アット・カーネギー | 5番の日記~日々好日編~

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よってテーマは剛柔バラバラです。



日本で最も人気の高いジャズ・ピアニストかもしれない(?)オスカー・ピーターソンの最初期のライブ。


『 Oscar Peterson at Carnegie』

ヴァーブでの5作目。これが初のライブ盤。


1950年、レイ・ブラウン(b)とのデュオ、そして1953年のレイ・ブラウン、ハーブ・エリス(g)とのトリオの録音です。



ピアノ、ベース、そしてドラムスという編成のピアノトリオは日本人の大好物ですが、オスカー・ピーターソンがそのトリオで吹き込むようになったのは1958年の末あたりから。

でも、カーネギー・ホールで衝撃のデビューを飾ったばかりのこの頃のこの音、

これも絶対に日本人は好き。



オスカー・ピーターソンのピアノは普遍です。

テクニックとスウィング感だけで評価するとおそらく真っ二つに分かれますし、思想性も時代性もないと批判されるかもしれませんが、逆に言えばこの人のピアノには軸があるという事。


デビュー間もないのに堂々たる風格。




実はこの人も、キャリアのスタートは弾き語りで、渋〜い喉にも定評がありました。

ピアニストに専念するようになった理由は、同時期にやはり弾き語りをやっていたナット・キング・コールとニューヨーカで出会い、あまりにもお互いに "そっくりさん" だった為に、「これはマズい」と話し合った末に、「年上のナットに決めてもらう事にした」ら、ナット・キング・コールが自分はシンガーでやりたいと言ったので、「それなら僕はピアノで」という事になったんだそうです。



オスカー・ピーターソンはナット・キング・コールを生涯の友と呼び、1965年にナットが亡くなった直後に、その死を悼んで弾き語りのトリビュート・アルバムを発表しています。

その歌声は、節回しまでナット・キング・コールに瓜二つ....


なるほど、これならお互いに「こりゃマズい」と思うのも無理はありません。



オスカー・ピーターソンはこのトリビュートを最後にボーカルアルバムは出していません。

「ボーカルの作品を出してほしいと言われる事はあるが、ナットとの約束だから」