのを書かされまして、それが卒業式後に教室で配られました。
生徒が書いた作文をそのまま転写してホチキスで留めたものです。
持ち帰って読んでみますと、小学生ですから「宇宙飛行士になりたい」とか「ケーキ屋さんになりたい」とか、クラスメイトはそんな他愛もない事を書いていて。
そんな中に、もちろんY君の作文もありました。
名前が「Y」、五十音順で「や行」ですので、たまたま最後に。
そのY君の作文、
ほとんどが下手クソなひらがなで、漢字がたまにあっても間違いだらけ。
でも一生懸命に書いたんだという事だけはわかります。
文字が太い。筆圧が強いのです。
そこには、
僕はこういう事を言われて悲しかったとか、しんどかったとか、恨み言ではなく淡々と学校での生活が綴られていました。
その時、後頭部をガツン!と殴られたような衝撃を受けたんです。
Y君は、自分が想像するよりも、もっともっと多くの事を毎日考えながら、毎日苦悩しながらそれでも学校に来ていた...
ちょっとアホな子をからかってるだけ、そんな認識しかなかった自分はもっとアホでした。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい....
許してくれるかどうかわからない、とにかく謝りたい。
でも、
卒業式の後にこれを配られても。
もう明日からY君とは会わないんです。
彼は中学は地元ではなく別の支援校に行くので。
クラスの友達の名前は全員憶えていませんが、Y君の名前は今でも忘れません。
そして何十年も経った今でも、私の心の中で「ごめんなさい」が消えません。
知的障害者は色んな事を考えながら懸命に生きています。
当たり前の事。
邪魔者などではありません。
もう1つ、
実際のこの事件、死刑判決が言い渡され、裁判長が閉廷を告げた時に被告は、「裁判長、最後にひと言、いいですか!」と言ったそうです。
しかし、彼の訴えは却下。
彼は最後に一体何を言おうとしたんでしょう....?